〜ムズズ、ンカタベイ〜





 ムズズからミニバスに乗り更に2時間程。たまには観光らしい観光をしようと向かった先は「ンカタ・ベイ」という湖畔の町。……
からかよ!!! んかたべい……なんて言い辛い、そしてありえない地名。しかしこの町を知ったからには、もはや今後しりとりで負けることはないだろう。うっかり「ん」がつく言葉を言ってしまっても、「マラウィにはンカタ・ベイっていう町があるんだぜ!!」と堂々と継続を主張することができる。ただ、もはや四捨五入すると30歳になるオレのこれからの人生において、しりとりというレクリエーションを行うことがあるのかどうかはわからない。親戚の子供などを相手にすることはあるかもしれないが、ガキ相手に「マラウィにはンカタ・ベイっていう町があるんだ!! だからまだ負けじゃないぞ!!」とムキになって言い張るのも、人としてどうなのかという問題が残る。

 ンカタ・ベイの町には、マラウィ湖を臨むチカレビーチという浜辺があるらしい。マラウィの名を冠しているマラウィ湖は、もともと縦に長いマラウィの国土の2割を占める細長い湖である。安くダイビングが出来る観光スポットとして、そして
住血吸虫が住んでいる場所として旅行者には非常に有名なところである。
 住血吸虫とは、「じゅうけつきゅうちゅう」と読み、マラリア蚊とともにアフリカを縦断する旅人を恐怖に陥れる、陰気で最低最悪な寄生虫である。水の中に住み、接触した人間の
皮膚を貫いて体内に侵入、そのまま血の中を自由自在に動き回りご丁寧に卵まで産んでくれるという、長細くてとってもキュートな存在。彼らは、マラウィ湖を筆頭にアフリカ南部の川や湖に生息、マリンスポーツに興じる遊び人達だけでなく、そこから上水道に乗って僕達まじめな旅行者の元へもやって来ます。
 ある女性旅行者は、宿で水道からバケツに水を汲んで体を洗っていたところ、ふと見るとバケツの中で数匹の
吸虫さんがうようようごめいており、慌てて体を拭いたものの既に族は体内に侵入、直後に彼女はぶっ倒れ緊急帰国するハメになったという。また武勇伝としては、シャワーを浴びていてふと気配を感じ肩口を見たら住血吸虫が体半分皮膚の中に入り込んでいたため、慌てて引き抜いたという日本人男性の話があった。聞くだけで拷問な恐ろしい話である。
 もしそんな奴らがオレの肩口に侵入した場合は、最初から追い出そうとするのではなく、
ミギーとでも名づけて可愛がり共存を目指すことにしよう。こちらもしっかりと誠意を見せれば、いつかわかり合え、変形して敵と戦ってくれたりするかもしれない。

 さて、湖のある音、そして水の気配は大いに感じるものの、ビーチへはどう行けばいいのだろうか? 道端でマラマラ言っているマラウィ人に尋ねてみる。


「あの、お取り込み中すみませんが、チカレビーチってどう行けばいいんでしょうか?」


「チカレビーチか。あそこにちょっと小さめの山が見えるだろう?」


「見えます。はっきりと見えます! 小さめの山が!」


「あれを越えればすぐだよ」


「なるほど。はい、どうもありがとうございました」


「はいはい」



 ……。
 
 
すぐじゃねえんだよ!!!!
 山越えってあんた……。それはマラウィ人の感覚ではすぐかもしれんが、普段世田谷区で生活している人間にとっては夏休みのアクティビティーである。山ひとつ越えたら別の地方ではないか。
 でも、行くしかないか……。せっかく来たんだしな……。オレは今日の行動を意義あるものにするためにも、引き返さずに山を登り始めた。住血吸虫ウヨウヨのマラウィ湖へ向かって。
 マラウィなりの観光地だけあって、道すがらすれ違うのは地元民も多いが水着の白人も多い。彼らは必ず友人同士やカップルで楽しげに歩いているのだが、あんたら一体
どうやったらこんな場所にバカンスに来ようと思うんだ?



「ヘーイ、キャシー! もうすぐ冬休みだな」


「ハーイ、ステファン! 今年も寒くなりそうね」


「どうだい? 南国にでも遊びに行かないかい?」


「OK! ナイスアイディアね」


「どこ行こうか。キャシーはどっか希望はある?」


「そうねー、
マラウィのンカタベイなんてどう?」


「いいなあ!! 
オレもンカタベイがいいと思ってたんだ! じゃあそれで決まりだぜ!」



 などという
地球レベルのアウトドア派の感覚は1万回生まれ変わってもオレには現れないだろう。がんばっても東京ジョイポリスに行くくらいがオレのアクティビティーの限界だ。
 そ、それにしてもいつまでこの山道を登り続けりゃいいんだ……。ああ、あぢぃぃ……喉が渇く……。チカレビーチとか言って全然近くないやんけ。っていうかチカレた!! チカレビーチだけにチカレたぞっ!! ……我ながらその土地々々に適した
ハイレベルなジョーク自由自在に思いついてしまう自分の頭の冴えにほれぼれしていると、白髪まじりのヨーロピアンのおばさんが、すれ違いざまオレににこやかに声をかけてくる。


「メリークリスマス!」


「あ、メリークリスマス!」



 はっ!! く、クリスマス……。今日は12月25日。たしかにクリスマスだ。けっ……。アフリカの真ん中までそんな西洋の悪習を持ち込みやがって。
くだらないんだよ! もしオレが16〜25歳の女の子(小雪似)に「さっくん、クリスマスは一緒に過ごそうね!」と囁かれた場合には大いに存在を認めるが、そうでなければクリスマスなんて外来文化に踊らされ侍の心を忘れた民衆の軟弱ぶりの象徴なんだよっ!! 第一こんな暑いクリスマスがあるかっ!! サンタもトナカイもサーフボードに乗ってやって来るぞ!! ……ちょっとシャレたことを言ってしまった。だが湖からやって来るとしたら、きっと上陸する頃にはサンタのおっさんも住血吸虫に侵入されて衰弱しきっていることだろう。無垢な子供達に夢やプレゼントとともに寄生虫を振り撒く、はた迷惑な北よりの使者である。

 ザザ……
 ザザ〜ン……

 おおっ! 波の音だっ!! 
 いつの間にか下りに変わった山道を波音に引き寄せられ進んで行くと、水辺で黒人と白人が思い思いに戯れるこぢんまりとした浜辺、そしてアフリカを全く感じさせない穏やかな湖畔の景色が現れた。といってもオレの想像しているアフリカ的な湖は、三葉虫が波打ち際に漂っていたり、湖面から首長竜が顔を出していたりというものなので、今の時代もう見つけるのは難しくなったのかもしれない。
 しかしすぐそこで泳ぎまくっている黒人達は寄生虫とか気にしないのだろうか。オレのように寄生されても共存していく覚悟なのか、それともガイドブックを読んでないから住血吸虫のことを知らないのか、あるいは既に住まれまくっているのか。案外彼らの野獣のような肌を突き破るのもひと苦労かもしれないが、そうすると白人達は対照的にこの後大変なことになるだろう。無論、オレがここに入っても虫らの格好の標的になり、寄生虫大王というあだ名がつく前にひからびて死んでしまうに違いない。なんといっても緊急帰国しようとしても航空券を買う金が無いのだ。
 大体、ジーパンに靴下までみっちり履いているというビーチに来るべき服装ではないオレは、泳ぐどころかそもそも
最初から湖と関わる気など毛頭ないのである。何も考えていない白人と違い、これが住血吸虫の住む場所での日本人としての賢明な感覚だ。ここではたとえ井出らっきょでもいつもの脱ぎっぷりを忘れ、とことん厚着を決め込むだろう。

 しかし波間から突然黒人が顔を出す姿は、ある意味オレの期待していたジュラ紀の光景に通じるものがある。油断したらそのまま水中に引きずり込まれて
食われそうである。
 白人はきゃっきゃっとピンクの声をあげてビーチバレーをやっているし、地元の子供は転げまわり砂に埋まっている黒人もいる。所詮浜辺の光景などマラウィ湖も小学生の頃遠足でよく行った中田島砂丘も同じようなものであった。人間の営みの摩訶不思議である。

 ということで、見るもんはとりあえず見たからあとは
また山ひとつ越えて帰るだけである。……。め、目まいが……。続きは明日じゃダメだろうか……。
 結局何本もの足を犠牲にし血みどろになりながら、更に振り出した雨に打たれながら瀕死の状態でオレは山ふたつ越えてンカタベイを後にし、再び乗り合いバスでムズズの宿へ舞い戻った。


 ムズズというのもやはり珍妙な名前である。ムズズムズズ言うたびに魔王パズズを思い出してしまう。この町はマラウィ北部の基点となる場所ではあるようだが、それは交通においてくらいであり一般的には見るものも行くところも何も無い。
大人の隠れ家といった雰囲気のお洒落なバーも無い。というかその気取った表現を聞いただけで鳥肌が立つのはオレだけだろうか。
 そしてオレが泊まった宿も日本人はおろか白人の旅行者すら一人も見かけない状況であった。こういうところではただひたすらアクシデントが起こったり病気にかかったりしないよう祈るだけである。
 ところで、宿のねえちゃん(もちろん黒人)にトイレの場所を聞き案内してもらったのだが、いざそこにあった洋式トイレは便座が無かった。どうやら、ねえちゃんの話ではこのあたりの人たちは便座を上げた洋式トイレのあの狭い淵に乗り、和式便器のように用を足すらしい。
 だが、一介の旅人のオレにそんな器用なことが出来るわけがない。まず第一に
バランスが取れずに落ちることが考えられる。内側にはまれば当然のこと、例え外側に滑ろうともその時かならず体のどこかの部分が便器にじかに触れ、汚物やバイ菌との自由なハーモニーを奏でることになるだろう。次に、あの細い陶器の部分に足を乗せて座ったら、突然バキバキバキと便器崩壊が起こるシーンが容易に頭に浮かぶ。以上の理由から、オレは地元の彼らのようにこのトイレを使用することは出来ない。


「すいません、僕このトイレじゃ座れないんですけど……」


「は? なんで?」


「あのですね、日本人の場合洋式トイレを使う時は便座がここにあって、それにこうやって座ってするものですから……」


「ああ、そうだったわね! あのフタみたいなやつね? それじゃあ、たしかこっちならついてたハズよ」



 そう言うと彼女は、別の共同トイレまでオレを連れて行ってくれた。たしかにその便器には、
数年前に上げたと思われる便座が洋式便器から垂直に突き立っていた。ねえちゃんはその文明人の命綱である便座をギーギーいわせながら元にもどしてくれた。


「ヘーコラ。これで大丈夫でしょう?」


「わざわざすいません。これなら安心して座れます……って
オエ〜っ!! きたな〜!!!」



 四半世紀ぶりにセットされたその便座の上は、おそらくあれが固まったものだと思われる黄色い粘着質の物体が、ネチョ〜ンとへばりついていた。


へいへいっ!! これじゃ汚くて座れないよ!! なんとかしてっ!」


「そうねー、わかったわ」



 そう心得顔で言うと彼女は、脇にあった便器掃除用の柄の付いたタワシのようなものを手に取った。そして一旦それを
便器の中に突っ込み溜まっている水にピチャンと浸すと、そのまま便座をゴシゴシ擦って黄色を中和させた。
 ……。


「さあ、これでキレイになったわよ」



「なってないんだよ!! 座れるかっ!!!」



「座れるじゃないの。ちゃんと拭いたんだから」


「拭きゃーいいってもんじゃねーっ!! そんな掃除じゃ姑が見てたら3時間はネチネチ嫌味言われ続けるぞ!!!」



「……(やーね、文明人を気取った人間って)」




 オレは彼女の気持ちもわかりながら、それでも日本人としての尊厳を守りつつトイレを我慢し、もちろんここでも大量の蚊の舞い踊る部屋で大量蚊破壊兵器蚊取り線香をこうこうと焚き、煙にいぶされながらつけない眠りにつくのだった。
 メリークリスマス(号泣)。



←圧倒的に遠くてちかれるチカレビーチ












今日の一冊は、大人になって読み返したらますますハマッた傑作 ドラゴンボール (巻1) (ジャンプ・コミックス)





TOP     NEXT