〜パレスチナ自治区2〜





 正直パレスチナ人の自爆テロを見ていたら、いつの世もいじめられる人間が自ら死を選ぶのは同じなんだなあと、一瞬思ってしまった。
 しかし日本人のいじめ自殺とパレスチナ人の自爆が根本的に違うのは、彼らの場合はいじめられるのが辛いことにより人生を諦めるのではなく、
自分の命と引き換えに相手に一矢を報いるのである。「ああ、ユダヤ人兵士に家族を殺されちゃった。家も爆破されちゃった。もう生きる望みを失った。もう死のう」なんて思うやつは誰もいないのだ。全く逆で、「たとえ自分が死のうともあいつらはぶっ殺してやる」という、激しい闘争心で行動するのである。
 なのに日本の子供ときたら、
一矢も報いずに自分だけひそやかに死んでしまう。この闘争心の差はなんなんだろう。

 さて、オレの宿泊している宿には世界各地から白人ボランティアがたくさん集まっており、ある日公共スペースでふらふらしていると、
「ねえ、キミたちも一緒にガザに行かない?」とイギリス人お姉さんからお誘いがかかった。
 なんだ初対面にも関わらずこのフレンドリーさは。
欧米か?
 まあよく考えてみたら
本当に欧米だし、その誘いは女性と交流の機会の無い内気なニート旅行者にとって、断るセリフを考えさせる余地を与えないストロベリーの囁きだ。女性からの誘いを拒否するということは、今世紀初頭に作られた大作者帝国憲法によって固く禁じられているのである。違反者には3日間グラビア抜きという、身震いするような恐ろしい刑罰が待っている。
 旅先というのはロマンチックなムードになりやすい場所であり、オレたち独身男性にとっては実に
ガールハントに適した状況なのだ。それに、イスラエル軍というのは対外的な印象を気にして外国人には決して危害を加えないという決まりがあり、旅行者にとってみればガザをはじめパレスチナ自治区というのはナイロビや南アフリカの町を歩くよりは遥かに安全な場所である(本当にそうなのだ)。だから別に心配することはなく、恋人の腕の中にいるような安らいだ気持ちでいればいいのである。大ピラミッドのあったギザがあんなにも古代の魅力に溢れていたのだから、ギザの親戚のガザもきっとピラミッドとか女子大生の旅行者とか、そういうものがめいっぱいの場所なのだろう。

 そんなわけで、オレと、その場にいたナブルスからの同行者であるスーさんは彼女の口車に乗せられて、ガザ地区へボランティアの同行をすることになった。しかし当初はイギリス人だというその女の子と楽しく話していたのだが、途中から
ごつい男たちが何人も登場して女の子と交代、そして「やあキミたち、ガザ行くんだって? じゃあオレたちとちょっと話しようか」と、英語の教材のキャッチセールスにでも引っかかっているようなすごく自然に騙される展開になったのである。オレたちはアホだ。
 だいたい、昨日のこともあり何かパレスチナ人の力になりたいと1ミリグラム程は思ったのも事実だが、オレなどがボランティアといっても出来ることなんて何も無く、どうせ一緒に行ったところで
クーポンのついていないホットペッパーくらいなんの役にも立たないに決まっている。……いや、まあそう悲観的になってもいけない。こんなオレも例えばガザ地区のスーパーで1人1パック限りの激安キッチンタオルが販売された時などは、レジに並べば1人分として存在意義を発揮できるかもしれない。
 まあなんだかんだいって結局はまたただの好奇心からなのだが……。

 エルサレムから乗り合いバスでガザのチェックポイントへ向かうと、エリアの入り口である検問所はこれまた強行突破を試みようものなら
特攻野郎Aチームですら途中で全滅させられそうな、ものすごい防衛線の張り方である。抜くと世界が混沌に包まれると言われる伝説の剣でも守っているのだろうか(RPG風)?
 ガザ地区に入った後は、そのままタクシーで1時間ほど南へ向かい、エジプトとの国境であるラファという町へ。そこに、彼女たちのボランティア事務所があった。
 外側に備え付けられた階段を上がりドアを開けると、たむろしていた若い白人男女が「ハーイ!」「ウェルカム!」「ハウアーユー!」などと実ににこやかに迎えてくれた。
欧米か? 宿から一緒に来たイギリス、アメリカ、スウェーデンの欧米ボランティア組は、わずか5秒でそのビバリーヒルズ高校白書に溶け込み、身振り手振りでペラペラペラペラ! 「昨日はジョンのママがお手製のパンケーキを作ってくれたんだぜ!」「ほんとうかいマイク? オレの分取っておいてくれた?」「はっはっは、もちろんさジョージ! それより土曜日のダンスパーティ、もう誘う娘は決めたのかい?」「うん……ロレインを誘いたいんだけど……でも、きっと彼女はもうパートナーがいるに決まってるよ」「何いってるんだよジョージ! まだわからないじゃないか! きっとロレインだっておまえが声をかけるのを待ってるはずだぜ!」などと完全に欧米(というかアメリカ)の盛り上がりを見せている。

 しーん……。

 オレとスーさんが対応できたのは、
最初の挨拶だけであった。
 どこで何をやればいいか全くわからないまま、オレたちは部屋の隅で壁に寄りかかってペタンと体育座りをし、「僕たちどうすればいいんでしょうね」「うん、わかんないね」などと
東洋の言葉でつぶやきあっていた。部屋にいる10人以上の人間の中で、オレとスーさんの2人だけが笑顔を見せていない。笑顔どころか、むしろマスコミの前の伊良部に近い表情である。
 おそらく彼女たちの間では、「ねえトレイシー、あの2人どうして連れて来たの?」「うーん、まあ何かの役に立つかと思って。ほら、
弾よけとか」のような会話がなされていたことだろう。

 どうもこのグループは、宿でオレたちを誘ってくれたイギリス人の女性と、部屋にいたアメリカ人のレイチェルの2人で仕切られているらしい。この若い2人の女の子に、他のごっつい男たちが従順に従っているのである。

 さて、そのままオレとスーさんは数時間、
その93%の時間を無言で過ごし、夕方になりそろそろ2人の存在感が究極の薄さに達し壁に溶け込みかけていた頃、やっとエルサレムからのメンバーと一緒に外へ出て、辺りを散歩することになった。

 ここもナブルスと同じように、いたるところで家がグシャングシャンに壊されている。ちなみにここラファでは、何の前触れも無く突然イスラエル軍がタンク(戦車)やブルドーザーに乗ってやって来て、家をなぎ倒していくらしい。
 もちろん家に人がいようとお構いなしで、何十人ものパレスチナ人が
瓦礫につぶされて死んでいる。

 なんでこいつら勝手に人の家を壊していくんだろうかとみんなで理由を考えたところ、多分国境地帯だから家を壊して見晴らをよくした方が軍にとっては
何かと都合がいいんじゃないかということになったらしい。そりゃあ都合がいいなら壊した方が楽だろうが、壊される方は困るし悲しいだろう。そういうふうに相手が感じるということはユダヤ人は知らないのだろうか? 脳がお粗末なのだろうか??

 スーダンから続くアラブ人の親切はパレスチナでもイヤというほど発揮され、道々で声をかけられるのは当たり前、家に招待され茶を出されるわ果物を持たされるわ、テレビ東京の「田舎に泊まろう!」をパレスチナ自治区で行ったら
あまりに簡単に宿泊場所が見つかりすぎて番組が成立しなくなるのではないかと思われるくらい、ひたすら親切を受ける。これでは、たとえ常に中立な立場でジャッジをする山本小鉄ですら、パレスチナ人の味方をしたくなることだろう。ちなみに大物レフェリーであるタイガー服部は、栓抜きで相手の額を割ろうとしている悪役レスラーよりも、それを止めに入ろうとするタッグパートナーの方を注意したりするので決して中立ではない。
 途中、小学校の前を通りかかったところ先生に声をかけられ、教室へ入れてもらう。もう生徒は帰宅していたのだが、そこには子供たちが図工の時間に描いた絵が並んでいた。みんなでこれかわいいね、やっぱりどこの国の子供も同じような絵を描くんだね、と和気あいあいと楽しく鑑賞
したかったところだが、そこにあった1枚の絵には何が描かれていたかというと、覆面をしたテロリストが、地面に備え付けられたロケット砲に弾丸を装填している絵であった。

 ……。

 
どんな小学生やねん……。
 さすがに日本の10歳児は、自由課題で絵を描かせても
テロリストの絵(しかもまさにテロを実行中)はあまり描かないのではないだろうか(号泣)。この子供たちにとって、武器を取ってイスラエル軍と戦うテロリストがどれだけ身近な存在かということだ。もうほんと何やってんだよイスラエルの大人!!!! ユダヤ人!!! このバカ!!!
 いくらイスラエル軍が暴力でパレスチナを抑えようとも、たとえ何人殺して恐怖を植えつけようとも、幼少期からイスラエルに対する闘争心を持った子供たちがこうしてどんどん育っているのである。それを更に締め付けを激しくし、家は壊すは人は撃つわ、これではどう考えてもテロリストを作り出しているユダヤ人の方ではないか。自分たちでテロの種を蒔いておいて、テロを警戒するとかいってパレスチナを虐待しているのだ。こいつらはアホなのか、それとも他民族の虐待が趣味なのか。

 その日は、オレとスーさんは一緒にパレスチナ人医師の家へ泊まることになった。イスラエル軍は外国人には危害を加えないことになっているという法則をうまく利用し、国境付近の家へ外国人を宿泊させ、その家を壊させないようにするのである。ここではオレたちがありがたく宿を提供してもらうことが、一方地元の彼らにとっては破壊の可能性を減らしてくれるありがたい存在(?)ということになるという、不思議なボランティア活動が成立しているのだ。
 ちなみに、エルサレムから一緒のイギリス人の女性ボスに連れられて家まで歩いていると、


 
ズォォん


 という、自分の内臓から響いているのじゃないかと思うような重低音が、右方向からやって来た。ファットイズザットと聞いてみると、
「あれはボム(爆弾)よ」ということであった。どこで爆発してるんだよボムはよお……(涙)。
 その医師の家では食べきれないほどの夕食を出してもらい、もうそろそろ自分の家がやばいということで近所から避難してきたモハマドくんも一緒に、5人で布団を並べて寝た。しかし数分おきに、窓の外からババババババババという
マシンガンの乱射音がするのである。どこで撃ってるんだろうと思っても、電気をつけて窓から顔を覗かせでもしたら狂気の軍隊の標的である。それでも、その日用意してくれた布団が温かくて心地よく、親切なパレスチナ人の家というだけで安宿よりも安心感があるのか、すんなり寝てしまったのだ。

 翌朝目が覚めると、というより、再びズバババババババという
激しい銃声で起床。しかし家の主人は、全く気にせずにささっと着替えると仕事に出かけて行った。この、オレたちにとっては想像の中と言ってもいいほど遠いニュースの世界の非日常が、今日布団を並べて寝た彼らにとっては日常なのである。なぜ彼らは、こんなついうっかり銃殺されてしまうような、不条理な世界に生まれさせられてしまったのだろうか。

 ちなみに、昨晩いただいた山盛りチャーハン風の夕食はまだまだオレとスーさんの胃袋の8分目まで入っており、もう別腹になるケーキくらいしか付け入る余地は無いのだが、ありがたいことに
新たな皿いっぱいの朝食が、目を覚ましたばかりのオレたちの前に運ばれてきた。ぐううむ……きた……このうれしい豪華もてなしパターン……
 ……。
 もしろんそうだ。
あんたの言う通りだ。
 辛い生活を送っているパレスチナ人が、こんなオレたち変質者のために一生懸命食事を用意してくれたのだ。喜んで食べるのが礼儀だ。
 しかしそういう常識はわかっていても、オレの胃袋の容量は決まっているのだ。
礼儀をわきまえた瞬間胃の容量が増えるわけではない。アラブの人々は世界一友人になりたい、数え切れない恩のある人達であるがただひとつだけ要望があるとするならば、「オタクの軟弱さ」について少しだけ理解をして欲しいということである。いるんだよ。世界には。食の細い旅人もいるんだよ(涙)。

 だがオレとスーさんは食べた。ここぞとばかりに根性を出した。
これしきの苦しみは、迫害されているパレスチナ人の苦しみと比べたら無に等しいものなんだ。そうだ。無なんだ。苦しみなど無いのだ。そしてやはり結構残したが、ちゃんと笑顔でごちそうさまが言えた。

 さて、朝6時半には医師の家を出て、昨日のメンバーと落ち合うためにまたご近所さんを尋ねた。そこにはイギリス女ボスとアメリカ人のグリークが泊まっていたのだが、まだ彼女らは起きたばかりであった。家の主であるおじいさんとおばあさんがオレたちを招いてくれ、たき火にあててくれる。そしてしばらく待っていると、「さあ、人数も増えたから十分用意したぞ!」と嬉しそうに言うおじいさんによって、
山と積まれた大量の朝食が運ばれてくるのであった。
 オレとスーさんは同時に叫んだ。


「おじいさんっ!!!! 僕たち、さっきアブハティさんのうちで朝食出してもらったところなんです!!!! だから、せっかくですが僕らはいいんで……」


若いのに何いっとるか!!! そんな遠慮しないでもいいんだ。あっちでも食って、こっちでもたくさん食えばいいんだ。ほら、パン食え。パン。肉も食え」


「……」



 オレはこっそり隣に座っていたアメリカ人のグリークに助けを求めた。


「ちょ、ちょっと! 僕らもうほんとにおなかいっぱいだから、代わりにパンとかたくさん食べてよ。ほんとさっき食べたばっかりなんだって」


「作者、
あきらめろ。ひたすらもてなしを受けるのもここでの仕事のうちだ。オレたちなんて、こんな調子で毎日平均3回は朝メシ食ってるんだから……」


「それは朝メシと呼べないんじゃないですか……(涙)」


おいおまえら!!! そこのジャパニーズ!! 何をコソコソとしとるか!!! 話なんかしとらんで、どんどん食べろ!! ほら、パン! おまえ食べてるか!?」


「も、もちろんです(号泣)!! お、おいしい!! うまい!! うわ〜〜、
秋の味覚の大運動会やわ〜〜」


「無駄口をたたいとらんでとっとと食え!!!」



「は〜い(号泣)」



 これはもちろん親切で出してもらっている食事なのだが、オレがよく理解できないのは「もう食べきれない」とか遠慮気味に言い出すとなぜかじいさんに
結構本気で怒られるということである。がんばって食べてるじゃん……よく食べたじゃん……もう勘弁してください(涙)。

 朝7時半の時点で満腹で身動きが取れなくなり、スーさんとともに地面を這う虫となる。すると、じいさんの家の向こう側からなんだかグイ〜〜〜〜〜ンと大きい機械が動くような音がしたので見てみると、数十メートル先のあぜ道を
イスラエル軍の戦車が砂煙を撒き散らして走っていた。
 よく見るとじいさんの家の壁は銃弾の穴だらけである。家族が全員家の中にいる時に、突然乱射を喰らったという。まさにこの家は国境近く破壊のラインにあり、裏庭に植えられていた70本の木とコンクリートの塀はユダヤ人兵士が乗った軍のブルドーザーに破壊され、ギリギリでこの家だけを、ボランティアの人間が立ちふさがることによって守ったというのだ。


 
その崩された塀は、なんとかこのじいさんが自分でひとつひとつ積み上げて再生した。一応また塀として役目を果たしているが、再び軍によってゴミクズのように壊されるのは、明日かもしれないし1週間後かもしれないし、今日かもしれないのである。



 次の日、オレはもう1人のボスであるアメリカ人のレイチェルに連れられて、エルサレムから一緒に来た全メンバーと、国境近くに建設中の住宅の周りに散らばせられた。もちろん、レイチェルやイギリスボスの言うように、外国人を撃たないシステムに則ってイスラエル軍からパレスチナの職人や家そのものを守るためだ。しかし、兵士の姿も見えないしオレとスーさんには今何かを守っているなどという実感は無く、ただポケーっと新日本プロレスのテレビ中継の変遷などについて無駄話をしていただけだ。

 しかしオレたち2人がなんだか団体に馴染めずに先にエルサレムに帰った数日後、ボスやグリークの前でレイチェルは家を破壊しようとした軍の重機を制止しようと飛び出し、そのまま押し潰されて死んでしまったのである。

 オレたちがガザの検問所から出る時、反対側に千人を越すと思われるパレスチナ人が行列を作っていた。おそらくイスラエルの領域に仕事に出ていた人達で、これからガザに戻るのに際しボディチェックを受けるのであろう。しかし、どう考えてもこの人数、最後尾がチェックを受けるまで4、5時間はかかるだろう。彼らは仕事帰りに毎日毎日こうして検問所で数時間並ばされるのだろうか。

 ちょいと小耳に挟んだところによると、ユダヤ人は2000年以上前にこのパレスチナの地から追い出され、それ以来辛い流浪の時代を過ごし、ホロコーストでは600万人が虐殺されたそうだ。
 彼らはパレスチナ人を使って、ナチスへの恨みでも晴らしているのだろうか?? ユダヤ人は、住処を奪われ自分や家族が殺されるということの悲しさを身に染みて知っているはずなのに、今では過去に自分たちを迫害した独裁者と全く同じことをしているではないか。

 
おまえらこの人殺しがー!!!


 
イスラエルの、人殺しーーーー!!!! 鬼〜! 悪魔〜〜!!










今日の一冊は、ももこの世界あっちこっちめぐり






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