〜素敵な誕生日♪(前編)〜 今年度版の大辞林を持っている人は、ぜひ一度「作者」の項目を引き、そこに書かれている同義語、類義語を見てもらいたい。おそらくそこには「ネットサーファー」「速水もこみち」などと一緒に、「腹痛」という言葉が記載されていることだろう。 以前からこの旅行記を読んでくださっている方々は、もしスターウォーズが腹痛をテーマにした物語だったら、作者は腹痛ジェダイマスターとしてヨーダのポジションに就けるほどの練達の士であることを、既によくご存知であろう。もし中国拳法に「腹痛拳」があったら、修行に来たジャッキーチェンに「下痢になればなるほど強くなる」という伝説の拳法を伝授する師匠役で出演が決まりそうなほど、腹痛については免許皆伝なのである。来年あたりは、新しい流派の立ち上げも視野に入れているくらいだ。 この旅の間、スーダンで食中毒になったことは考えないとしても(腹痛マスターの判断では食中毒は普通の腹痛とは違うカテゴリーなので)、オレはほぼ週1ペースで激しい腹痛=下痢に襲われてきた。 旅の初夜から猫の宿キャット&ムースのトイレで苦しみ、南アからジンバブエ国境へ向かうバスで悶絶し、マラウィのブランタイヤで唐突に腹が叫び宿までほふく前進し、ザンジバル島のビーチで命からがら辿りついたレストランの厠(かわや)に篭もり、ナイロビでサファリの帰りに腹痛我慢記録の自己ベストを更新し、青ナイルの観光帰りには意識を無くす一歩手前まで漏らす寸前で耐えた。 もしオレが旅の間に襲われた全腹痛の苦しみを正のエネルギーに変えたら、大型タンカーが横浜から敦賀まで航行できるくらいの動力が生み出せると言われるほどである。しかし、その各腹痛については今までは何も書かなかった。苦しんだことは他人に伝えてこそ、書いてこそ報われるものだが、あえてオレは書かなかった。それは、腹痛の話ばかり書いたら、旅行記ではなく闘病記になるからである。 だが、所詮今までの腹痛は今日の出来事へのプロローグに過ぎなかったのかもしれない。 いや、腹痛だけではない。この中東での27歳の誕生日のことを、たとえどんなに年老いてもオレは忘れることはないのではないか。たとえアルツハイマーにかかって自分の家族のことすらわからなくなっても、「おじいちゃん、27歳の誕生日に……」と言われたら「その話はよせ!!!」と逆上して孫をベランダから投げようとするのではないか。そしたらきっと嫁は「おじいちゃんと別々に住むか私と離婚するか、どっちか選んでよ!!」と旦那に迫るだろう。 ……という、ここまで書いたことは現実に思ったことではなくただの夢である。本気にしちゃやーよ。なんかそんな悪い予感の夢を見ながら、オレはエルサレムの宿で目覚めたのだ。ああ、夢でよかった。まさか誕生日にそんな悲惨な目に遭うなんて、実際問題あるわけないよね。ふう(目をクリクリさせてかわいく)! そんなわけでおはよう!! みんなおはよう!!! 再び戻って来た神聖なエルサレムで迎える今日は、オレの27回目の誕生日だぜっ!!! ヘイっ!! ヘイヘイっ!! そこの彼女! ちょっと祝ってかない? 一緒に踊らない? そして一緒に作らない? 甘く激しい思い出を。 ゴロゴロロゴリョリョロロ…… はあうっ! うおおごごごおおお…… なんだこりゃぁ……は、腹が……腹が暴れている…… うう、さっきあんな夢を見たのは、本当に腹が痛かったからなのか……。オレは起床した瞬間から(いやむしろ睡眠中から)ピーターアーツにボディを殴られたようなすっかり恒例の(号泣)腹の激痛を覚え、朝も早くから宿のトイレに日本赤軍のように立て籠もった。幸い先進国だけに洋式トイレだ。腿の筋肉の限界と戦いながら排泄せねばならない便座なしタイプや、中東・インド型トイレではない。 しかし海外で初めて迎える記念すべき誕生日だというのに、スタートから激しい下痢である。なんか基本的に祝われていない感じではないか。ひどい。ぴどちゅぎるっ(ハイテンション)!! 昨日ガザから帰ってきたのも夜遅かったし、ここ数日間のパレスチナでのへんな疲れのせいだろうか。それともガザで朝食を3回も食べさせられたからだろうか?? 今日は、再度スーさんと一緒にパレスチナ自治区、今度はナブルスより50kmほど北にあるジェニンという町へ行くことになっている。うーむ。これはどうしたものか。大丈夫かな腹……。まあ全部シャバシャバーっと出しちゃったから、多分もう出す物は残ってないと思うんだけど……。 「作者くん、おはようございます」 「おはようございますスーさん。今日ぼく誕生日なんですよ」 「あ、そう。それはおめでとうございます。じゃあもう行けますか?」※スーさんとは同年代だが微妙にお互い敬語 「そうですね。なんか腹の調子が悪かったんですけど、さっきトイレ行って来たんで……」 ゴロゴロロゴリョリョロロ…… 「はあうっ!」 「だ、大丈夫ですか?」 「うああああ……す、すいません、ちょっとビチビチ出してきますっ!!!!!」 「きたないなー(怒)」 オレは再度トイレに雪崩れ込んだ。便器に座り手は胸の前に抱え頭を膝につくくらいまで折り曲げる、かの有名な「耐える人」のポーズである。うめき声も忘れちゃダメだ。腹痛もオレくらいの熟練者になると、もう本当に本当に辛そうな、見る者が同情の涙を禁じえない芸術的辛さを醸し出していることであろう(現実に辛いし)。もしこのシーンを韓国映画にして上映したら、「500万人が泣いた!」というキャッチコピーが付くに違いない。 しばらくオレはシャバシャバー(擬音)っと、シャバダバシャバダバー♪ シャバダバシャバダバー♪ と下痢の妖精たち(液状)を便器に滑り込ませながら苦しんでいた。こんな体調で、ジェニンまで片道だけでも数時間の日帰りの旅が耐えられるのだろうか? 今日はゆっくり休んでいた方がいいのでは。でも1人ならまだしも、スーさんと約束してるからな……。お腹痛いから明日にしましょうなんて迷惑だよな。。 う〜ん悩みどころだが、もう2回もシャバっと出してるし、さすがに下痢も止まるんじゃないか。熱帯地域でも、激しいスコールの後は必ず太陽が顔を出すじゃないか。よし、ここは念には念を入れて、ハルツームの病院で手に入れた必殺下痢止めを飲んでおこう。アフリカの下痢止めはアスワンハイダムの仕組みを利用して作られているのではないかというほど強力に濁流をせき止めてくれるからな……。 オレは「出し切った」というイメージと薬を飲んだことで強気になり、自信を持って堂々と出かけることにした。自分の内臓を管理しているのはそもそも自分の頭脳であり潜在意識なわけで、オレが強い意志を持って大丈夫だと思えば大丈夫なはずなのだ。オレの腸はオレが管理してるんだ。 もちろん今までの下痢の歴史を振り返るとそんな屁理屈が通じるわけがないのだが、しかし下痢というのは一度シャバシャバっと出してしまうとその直後は一旦スッキリするものなので、トイレから出るとさっきまでの苦しみも忘れて強気になってしまうのであった。 オレとスーさんは乗り合いバスでまずエルサレムから一番近いチェックポイントまで行き、さらにバスを乗り換えて、何度も途中で降ろされて腹をめくらされ爆弾チェックを受けたりしながら(自爆しないっつーの!!)、2時間ほど北上しジェニン地区へ入った。 オレたちはとりあえずすぐにタクシーと交渉して、過去に事件のあった市内のめぼしい場所を回ってもらうことにした。運転手は気前のいいアラブ人のおっさんで、他のパレスチナの人々と同様イスラエル軍の横暴を訴えるのにはとても熱心であった。この地域は2002年に戦車やヘリ、戦闘機まで投入した大量破壊、虐殺が起こったところである。市内の道路はその爆撃の影響で、陥没だらけだ。 そこかしこの道でイスラエル軍が幅を利かせていて、軍により道が封鎖されているために何度もUターンをするハメになった。もう、なんでこいつらいるんだ? ここはパレスチナの人が住んでる土地だろうが!!! おまえらは技術があるんだから地中海に島でも造って勝手に住めよ!!! パレスチナの人に迷惑をかけるんじゃない!! このイカレポンチがっ!!!! まあ基本的にオレたちが一番部外者ではあるのだが、しかし人はこういう時自分はさておくものだし、オレたちはユダヤ人兵士と違って誰も殺していない。むしろ愛に溢れているのだ。だからイスラエル兵よりはオレの方が無害だと思う。地球に優しいと思う。 さて、おっさんの運転で町外れの記念碑を見に行くと、その数十メートル先でやはりイスラエル軍が道を閉鎖していた。迷彩服で重装備のユダヤ人兵士どもが意地悪そうにたむろしている。うーん、ここもダメか。 「おまえら残念だな。もう先に進めないから、町の方へ戻るぞ」 「はい。仕方がないですね」 そう言って、タクシーがUターンをして来た道を戻ろうとした時。後ろから何か声が…… 「⊆ζΞ※×д〇$□△£※ИЧメ!!!!」 なんだ? 誰が叫んでいるんだ?? オレは1人で後部座席に座っていたのでリアウィンドーごしに振り返ると、ごっつい自動小銃というのか、ライフルを構えたイスラエル兵が怒鳴りながらこちらへ向かって走って来るのが見える。うーん。なんか、やばくないすかこれ?? そのまま兵士はスーさんの座る助手席の横まで駆け寄って来た。そして、「⊆ζΞ※×д〇$□△£※ИЧメ!!!!」とヘブライ語かなんかで叫びながら、全開になっていた窓からライフルの銃口を突っ込んでスーさんと運転手を撃とうとしている。 オレは椅子から転げ落ちた。 ……。 おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいっっ!!!!! ちょっとまてえっっ!!!! 兵士っ!!!! なんもしてないじゃんかオレたちっ!!!! 人類みな兄弟じゃんかっっっっっ!!!!! ほら、オレたちもキミと同じように、手も2本、足も2本生えているよ? 目も二つあるよ?? 似てるでしょう? 同じ種族でしょう?? そおいう、そお〜〜ゆうことはやっちゃいけないと思うな。見ればキミはまだ20代くらいの立派な青年じゃないか。人生を誤っちゃいかんよ。どうかと思う。そんなに人にむやみに銃を突きつけるのはどうかと思うよおじさんは。ね、ほら、オレ今日誕生日なの。奇遇でしょ。ねえ、誕生日だっていうのにそんなライフルを向けないでよ。逆に祝福してよ。銃じゃなくて「おめでとうっ!」て言ってよ。もしかしてこれあれ? 引き金を引くとパンっ! って銃口から万国旗とかが出てくる仕掛け?? サプライズパーティ?? 体はシェ〜の形で固まりながら、そんなことを考えて1秒が1時間くらいに、マトリックスの世界にでも入り込んだかのようにオレは時がスローモーションに感じられた(しかしながらさすがに1秒が1時間は大袈裟である)。 しかし、強気なのはパレスチナの熱い血を持つ運転手のおっさんだった。銃口を向けられても、ほとんど動じずに「こーの若造がっ!!!」というような勢いで兵士に怒鳴り返している。たしかにそうだ。よく考えりゃこっちはタクシーに乗車して道を走っていただけでいきなりいわれもなく銃を突きつけられているのである。怒っていい立場じゃないか。普通兵士じゃなくて、こっちが怒る方である。まあ、たとえ国際司法裁判所で「今キミたちは怒って当然である」という判決が出ようともオレは絶対に怒鳴り返さんけどな。 だいたいなあ……、ビビリすぎてうめき声さえ出ねえんだよっっっ!!!!!! しかし運転手さんはさておき、ほとんど銃口が体にくっついている、兵士がちょっと人差し指に力を加えれば人生が終焉を迎える状態にいるスーさんも、妙に冷静であった。いや、冷静というよりも、ライフルを突きつけられるという状態があまりにも現実離れしているため、これが危険であるという実感も無かったのではないか。正直、オレもちょっとそんな感じだった。銃で撃たれたら痛いかどうかとか、そういうのよく知らないし。太陽にほえろの刑事も、1発撃たれたくらいなら8時48分には全て完治してたし。別に恐くないんじゃないの銃なんて。 スーさんは、「オレたちは日本から来たんだよ。観光客ですよ」と言いつつパスポートを見せている。実に動じない人だ。 権力と武力で増長したユダヤ人の若造は運転手に銃口を向け、何やら激しく怒鳴りながら要求している。てめーそれをこっちによこせ!!! と叫んでいるようだ。さすがにいざとなったら容赦なく発砲されるということをパレスチナに住むおっさんは知っているようで、仕方なくエンジンを止め、キーを抜いて兵士に差し出した。そして、若造はキーをひったくると、ようやくライフルを引っ込めそのまま他の兵士のいるバリケードのところまで戻って行った。 しーん……。 そしてオレたちはその場にポツンと取り残された。 だってキーが無いんだから。ただ道の真ん中に、今ではただの鉄の箱と化したタクシーと、その中に運転手とオレとスーさんの3人。特に会話も無い。なにしろわけがわからない。 10分20分経つに連れて、しかしなんとなく日本人も我に返り、腹立たしい気持ちになってきた。後ろを見ると、さっきの兵士は仲間とニヤニヤしながら無駄話をしている。……どう考えてもこれはただの嫌がらせではないか。おいこのクソ兵士が!! てめーだよコラ!! このカス!! おまえ、命拾いしたな!! もしオレが今日下痢じゃなかったら作者流究極奥義でてめーの醜い5体を砕き、一生ワルツも踊れなきゃ人も愛せない体にしてやっていたところじゃっ!! クソマーック(アラビア語のF言葉)!!!!! オレたちは三者三様三々五々、四方八方に向かって暴言を吐いた。おじさんはタクシーを捨てるわけにはいかないし、オレたちもおじさんとタクシーを見捨てるわけにはいかないし、そもそも道も知らんし距離もわからんし歩いて帰れるもんじゃない。このままあのスーパーフリーに勝るとも劣らないバカの集まりであるイスラエル軍におちょくられじっと待っていなければいけないのか。泣き寝入りし続けなければならないのか。 ……いや。 オレたちは、戦わなければならない。 弱い者には、弱い者なりに感情、そしてプライドがあるのだ。意味も無く銃を突きつけられ脅され愚弄された人間が、どれだけ怒りを覚えているかということを奴らに知らせなければいけないのではないか。 黙っているのは、困難から逃げているのと同じだ。こんな非道な扱いを受けて、何の抵抗もせずにただおびえるだけ。それでは、自ら自分の存在を否定しているようなものではないか。鼠だって、追い詰められたら猫に立ち向かっていくのだ。このままユダヤ人の言いなりになるくらいなら死んだ方がマシだっ!! このまま惨めに沈黙を守るままなんて、男としてそんな情けないマネできるわけねえんだよっ!!! なんてそんなりりしいことを言ってみたくはあるけれど、なかなかそうそう勇気が出ないのが現実ざますわねえ。 だって怖いんだもんライフル……。怖いでしょ? あなただってライフル怖いでしょっ(涙)!!!! とか言っている間にだいたい1時間近くボケーっとキーの無いタクシーで過ごしただろうか。 さっきのカスが、こっちに向かって何か言っている。オレたちが振り返ると、そいつは持っていたキーを下手でポーンと地面に向かって投げた。土の上に転がるタクシーのキー。 運転手は車から出て、地べたから若造が投げたキーを拾いあげ、再び戻って来た。やっと嫌がらせタイムは終了したようだ。 ……なんつー態度なんだこいつら。 おまえらだって一応お父さんもお母さんもいるんだろうがよ。年長者の運転手さんをもっと敬わんかっ!!! キーを地べたに投げて拾いに来させるとは何事だっ!!! おまえオール巨人師匠の弟子だったら絶対パンパンやぞ!!! オレの部活の後輩だったら拳立て500回と乱捕り20本じゃ!!! こいつら絶対に自分たちが世界で一番偉いと思っていやがる……。ユダヤ人兵士と比べたら、立川談志がめちゃめちゃ謙虚な人に見えてくるぞ……。 そしてやっとのことでタクシーは復活し、オレたちはなんとか町まで戻ることが出来た。いやー、何事も無くてよかった……。本当にあせったぞ。これもしかして、やっぱりスーさんと運転手さん、兵士もグルでオレの誕生日のサプライズを仕掛けてくれたんじゃないの? もしそうだとしたら、サプライズさせすぎじゃっ!!!! ゴロゴロロゴリョリョロロ…… ……。 さて、ジェニンの中心に戻り運転手のおじさんに感謝し平穏を祈りつつ別れた後、今日はもう早めにエルサレムに戻ることにした。なんかえらい脂汗が出て来たからな。ここ数日間で、たとえテロリストを警戒するためとはいえ、どれだけイスラエル軍が人道にもとる行為をしているかがよくわかった。 しかし、オレの27歳悲しい誕生日は、まだまだ後半の悲劇へと続くのであった。 今日の一冊は、友情 (岩波文庫) |