〜魔都〜





 そして翌朝。今日はまた移動日だ。桂林、黄山と中国の自然の真髄を見た後、次に向かうは香港と並ぶあの大経済都市である。「あの大経済都市である」とかもったいぶっているが、別にもったいぶる必要のあるような場所でもない。みなさんよくご存知のあの街だ。
 それでは無駄にもったいぶらずに、躊躇せずに今から行き先を発表しようと思う。立ち上がったらすぐにどこに行くか発表しようと思う。
「すっく」と立ち上がるや否や発表しようと思う。よし、立ち上がるぞっ!!!
 すっ
くお゙お゙お゙お゙お゙お゙〜〜〜〜〜〜〜っっ(涙)!!!
 
あああ足があああ〜〜〜足が、いや、下半身があああいだい〜〜〜〜〜〜いだあああおをををいだい〜〜〜〜〜〜〜(号泣)。おおおっ、たっ、立てないっっ! ヨレヨレッ……、ドテーーン!!! ネチョ〜〜〜ン(涙)!!!!
 なんじゃこりゃ……おおお……。腰から下、股間も太腿も外腿も内腿も桃のような尻も膝もふくらはぎも足首もつま先も、
余すところなく激しい筋肉痛になっている。しかもただの筋肉痛じゃない。これはただの筋肉痛じゃないよ。じゃあどんな筋肉痛かというと、つまり、ただものではない筋肉痛だ。「所さんのただものではない」クラスの筋肉痛だ。懐かしいなあ、間下このみ・カケフくん・次郎さん(元朝潮)の名物トリオは今は何してるんだろうなあ? というくらい激しい筋肉痛だ。
 なにしろ昨日は朝6時に宿を出て夜8時過ぎに帰宿するまで、
ほぼ14時間歩きっぱなしだったのだ。しかもそのうち10時間くらいは階段の上り下りである。ひょっとして、昨日1日でオレは伊能忠敬より歩いたんじゃないだろうか。そうに違いない。なにしろ、伊能忠敬が筋肉痛で歩けなくなった話なんて聞いたことないからな。伊能を超えてしまったかオレは。

 
はお〜〜〜〜〜っ!!!! ヨレヨレッ

 
ほおおお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!! ぷるぷるっ

 オレはつま先から膝から股まで全ての下半身を
予防接種を打たれる寸前のムクくらいの勢いでプルプルと震わせ、しかし気丈にも「おおおお〜〜〜」とわめき続けながら頑張ってトイレへ向かった。毎回毎回トイレの話ばかりでしつこいが、中国の旅に慣れた今、もはやオレは見知らぬおっさんと股間を通じた裸と裸の付き合い(下半身だけ)が毎朝の日課になっているから、トイレ話はオレのライフワークであり外すわけにはいかないんだ。
 公衆便所のドアを開けると、既に尻をさらけ出して
ウェルカム状態の人民のおじさんが1人溝の上で踏ん張っていた。そうだ。中国の公共厠所では、尻を出せば誰もが朋友なんだ!!
 ここは1本の溝の上に仕切りを作ってみんなで並ぶタイプの便所で、
水が流れる時間までは汚物がどんどん溜まって行くシステム(嫌なシステム)なのだが、まだ朝早いためオレが選んだ部分の溝には、誰の汚物も入っていなかった。やはり、切実に早起きは三文の得だぜ。いやいや、ちょっと待ってよ、三文どころの得じゃ済まされないよ。三文といったらせいぜい50円くらいの価値ということじゃないか。トイレに行って足下30cmの人の排泄物の上に自分のものをボテッと落とすのと、何もない清潔な溝に出すのと、たった50円の差か? 違うだろう。汚物まみれの中国のトイレで、「人の大便の上に自分の便を重ねなくていい権利」が売られていたらオレは500円は出すぞ。だってその1日が気分良く過ごせるか、その日1日ずっと思い出し吐き気を堪えながら過ごすか、その違いは余りにも大きいじゃないか。

 はお〜〜〜〜〜っ!!!! ヨレヨレッ

 
ほおおお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!! ぷるぷるっ

 ……パンツをずり下げたところで、
快感と痛みが合わさった究極のよがり声を上げながら溝の上にしゃがむ。ほおおお〜〜〜〜っっ(筋肉痛排泄のおたけび)!!! なんか、痛いけど、筋肉痛排泄は気持ちいい……。こんなに気持ちいいのなら、できることなら20メートルぐらいの長い大便を排泄してなるべく長時間続けて快感を堪能したい……。溝が長いから、仕切りを乗り越えて隣に移動しながら出し続ければはみ出ることもないし……。仕切りにはびろーんと便が乗っかっちゃうけど。
 用を済ませた後しばらくしゃがんだまま放心状態で沢尻を休ませていると、いきなり溝の上流から
ゴオオオオオオ〜〜〜〜ッ!!!!という音が聞こえて来た。こ、これは、汚物を流す定時水洗だ!! 避けなければっ!!!!!
 このような溝式トイレでは一定時間ごとに上流から下流に勢い良く水を流して排泄物を一掃するのだが、なにしろ尻のすぐ下での出来事なため、
自分が下流にいようものならその時溜まっていた上流からの全ての汚物が濁流となって、激しいしぶきをあげながら眼下を流れゆくことになる。今日のオレは上流のポジションを取っているためさほど被害は大きくないだろうが、それでも水流が来たらすぐに立ち上がってしぶきをかわさなければならないというのは旅行者として、いや人としての責務だ。よーし、立ち上がるぞっ!! 「すっく」と立ち上がるぞっ!!!
 すっ
くお゙お゙お゙お゙お゙お゙〜〜〜〜〜〜〜っっ(涙)!!!
 
いだい〜〜〜〜っっ!!!! 下半身が痛くて全然動けませ〜〜んっ(号泣)!!!!


 
ゴーーーーーーーーーーーーーーー(水流)


 ピチャッ!! ピチャピチャッ!!! 
ネチョ〜〜〜ン(涙)!!!

 あっ、つ、冷たいなあ……。もうすぐ11月だから水も冷たいんだなあ……。
そろそろ、冬将軍の到来だね。


 
バスに乗って黄山から9時間半(いちいち長い)。大都会、魔都・上海の夜景だ。





 なぜだろう。本やマンガなどでのイメージがあるからだろうか? 夜の上海の街を歩くと、なぜか恐い。同じように香港やシンガポール、バンコクにクアラルンプールなども夜遅くまで街は明るく賑わっていたが、上海はどうも油断出来ない怖さがある。なんというか、歩く道を1本間違えてしまうと、どす黒い魔都のブラックホールのようなものに吸い込まれそうな気がするのだ。
 だいたい、「魔都・上海」という呼び方があまりにもおどろおどろしい。帝都大戦みたいだ。こういう場合は選挙のように名前をひらいて更に区切る場所をずらし、
「まとしゃん、ハイ!」とすれば、「まことちゃん」とか「たけしくん、ハイ!」みたいなほのぼのとした感じが出るじゃないか。これから上海の観光誘致のコピーは「まとしゃん、ハイ!」にしてみたらどうだろう。「魔都・上海」よりは旅行者が来たくなると思うのだが。

 ともあれ、上海まで来た。もう本当に旅のゴールは近い。最終目的地の北京まで、あとたったの1000kmちょっとなのだ。1000kmといえば、
馬軍団の選手だったらほんの3日もあれば走ってしまえる距離であろう。まあオレは馬軍団ではなくB-boyだからそんなには早くないけど……。※B-boyのBは、ブレイクダンスのことです。
 馬軍団では3日、B−boyなら20日の距離といっても何もわざわざ歩かずに火車(電車)に乗ればいいわけで、それであればもう
10時間もあれば着いてしまうのだ。もはやオレはゴールまで1日や2日で辿り着ける位置にいる。もう少し遠回りをするつもりだが、しかしグレートジンバブエ遺跡の観光をしていた頃と比べたら、もう旅の終わりは完全に目と鼻の先である。というか、ジンバブエとかにいた時のオレ、よく中国に行こうとしてたよな……。だって、逆にここからジンバブエを目指すとか、絶対有り得ないもん。絶対無理だってここからそんな地球の果てに行くのなんて。アフリカから中国まで来るのがこんなに大変なことだとあの時わかっていたら、オレは決して中国に来ようとしなかったぞ。言ってやりたい。あの頃のオレに。大変だから中国を目指すのなんてやめてとっとと帰れと。
 すごろくにはよく「ふりだしに戻る」なんてコマがあるが、もしこの旅がすごろくだとして仮に明日くらいに「ふりだし(南アフリカ共和国)に戻る」のコマに止まったとしたら、オレは、ふりだしに
戻らない。絶対に戻らない。ルールなんて無視して、泣きながら全力で拒否する。

 それはそうと、せっかく来たんだし少し夜の上海を歩いてみよう。外灘(上海市街の川のあたりの呼び名)の風を浴びながら散歩をしよう。


 
はお〜〜〜〜〜っ!!!! ヨレヨレッ

 
ほおおお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!! ぷるぷるっ




「あなたはニホンジンですか?」



 まるで昼間のようにネオンで照らされた上海の街を時速20mでプルプルと進んでいると、中国で初めて見る日本語使い現地人がやって来た。



「そうでーす。プルプル歩いているので一見
プルトガル人に見えるかもしれないけど、実はニホンジンなのです」


「今日は1人で旅行ですか?」


「はい。旅行つまり中国語でいうとリューヨーですね」


「おお〜、あなたスゴイじゃないですか! 中国語できるんですか!」


「いやとんでもないですよ。いくつかの単語を知っているだけです」


「それでもスゴイですよ! あなたとてもアタマいいのですね!」


「いやあそうですか〜〜〜っ? それほどでもないと思いますけど〜〜! でもたしかに時々、日常のふとした瞬間にオレって普通の人と比べてあまりにも頭が良すぎるのかなあって気付いちゃう時がないでもないですけどっ」


「あなたきっとモテますよ。わたし、キレイな女の子がいるところ知ってるんです。行きたいですか?」


「えっ。いや、それは……」


「ね、いいじゃないですか。楽しいところですよ。あなた女の子に好かれますよ。案内してあげますから。行きましょう」


「すいません今日ちょっと帰ってやることがあるんで……。来年の東大受験に向けて中国語を勉強しないと……」


「大丈夫ですよ。あなたはアタマがいいから、そんなのいつでも出来ます。今日じゃなくても」


「何を言うんですかっっ!! 少年老いやすく学成り難し。一寸の光陰軽んずべからずじゃないですかっ!」


「でもちょっとだけでいいから行きましょう。さあ、こちらです」


「ごめんなさい勘弁して下さい。どうかこの通りです。ヘコッヘコッ。今日はお金もないし疲れているし本当に帰らなくちゃいけないです。許して下さい」


「そ、そうですか。まあそこまで言うんじゃしょうがないですね。じゃあまたね」


「はい。では失礼します。
はお〜〜〜〜〜っ!!!! ヨレヨレッ ほおおお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!! ぷるぷるっ」 ←去り際も当然のごとくプルプル



 先ほど述べたように、上海の街はどうも恐い。だからこういう明らかな客引きに対しても決して強く出られずに、オレは真面目に謝って解放してもらったのである。なにしろ
闇社会上海マフィアなどという言葉が常に頭にチラついており、彼らにケンカを売ったりましてやホイホイとついて行くことは大変に無謀なことに思えたのだ。どのくらい無謀かといったら、大企業の社長が秘書として木下優樹菜を雇うくらい無謀なことに思えたのだ。「木下くん、来週の取締役会議の議題は株主総会対策だから配布書類を……」「ちょっ、社長、まじ優樹菜カブとか全然わかんないっすから。やっべ。チョリーッス!!」
 これはたしかに無謀だ。





 このカラフルな串刺し連隊は、
中国名物フルーツ飴だ。疲れた体には甘い物がてきめんなので、オレはフルーツ飴を買った。川辺を歩きながらみかんやパイナップルやキーウィが飴でコーティングされた串フルーツ飴をしゃぶっていると、口の周りがねっちょんねっちょんになった。ネッチョネチョの、ギットギト。上海は大都会とはいえ、「1日1ネチョン」という中国の風習はかたくなに守られている。
 これだけネチョネチョの飴が露店に露骨に陳列されていると、
露店に露骨に陳列されていると(声に出して読むとなんか卑猥だ)、なんだかとりもちや蝿取り紙のように空中から色々と汚いものを取り込んでいるのではないかと心配になってしまうが、そのくらいは中国にいる以上我慢しないといけない。中国にいる以上、食べ物に関しては「死ななくてラッキー」くらいの意識レベルでいることが肝心だ。日本人のように、あまり普段から清潔にし過ぎているのも免疫力が落ちて良くないのだ。例えば、お腹が空いて動けない時にアンパンマンから「これを食べなよ」と顔を差し出されても、免疫が弱ければそれで食あたりしてしまうかもしれないのである。アンパンマンの顔なんて製造年月日もわからず包装すらされていない上に、なんといってもほぼ毎週バイキン(マン)と絡んでいるのである。かなりの確率で病原性大腸菌が繁殖しているだろうから、インド人や中国人なみの胃腸を持っていないとまず間違いなく食中毒になるだろう。

 そんなところでそろそろ宿泊先のユースホステルに向かうため、オレは地下鉄に乗って上海駅に向かうことにした。地下鉄の車内では中国語とはいえ車内アナウンスで今の駅や次の駅を伝えてくれるため、いちいち気にしないでも現在地がよくわかる。
 尚、地下鉄の上海駅は地上の上海駅と区別されており、長距離鉄道の上海駅はただの「上海站」、地下鉄の場合は「上海駅近くの駅」という意味で
「上海站站」と名付けられている。汽車站(チーチョージャン)がバスターミナルを表すように、「站(ジャン)」は「駅」という意味だ。
 ということで、しばらくして上海站站に着くと、駅名を告げる女性の声のアナウンスが車内に響いた。



「シャンハイジャンジャン〜〜、シャンハイジャンジャン〜〜」





 
ズコーーーーーーーーーーーッッ!!!!!!




 魔都・上海の夜には、いかなる油断も命取りなのである。ジャンジャン!!



ユースホステルのロビーにいたへんなの






今日のおすすめ本は、

ゆげ塾の中国とアラブがわかる世界史




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