〜もっともっと北へ〜





 なんじゃあこの寒さは〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!
 
おおおおお〜〜〜〜っっ!!! トイレ休憩なんて行ってる場合じゃねーぞっ!! ダメだっ!! もうダメ!! 戻る!!!

 オレは夜行バスから降りて休憩所に向かい20mほど歩いたところで、
命の危険を感じ慌ててUターンし、ダッシュで車内の寝台へ戻り毛布を被った。ななな、なんでこんなに寒いんだ……。ウェイシェンマ、ウェイシェンマこんなに寒いんだ……(涙)。 ※ウェイシェンマ=なぜ、どうして
 現在夜の11時、西安から山西省の省都である太原へ向かい、夜行寝台バスでの移動中だ。発車から2時間ほど経ったところで休憩所で停車したのだが、一歩バスを出るとそこは
氷点下の世界であった。もう、寒いなんてもんじゃない。本当に寒いなんてもんじゃない。「寒いなんてもんじゃない」って言っても暑いわけではなく、寒いは寒いんだけど。だからやっぱり、寒いなんてもんだ。寒いなんてもんだけど、ただ「寒い」だけでは済ませたくない、少なくともこの寒さを体験していない太平洋沿岸地域在住のご婦人「わかるわよ作者さん、あなたは今、寒いのよね?」などと軽々しく口にしてもらいたくないけたたましい寒さだ。何もわかってない奴に同情なんかして欲しくないねっっ(涙)!!!!
 いきなりこのような急展開の寒さに襲われている原因は、12月という季節に加えてオレが西安からひと晩かけて一気に北上し、大陸北部へ向かっているからである。まあとにかくどうにもこうにも寒いんですが。西安から2時間分北に進んだだけでこんなに寒いのに、これから我々は更に10時間近く北上を続けるのである。ガイドブックを見たところ、目的の太原市は12月の平均気温が−5℃、また、平均の最低気温は−10.5℃ということである。到着予定時刻は明日の朝6時なので、日の出が遅いこの季節では最低気温にかなり近い数字が期待される時間帯だ。う〜〜〜〜〜〜〜〜〜む。そんな時間に着いたら死んじまうっ(涙)。マイナス10℃の見ず知らずの暗い町で宿を探すところから始めなきゃいけないんだぞオレは。頼むから遅れて到着してくれっっ(泣)。頼むから気温が高まる昼過ぎ、3人の女性が互いに結婚しないことを誓い合い、男に縛られずに強く生きていく様を描いたフジテレビの午後ドラ「非婚同盟」がオンエアされているくらいの時間に着いてくれ〜〜っっ(号泣)。

 とりあえず暖房の効いたこの車内で備品のネッチョリ油っぽい毛布を被っている限り、窓の外の氷点下の闇とは隔離されている。いいか、この氷点下の闇が陽の光に照らされるまで、それまでは絶対にバスから出てはいかんぞ。
これは勅命だ。いかなる理由があろうとも異を唱えることは許されない。もし太陽が昇る前にフラフラと町に迷い出たら、「作者は旅先では死なない」という不敗神話が崩れてしまうことになりかねん。

 例によって神経質すぎて(そしてハンサムすぎて)夜行電車にしろ夜行バスにしろ一切寝ることが出来ないオレは、幹線道路をかっ飛ばす車内から冷たく暗い外の景色を身も心も震えながらボーっと見ていた。「うわー、めっちゃ恐いわ外……こんなところに放り出されたらまじで絶望だわ……」と心のひとりごとをつぶやきながら。
 すると、朝の4時少し前という
ディープインパクトな時間に、再びトイレ休憩のためにバスは道端に停車した。……朝の4時に、トイレ休憩が必要か?? トイレにも迷惑だろこんな時間に押しかけて!!
 今外に出たら
ワカサギでも凍死しそうなブリザードな状況であるのに、他の乗客は一斉にバスから降りて行っている。あんたらさあ、おかしいよ感覚が。死ぬだろ今外に出たら? おまえらは命よりオシッコの方が大事なのかよっっ!!!



「おーいそこの若造! おまえも降りろよ!」


「じゃかましいっ!!! オレは降りんぞっ!! こんなところで外のトイレに行くくらいなら満を持して漏らした方がマシだっ!!!」



 休憩中に車内清掃でもしたいのか、料金係がしきりに車から出るように命令してくる。でもオレは、決して動じない。オレは降りん。
なにがなんでも降りん。テレビ東京の地味な時代劇は「逃亡者おりん」。
 頑強に料金係を無視し続けながら窓の外に目をやると、バスの下のトランクが開けられ、他の乗客が荷物を受け取り一斉に四方に散って行くのが見えた。いったい朝の4時からどこを目指すんだあんたらは。


 …………。


 
あの、この光景って、もしかして。



「あの〜、つかぬことをお伺いしますが、ここはひょっとして終点の太原ですか? 太原到了(タイユエンタオラ)?」


「そうだよっ! もう車庫に入るんだからとっとと降りろってんだよっ!!! 
この営業妨害野郎!!!」


「はーい……」



 オレは慌てて荷物を持ってバスを降り、
3歩進んだところで凍えて身動きが取れなくなった。


 
あああああ〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!! ぎゃあああああ〜〜〜〜〜〜っっっ!!!! 寒い〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!! ぎゃしゃ〜〜〜〜〜っっ!!!! ぎょしょ〜(魚醤)〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!


 バスは走り去り、
オレはただ一人太原の真っ暗な歩道に取り残された。ここはどこなんだ(号泣)。今、4時。どう考えても1日のうちで最低気温の達成が最も期待される時間。忘れないように復習すると12月の太原の平均最低気温は−10℃である。なるほど、これが−10℃の世界。そりゃあオシッコも凍るわ……ってオレのバックパックがっ!!!! ぐお〜〜〜〜〜っ!!!!
 オレの巨大なバックパックはトランクから出されて街路樹の根元に張った氷の上にスコーンと放り出されていたのだが、その氷は、
色が妙に黄色な上に、なにやら泡立った状態で固まっている。いやはや……。これはどう考えても、お小水の水溜りが凍ったものではないか。名づけて「おしっ氷」ではないか。
 う……、
いいんだよっ!!! 凍ってるからいいんだっっ!!! ほら、こうしてバックパックを拾い上げればおしっ氷とバックパックは完全分離、最初から一切触れていなかったかのようじゃないっ!!!! 全然汚くないじゃない!!! というか汚くても汚くなくてもいいけど、寒いっ!!! 冷たい〜〜っっ!!!! 冷たいのも汚いのも冷たいのも寒いのも汚いのもいやだ〜〜〜〜っっ(号泣)!!!!
 っていうか、きっとこれはおしっ氷じゃなくて、レモンシロップのカキ氷だよ。
よく道端に落ちてるもんねレモンシロップのカキ氷。厳冬とはいえ。

 オレは腹にサブリュックを下げバックパックを背負い、さらに手提げ袋(トイレットペーパー12ロール入り)を持った行商人スタイルで完全に
どうしたらいいかわからなくなった。寒い。ここはどこだ。痛い。このままだと太陽より先にオレが天に昇るのではないか。だいたい、なんで今日に限って早く着くんだよっ!!! 今日以外はいつも遅れるくせにっ!!! わざとだろう!! バスが予定より早く着いたのなんて中国に来て初めてだぞっっ!!! 絶対オレが乗ってるのを知ってて嫌がらせしてるんだろうおまえっっ!!!! さみ〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっ!!!!!
 とりあえず、立ち止まっていると本格的に凍死しそうだったのでオレは広い通りを目指して歩いた。人通りの無い暗い氷点下の、午前4時の見知らぬ町を歩いた。するとしばらくして運良く道端に止まっているタクシーを見つけたのだが、屋根のランプはついているもののエンジンはかかっておらず誰も乗っていないようだ。と思ったら、近づいてみると中で運転手が寝ていた。



「ウワシャーーーッッ!! ここに寒さから逃れるためならどんな大金でも払う気でいる上客がいるのに、のうのうと寝ているとは何事だ〜〜〜っ!!! それでも金に汚いタクシードライバーかおまえは〜っっ!!! ドゴ〜〜ン!!」


ハオッ!! オ、オーー! ニーチュイナーリ!?」


「どこでもっっ!!! どんなに高くてもいいから、私をお宿に連れてって(涙)!!! 部屋に! 部屋というものの中に入れなさい私をっ!!! 金が足りなかったら体で払うからっっ!!! この豊満な体でっっ!!!」


「トエ。ライライ!」



 すると、開いた。タクシーのドアが。乗った。タクシーに。
 早朝ドライバーは完全に寝ぼけたままジグザグ走行で太原の町を走り、オレはやっとのことで深夜営業のサウナ兼お宿にたどり着くと、
覚醒したドライバーからもサウナからも派手にボッタくられた。……いいんだ。命さえあれば再起を図ることは出来る。劉邦の軍師の韓信だって、つまらぬ争いを避けるために乱暴者どもの言うがまま彼らの股をくぐったではないか(淮陰の股くぐり)。今はとにかく何よりも暖房が大事である。命より暖房が大事である。

 サウナ兼お宿はボッタクられたとはいえとても防寒対策には力を入れており、オレはなんとかそこで暖まり、4時間ほどぐっすり眠ることができた。しかし昼前に起き出して、すぐに冷たくなっているバックパックを背負いチェックアウト。さて、ここまで来るのはタクシーに身を任せていたため、今自分がどこにいるのか全然わからん。
 サウナ兼お宿から一歩外に出ると、氷点下の風がオレのぷるんぷるんで弾ける果実のような頬をカチコチキッチーーン!と凍らせる。今なら、
ほっぺたで釘が打てる状態だ。……だからといって、もちろん本当にほっぺたで釘を打ったりはしないよ。なぜなら、プロの大工さんが使い慣れた専用の道具で釘を打つからこそ、耐久性や安定性に優れ見た目にも均整のとれた美しい家が出来上がるんじゃないか。もしあんたが家を買うとしたら、ほっぺたやバナナで釘を打った家に大金を払おうと思うか? 思わないだろう。住まいってのは、一生の問題なんだぞ? そこまで考えてから物を言うようにしろよなっっ!!! 出来上がった家を買う覚悟が無いんなら、「ほっぺたで釘を打ってみてよ」なんて簡単に言うじゃねえよテメーっっ!!!!



「タクシ〜〜っ!!! 出租汽車〜〜!! ちゅーつーちーちょー!!!」




 宿の前の通りにまきびしを撒いて無理矢理タクシーを止めると、荷物を放り込んで太原駅前まで連れて行ってもらう。駅前で降りるとすぐ近くに長途汽車站があった。他の都市と同じく汽車站にはたくさんのバスが並んでいて、そのうちで発車直前のバスの料金係はわかりやすいように車外に出て行き先を叫んでいる。だが、あまりの寒さに全員完全なる
絶叫になっている。そしてバスに乗る人、降りてどこかに行く人、ただの通りがかりの人、どの人も移動は基本的に全力疾走。止まると、凍るからだ。
 近くの売店に陳列されているペットボトルのジュースも、冷蔵庫に入っているわけでもないのに
全て凍っている有様。常温で凍っているということは、どうやって飲むんだ?? 春を待って飲むしかないのか??
 トルコで同じように早朝にバスから降ろされた雪のエルズルムも、雪山に囲まれていたパキスタンのフンザも、思えばこんな肌の痛い寒さだった。

この辺で朝4時にバスから降ろされたのだ。おしっ氷もこの辺にあったのだ。



 サウナに2泊も出来ないので近隣を歩きながら今日の宿を物色しようとしているオレだったが、すぐに荷物を持つ指がちぎれそうに冷たくなり、もはや最初に見つけた旅社(安宿)に飛び込むしかなかった。しかしその宿の部屋は洋式トイレ付きのシングルルームだったにもかかわらず、トイレのふたを開けると
前の宿泊客の出したものが水面にぷかーんと漂っており、なおかつレバーを捻っても一切流れないのだ。いえ〜い! 中国最高だぜっ!!! 普通だったらこんな部屋に新しい客を入れないもん絶対!! 嬉しいなあ! 他の国でも滅多に味わうことが出来ない貴重な体験よ!!!

 …………。

 オレはこの旅で、
いったいどれだけの人種の、何百人分の排泄物を見てきたのだろう。やっぱり、旅って素晴らしいな。だって日本で生活していたら、一生かかってもこんなに数多くの汚物は見ることが出来ないんだから。日本人100人が一生のうちに見られるかどうかの数の汚物に、オレはたった1年で出会えてしまったのだから。すごく身の詰まった体験をしたよなオレ。

 あまりにも腹立たしいのですぐにオレは次の町へ移動した。5時間で邯鄲へ。そしてまた5時間で石家庄へ。寒さのピークは太原の街だったが、しかし多少マシになったとはいえまだまだ氷点下の世界からは出られない。
 寒い中でバスに乗っていると当然のごとく窓に結露がつくのだが、もうここ最近はその窓の
内側についた結露が凍っているのである。窓の外ならまだわかるが、内側なのに凍っているんだぞ?? 氷河期かよっ!!

 しかし寒さと戦いながら……
「観光」はバックパッカーの義務。目的地に着いたら、必殺の大暴れ猛ダッシュ観光(常に走り回り停止中もその場で駆け足し少しでも寒さを軽減しながら行う観光)である。



いやいや……









や〜〜め〜〜ろ〜〜よ〜〜〜〜










お釈迦さまの手の上の悟空。






 手の上の悟空といえば、オレのこの旅も、結局は釈迦の手から出られない孫悟空とあまり変わらないような気がするのだ。なんとなく。踊らされているこのオレは。
 北京に着いても、寒さは和らぐことはなかった。最低気温が−8℃で最高気温は−1℃とか、そんな状態。しかも、北京はとにかく広すぎる。観光に出かけて夜帰って来ようとしたらわけのわからないところでバスから降ろされて現在地がわからず指も耳も感覚がなくなり死にもの狂いで帰り道を探す、なんてこともあった。

↓これはその、死にもの狂いの最中に撮った写真。「辛い時は写真なんか撮る気にならないけど、でも無理して撮っておいた方が後から見返して『うわ〜〜この時めちゃめちゃ辛かった〜〜〜きゃわ〜〜〜っっ(興奮と恐怖のおたけび)!!!』というようにがぜん盛り上がれる」というのは旅の終盤でわかって来た教訓。









盧溝橋にて。キミも寒そうだね……










重装備になって万里の長城、司馬台へ。しかし氷点下の風に吹き飛ばされそうであった。










成都のルームメイト、一緒に四川料理を食べに行った馬くん(北京在住)&その彼女と、今度は北京ダックをしこたま食う。















 やっと来たよ北京に。

 それにしても寒い……。
何度も何度も言ったけど、オレは本当に寒いのが苦手なんだって(号泣)。暑いのも苦手だけど(号泣)。全部苦手なの(号泣)。

 次回、最終回です。






今日のおすすめ本は、ここまでの話+αを本で 中国なんて二度と行くかボケ!! ・・・・・・でもまた行きたいかも。 (幻冬舎文庫)






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