〜ムベヤ〜





 国境の町へはミニバスで向かう。ミニバスと言ってもバスではなく単なるワゴン車で、ニッポンレンタカーで借りる場合には「定員:7〜8人(最大乗車人数10人)」と標記のあるものである。
 さて、そんなミニバスに乗ってマラウィ湖を眺めながら約3時間の楽しいドライブのはずなのだが、なんだか妙に狭苦しい。身動きは取れないし景色も見えない。そして気持ちが悪い。一体なんでだろうと周りを見回してみると、どうもこの乗車人数に問題があるような気がする。ひょっとして定員オーバーしているのではないか? 
 そこでオレは、この最大乗車人数10人のワゴン車に、今何人詰まっているのかを律儀に数えてあげることにした。定員をオーバーしているようなことがあれば、ちゃんとドライバーに言って是正してもらわなければならない。えーと。1人2人3人……。7人8人9人……。13、14、15……。
18、19、20……。
 うーむ。
 大人子供合わせまして、
しめて25人でございます。

 ……。

 
このまま日テレの世界びっくり大賞のスタジオに向かってくれ。これなら恒例の世界一のギネス級巨乳にも勝てそうな気がする。近江俊郎先生が喜んでつっつきそうだ。
 ……あり得ない。どう考えてもあり得ない。外にへばりついているのでもなく、屋根に乗っているのでもなく、車内に25人である。物理的にそんなことは絶対不可能なはずなのに、たしかに一人ずつ数えてみると25人納まっているのだ。……わかった。これは今はやりの
CGだな? 本当は15人くらいしか乗っていないところを、CG処理でもう10人分増やしているんだろう??

 ……おおっ、おえ〜〜っ。きもちわる〜〜っ……

 以前も語ったような気がするが、生来、オレは乗り物酔いしやすい体質である。自信を持って言えるが、オレはそこかしこにいる平凡でつまらない旅人とは違い、
群を抜いて貧弱な肉体の持ち主なのである。そんなオレが、運転席のすぐ後ろのバレーボール1個分くらいの空間に、後ろ向きになって、四方八方からぎゅうぎゅうに押されながら収納されている。今まさにお母さんに握られているおにぎりの気分だ。
 後ろ向きで進ませるというのは、車酔い体質の人間にとどめをさす必殺の攻撃である。オレは長距離を電車で移動するような時には必ず@進行方向を向いて座り、A窓の外の遠くの景色を見て過ごすようにしている。これが蘇我氏と物部氏の時代より静岡県に伝わる、乗り物酔い対策なのである。だが、今の状況においては体勢を変えることは不可能であるし、窓は全て黒人で塞がれている。外の景色を見ようとしても代わりに黒人の横顔を延々と見つめ続けることになり、「こ、こいつ、オレに惚れてるのか?
 まあオレも嫌いな方じゃないけどな……」と勘違いされる可能性も大いにあり得るのである。

 途中後部座席から乗客が一人降りて行き、「チャ、チャンス!! あそこに移動すれば進行方向を向いて座れる!! この酔いの拷問から解き放たれ…っ!!」と思ったのだがその瞬間オレの隣にいた女性が、
途中の客をなぎ倒しながら空いている席に向かい、体をねじ込んでしまった。きっと彼女もメチャメチャ車に酔ったのだろう(涙)。たしかにその顔色は心なしか青ざめている……と思ったが黒人の顔はみな黒いだけなのでよくわからん。
 
 マラウィ最後の町カロンガのバス停に着く頃には、旅に出てから大体3日に1回くらいは開催されるようになった、恒例の
自分との戦いがクライマックスを迎えている状態であった。こみ上げる胃液を気の力で喉下数センチの場所に停留させ、なだめすかして胃の中に押し戻す。ある意味自分の体で潮の満ち引きを表現しているようで、前衛芸術家を名乗っても恥ずかしくない表現力である。
 バスから転げ落ちたオレは、子供達の注目を浴びながらしばらく地面にはいつくばり体力の回復を待って、そしてゆでたまごを食った。南部アフリカ界隈では、子供がゆでたまごを頭の上に乗せて行商しているのだ。こんなマラウィの辺境の町でもたまご1個につき塩ひとつまみを、ちゃんと紙切れに乗せてサービスしてくれる。「ゆでたまごに塩」というのは全世界共通なのであった。
 どうでもいいが、日本ではゆでたまごを「茹でた孫」とかけるギャグがあるが、これは危険である。今年8歳になる小学生・ひろしを孫に持つ、こんなノリツッコミに長けたおじいちゃんがいたらどうするんだ。



「あれ? おじいちゃん、何食べてるの?」


「おお、ひろしか。ゆでたまごじゃよ。おいしいぞ。ひろしも食べるか?」


「え〜、茹でた孫〜?? おじいちゃんこわい〜」


そうそう。でっかい鍋に水をはってな、こうやって孫をふんづかまえてキッチンに行ってな、」


「い、いたいっ! お、おじいちゃん何するの! やめて!!」


「火をつけてしばらく待ってな、……よーし、こんなふうにいい感じでお湯が熱くなった頃にな、孫をこうやって、よいしょ! ぼちゃ〜ん! って投げ込んでな、」


「ぎぇーーーーーーーーっ!! 熱い! 熱いよおじいちゃん!!!」


「こうやってフタかぶせてな、10分間待ってな、……はい、出来上がり! おお、これはこれはおいしそうな茹でた孫じゃの〜……って
そんなわけないじゃろ!!!! …………。おや? ひ、ひろし? どうしたんじゃ、ひろしっ!! 返事をしておくれ!! ひろし〜っっ!!!」



 ……。
 まあそんなわけで、後先を考えず安易にギャグを使うと危険であるということを私は言いたかったのである。

 復活後、再び乗り合いバスに乗り小一時間、ついにタンザニアとの国境にたどり着く。ドアを開け、荷物に手をかけ一歩地面を踏みしめると……






「ヘーイ! マダム!! マネーチェンジ??」
「チェンジチェンジ!!」
「グッドレート!!!」
「マダム!! タンザニアンマネーッ!!!」
「エクスチェンジ!! マネー!!!」
「ユーヲントシリング??」
「ハウマッチ!!? ハウマッチユーハブ!!!」




 
しょえ〜〜〜〜っ!!!
 黒人がっ!! 黒人が10人から迫って来る!!!

 バスから降りた他の乗客には一向に構わず、オレ一人を取り囲み大迫力の音声多重サラウンドを作り出しているのは、国境には必ず出没するマネーチェンジャー軍団である。とっさに木を背にして背後に回られないようにしたのだが、後ろの奴がどんどん押してくるものだから木の幹に押し付けられて身動きが取れない。おもしろがってやって来た子供のちびくろサンボ達もわけがわからないまま混乱に巻き込まれ押し潰されている。ちょっと気の毒である。
 思わずインドを懐かしく思い出してしまうような密度の濃い囲まれ具合だったが、体を左右に激しく回転させると少し囲みが解け、そこから逃げ出すことができた。
バイオハザードで練習しといてよかった。

 大体、マダムとはなんだ。
オレは男だ。女に間違えられたことなんて小学生以来、実に20年ぶりである。たしかに男は全員丸刈りの硬派なアフリカにおいて、このうるおいヘアーは多少の色気を振り撒いてしまっているかもしれないし、彼らに恋心を抱かせてしまったとしても無理はないと思う。だがオレは小学校を出てからはずっと男だし、時々友人と集まって合唱をする時もパートはテノールである。歯医者に行っても3回のうち2回は全く泣かずにいられる男の中の男に対してなにがマダムかっ!!! 見る目のないやつらである。

 国境の小さな事務所で入国用紙に必要事項を記入し、パスポートにスタンプをもらう。TANZANIAと書かれたゲートを越え、腕時計を1時間戻す。
 よっしゃーっ!! 5カ国目だ〜っ! タンザニアだ〜っ!!!

 タンザニア。首都はダルエスサラーム。通貨はシリング。……すごい!! 全部聞いたことがある!!! 
国名がマラウィ、首都がリロングウェで通貨がクワチャとは知名度が違う!!! なんか知らんけどうれしい(涙)。
 とは言っても所詮この辺りの国境はヨーロッパのお偉方が勝手に線を引いただけのものであり、よって実際はその線をまたいだくらいでは、景色も人間も環境も変わることは無い。違いがあってもほとんど気付かない程度、
うちの妹のダイエット実施前、実施後のようなものである。
 再び乗り合いバスに乗って町へ向かうため待機していると、なぜか窓の外から
オレのリュックを開けようとする黒い手が伸びてきている。
 
こいつめっ!! こいつめっっ!! ピシッ
 悪い手を捕まえようと必死になっているうちにバスは発車、3時間後には無事タンザニアの入り口であるムベヤの町へ着いた。油断できないなしかし……。
 
 
「ヘーイ! マダム!! 明日はどこ行くんだい? バスのチケットとってやるぞ!?」


「マダムじゃねーっつってんだよ!!! オレは男だっ!! たくましい男性だ!!!」


「お、オー、ソーリーソーリー……」


 
 ムベヤの町もチパタやブランタイヤと同じく町としての規模は決して大きくない。みすぼらしい商店が建ち並ぶ中にヒマそうな黒人の通行人がウロウロしているところは、今まで通り過ぎてきたいくつもの言い辛い名前の町とほぼ同じ光景である。しかもタンザニア人とマラウィ人、ザンビア人の区別をつけることなど
ヒヨコのオスメスを見分けるのと同じレベルの難易度であるオレにとっては、これらの町が同じように見えてしまうのは仕方の無いことだ。

 バスから降りたオレを目ざとく発見し登場した宿の客引きについて行き部屋を見せてもらうが、「シャワーはどこだい?」というオレの問いに「これだぜ!」と
中庭に放置されているドラム缶を指差されたため、潔くガイドブック掲載のワレサメゲストハウスという意味のわからん名前の宿へ向かいチェックインを済ませた。
 夕飯はシチュー&チップスである。ビーフシチューと同じ皿にフライドポテトが乗っている、アフリカの定番商品である。はっきり言って、ジンバブエに入ってから今まで食事2回のうち1回はビーフシチューを食っている。もう最近は牛に足を向けて寝られん。そしていつか天国に行ったら、
牛に集団リンチをくらうだろう。
 
 それにしても、新しい国に入った日というのは妙な興奮を覚えるものだ。
 1カ国1カ国が、当然のことながら生まれて初めて訪れる未知の国なのである。タンザニアという国に、まさか自分が国境を越えて入って行くなんて一体いつのオレが想像し得ただろうか? 修学旅行で新幹線に乗って東京に出ることが大冒険に感じていた小学生のオレ、その宿泊先のつたや旅館で、消灯後に懐中電灯の明かりの中友人達と性器の見せ合いを繰り広げていた、
変態だった時のオレが今のオレと対面しても、きっと自分だとは気付かないだろう。
 今こうして、会社でも人事部に評判の常識ある大人に成長しているオレとしても、そんな変態を自分だとは思わない。

 さて、そんな興奮とともにベッドに入ったためかその夜はなかなか寝付けず、暗闇でごろごろしながらも頭は冴えたまま、仕方がないので多変数関数とその連続性についてやエラストマーにおけるナノ構造と耐寒性について考えながらひたすら寝返りを打っていた。ああ……今頃日本のグラビア界では新たなアイドルが台頭しているのだろうか……。

 眠れないまま数時間が過ぎた頃、オレは暗闇の中をトイレに起きた。コンタクトは当然外しておりメガネは成田へ向かう京成線に置き忘れて来ているため、ボヤけた空間を目を凝らしながら廊下を進む。
 ここの共同トイレは2つあり、両方とも個室になっているのだが、妙にドアの立て付けが悪い。若干寝ぼけながらも一生懸命ドアを押す。くそ……固いな……。このドアめ。よし、体全体を使って勝負してやる。いくぜ……せーの、どりゃーっ!!

 ガバ
 開いたぜっ!!!




 ……あら?




必死にパンツを上げている若い白人女性「へ、ヘイッ!!! ファット、ファットなんとかペラペラペラ(汗)!!」






 しょえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!





「そ、ソーリーソーリー!!!」 バタッ スタタタタタタ(逃亡)……



 
入ってたんですね!!
 ドアが固かったのは、鍵をしていたからなんですねっ!!!!


 うーむ……。若い女性が用を足しているトイレの個室にドアをぶち破って侵入してしまった……。これはひょっとして、
変態行為なのではないだろうか?? やばい、あの姉ちゃんがアメリカ人だったら、訴訟を起こされて57億円くらい損害賠償請求されるかも……。
 しかもあまりに突然で、
ちゃんと見るべきところを見れんかった(号泣)。メガネしてないからボヤけてたし……。ああ、神様、部屋に戻ってコンタクトをしてカメラを持って来ますから、5分だけ時間を戻してください。くそ……メガネ……。オレはこの旅が始まってから、今ほどメガネを置き忘れて来たことを悔やんだことはない(涙)。
 ……。
 もしかしてオレは、変態小学生の時代から全く成長してないのではないだろうか。というかむしろ変態っぷりがパワーアップしているのでは? ……うーむ。小学生子の魂百まで。
 いや、今回のはあくまで不可抗力である。





今日の一冊は、この旧シリーズは紛れもない傑作 金田一少年の事件簿 File(1)






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