〜ザンジバル散策〜 大雨の音で目が覚めた。 窓の外は、この調子で降り続けたら島が沈むのではないかと思うような豪雨であった。 このままではどこにも行けない。今日一日、あてがわれたツインの部屋でコケのようにべたーっと過ごさなければいけないのか。今日は12月31日、大晦日である。他のツインルームに泊まるカップルには部屋で水溶き片栗粉のようにネットリと過ごす大晦日もいいだろうが、オレは2つのベッドに交互に寝そべり、「ああ、一人で2つのベッドを使えるこの贅沢!」と泣きながら負け惜しみを言うしかない。 だが、本当のところは、「くそ、こんな天気でもイチャついて過ごせる奴はいいよな……はぁ、はぁ……」などといつまでもねちねちと考えている情けない旅行者ではオレはない。たしかに、つい先日は白人女性の下半身も見たし、時々淫猥な考えが頭に入り込み思考の邪魔をされることもある。しかしそんな考えは、オレレベルになれば集中力でいくらでも追い出せるものなのだ。そういったピンクな邪念に襲われた時には、静かな部屋の中にひとり身を置き意識を集中し、呪文を唱えながらほんの2,3分えいやぁ〜っ!! と右手を動かせば、あっという間に気分はスッキリ、しばらくの間は8歳の少年のような純な心になれるのである。言っておくが、これはあくまでまじないや儀式のようなものであり、あなたが想像しているようなヘンなことをするわけでは断じてない。 あまりにも強烈な雨脚で轟音を立てて降っているため、向かいの家屋に穴が開くんじゃないかとわくわくしていたら、突然イカフライのようにカラッと晴れた。ざまーみろ。これで水溶き片栗粉もネチャついている場合ではないだろう。観光だ! 観光!! 世界遺産、ザンジバルのストーンタウン。島のほんの一角を占めるに過ぎないこの地域に市場や港、多くの島民が密集しているため、石造りの家々の間を這う道幅は現役時代の長嶋一茂のストライクゾーンのように狭く、また非常に込み入っており、下手なウォークラリーよりも目的地に到着するのは難しい。幅1〜2mの石畳の通路に沿ってくねくねと歩いていると、自分が電流イライラ棒の棒になったような気分になる。 ストーンタウンの一画 100万円のチャンスを失わないよう出来るだけ壁への接触を避け、道の真ん中を歩いていると我が物顔で通りを牛耳っているノラネコの姿が見える。どちらかというとアフリカはノラ犬ばかりでネコの姿はあまり見ないのだが、犬には恐縮してもオレはネコにはめっぽう強い。なぜかって? ふふふ……。 オレにはこれがあるんや!!!! 伝家の宝刀、日本製極上霜降りまたたびや!!!! というわけで、新年も押し迫った今、道を塞ぐ横暴なノラネコにはここでまたたびを投入することにした。きっと贅沢の粋を極めた超高級なこのまたたびを見てしまったら、どんなネコでも我を忘れて狂ったようにかじりつくに違いない。情けない顔をして見境無く道端に転がり、他人の目も気にせず一心不乱にまたたびに吸い付くだろう。 そりゃーっ!!
ほらな。 わははは。所詮インテリを気取っていても野生の本能は隠せまいて……。どうあがいてもネコはネコ。このヒューマン・ビーイングのオレに楯突こうなどと3世代早いのである。別にネコ的には楯突いたつもりはないかもしれないが。 またたびに魅了されてしまった悲しいノラネコは、体中泥まみれになりながらも快感に精神をもてあそばれ、オレをみすみす通してしまってからも延々とまたたびにむしゃぶりつきながら、道端でごろごろと情けなく転がっていた。 さて、ザンジバル島はほんの30年前までは独立国であり、アラブ系の血、風習が混じった独自の文化を持っているのだが、もうひとつ特徴的な事は、この島は長い間アフリカの奴隷売買の拠点となっていたということだ。東アフリカから集められてきた黒人の奴隷は、このストーンタウンのマーケットで競りにかけられ売られて行ったらしい。 今では市場跡には教会が建てられているが、その地下には奴隷を収容していた牢獄(牢獄以下だ)のような部屋がまだ残っている。部屋と言っても高さ1mあるかないかの空間で、光と空気を取り入れるための小さな隙間が数箇所あるばかり。そこに何十人という奴隷が詰め込まれていたという状況は、完全に黒人は所有物以下の存在であったということであり、その辛さはどれだけ想像力を働かせても察することはできない。だいたい、地下室なんてものには、黒人奴隷ではなく三田佳子の次男でも入れておけばいいのである。ちょっと狭いが、きっと元グラビアアイドルKやYと共に覚醒剤パーティ会場などで有意義に活用してくれるはずだ。 ところで最近日本では元ヤンキーの弁護士や教師などが立て続けに本を出版し、ちょっとしたヤンキーブームが起こっている。決して便乗しようとするわけではないが、オレも実は元ヤンキーであり、昔は相当なワルだった。 ということで、関東一円にその名を轟かした暴走族「ヘルデビルス」の前総長であるオレは、奴隷市場の見学の後も当時の不良魂を思い出し’80年代最凶の悪事であるアイスの買い食いをしながら、世界遺産ストーンタウンの午後の営みの中を歩いた。ちなみに今頃なんでこんな過去の過ちを暴露しているかというと、他のヤンキー本の著者と同じように、オレもみんなに「人間どんなにどん底からでも、努力さえすれば這い上がれるもんなんや!!」ということをわかって欲しかったのである。みんな、たとえ偏差値37からでもがんばれば立派にアフリカ旅行者になれるんや!! 尚、ヤンキー弁護士やヤンキー教師と違うところは、ヤンキー旅行者の場合は特に努力せず偏差値37のままでもなれるというところだ。どうだ。全国の落ちこぼれのみんな、励みになっただろう!! ただ、仕事もせずアフリカを放浪しているということで落ちこぼれの呼び名は全く消えないからそこんとこよろしく(号泣)。 そんなヤンキーブームに則りソリコミに迫力を増し眉毛を剃りながら石の通路を歩いていると、細い空間を何本もすり抜けた、奥まったところに小さな学校を発見した。中を覗いてみると子供達が床の上にじかに座り、長いテーブルのような机にノートを広げて勉強をしている。正月から学校で勉強とは、オレの学生時代を微塵も思い出させない真面目な光景である。 オレに気付いた何人かのお子様がチラチラとこちらの顔をうかがっている。かわいそうに、勉強に集中できないらしい。きっと彼らが将来ここがヘンだよ日本人に出演したら、「ボクらは正月から、1月1日からちゃんとガッコウいって勉強してたよ! その時ザンジバルにいた無職の日本人なんてアイスなめながらぼくらの教室のぞいて、センセイに追い払われてたよ!! 『ソーリーソーリー!!』って弱々しい声で叫びながら逃げてったよ!! それなのになんで日本人ばっかりこんなに金持ちなの! 先進国の搾取のせいでボクらはいつまでもいつまでも苦労しなきゃイケナイんだヨ!!」と実にもっともな主張をおこなうだろう。 ということでばあさんの教師に冷徹に追い払われた後、仕方なく路地を進んで行くと今度はゲームセンターならぬゲーム機センターを見つけた。店先に何台か並んだテレビに純日本製品プレイステーションが接続され、子供達がサッカーゲームに興じていた。今やアフリカの子供もテレビゲームでサッカーをする時代になったのか……。 それにしても、ザンジバルだけでなく、アフリカ全土で日本製品というのは実にたくさん目に入る。アフリカで蚊の次に多いのが日本製品だ。今のプレステしかり、文房具から台所用品、さらに旅行者などのさまざまなメイドインジャパンプロダクツを見るにつけ、日本は強いな……としみじみと思い知らされる。空想の中とはいえ、さっきのここがヘンだよ日本人の少年が先進国の搾取だと怒っていたのも無理はない。中でも最強であり、昨今の年金未納議員よりも多いのではないかと思われるのが、日本車である。といってもほとんどが日本から流れてきた中古車なのだが、ほら、今オレの横を走って行ったその黒人用のミニバスでさえ、明らかな日本のワゴン車である。 ……おや? なんか交差点に差し掛かったワゴン車から女性の機械音が聞こえてくるぞ? しかも日本語で。 『ヒダリヘマガリマス。ヒダリヘマガリマス。』 ……。 意味ねーっ!!!! スワヒリ語で言えスワヒリ語で!!! 明らかに島民誰も理解してないやんけ!! スワヒリ語圏で日本語で注意を促しても意味無いと思うんだが。そんな機能はずしてから輸入しろよ……。どう考えてもこの島の中でオレしかわかってないだろう……。というか、最初にあのワゴンが輸入され黒人が音声を聞いた時、中に人が入ってないか探したのではないだろうか。 ストーンタウンでは、建ち並ぶ土産物屋や魚市場をひやかしているとすぐに時は過ぎる。夜になり、オレは海辺の屋台へ出向き、タコ&イカ&ロブスターという海の幸ざんまいの夕食を摂った。日曜の午後2時あたりの番組で、微妙なタレント3人組や梅宮辰夫が目的のよくわからん海外ツアーに行き、局の予算で食べるやや豪華ディナーのような贅沢加減である。しかし、ザンジバルではこれだけ食べて驚きの低価格・350円である。多分安達祐実が弟と行く海外ロケのディナーと比べたら予算的には叙々苑とこてっちゃんくらいの差があるだろう。 さすがに大晦日ということで、屋台の立ち並ぶ海岸の公園は現地の人と観光客でごった返していた。一応ロブスターを食いながら、オレもここで落ち着いてこの一年を振り返ってみることにしよう。 そうだな……。 今年は、まず仕事を辞めてインドへ行った。帰って来て仕事を始めて、そして辞めてアフリカに来た。 ……。 「社会人失格」という漢字5文字があまりにもクリアーに脳裏に浮かぶんですが。 ……いや、何を言っているんだ! そんなマイナスな考えばかりで年を越しては自分がかわいそうではないか! そうだ。オレは他にもこの1年で、うぬ、くお〜っ! ……。 まだまだ浜辺は年末の大盛り上がりを見せていたが、逆にその人ゴミをカムフラージュにしてオレは早々に宿まで戻った。あまり遅くまで粘り、閑散としてきたところで一人で夜道を帰るのはヨダレをたらした強盗及び変態さんにお年玉をあげるようなものである。なんといってもオレはまだお年玉はもらう年齢なのだ。 アフリカはタンザニアの海に浮かぶ島、そこでひっそりと新年を迎えるのもさびしいが趣がある。いや、別にさびしいのは毎年さびしいので、さびしいことに関してはもはやどうでもいい。だから今回は単に趣があるだけだ。年末年始の賑わいよ、はやく終われ。 今日の一冊は、新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論〈3〉 |