〜アムリトサル〜





 さて、夢いっぱいの遊園地を堪能したオレは、ラホールを出て東へ……


 ……。


 ちょっと待ってね。





 ……。





 
おいっ!! なんだこの緑の壁紙はっ!!! これはインド旅行記の背景だろうがっ!!! 今回は中国旅行記なんだからいつもの茶色の背景にしろよっ!!! ふざけんなっ!! 冗談じゃない!! インドじゃあるまいし!!!




 ……。




 あの、
今どこ?

 そういえばさっき国境を越えたような気がするけど、もしかしてここは、
最初にイがついて最後にドがついて真ん中にンがつく3文字の、タイガージェットシンやマハトマガンジーで有名な、1年ほど前に「二度と行くかボケ!!」なんていうふざけたタイトルの旅行記が発売された、あの例の国でしょうか。


 ……。


 
いいや、違うな。

 まさかあの国のわけがない。
そんなわけがない。なにしろパキスタンからは、もう直接中国に入国することが出来るのだ。だからパキスタンの国境を越えた今、オレがいるのは中国のはずなんだ。遂に中国に入ったんだ。間違いない。
 よーし。ちょっと確かめてみよう。オレの予想に間違いが無いならば、こちらの挨拶に対してこの国では
「ニーハオ!」という返事が返ってくるはずだ。中国人はあまり愛想が良くないかもしれないが、こちらがとびっきりの笑顔を見せさえすれば、きっと気持ちよく応えてくれるだろう。それが国の壁、民族の壁を超えた交流なんだ。
 よーし、あそこのサモサ売りのおっさんで実験してみよう。






「おじさん、こんにちはー(抜群の笑顔)!!」






「ナマステー!」






 
インドだっ!!!

 
間違いなくインドだっっ(号泣)!!!


 ていうかそもそも、
サモサ売りのおっさんがいる時点で300%インドだっっっ(涙)!!!!


 な、なぜだ……なぜ直接パキスタンから中国へ行かなかったんだ……。
 答え:中パ国境は積雪などの都合で
5月からしか通過できないため

 ぐぐっ……。
 そうなのである。フンザの先、中国への国境は
5月から10月の間しか通行できないのである。今は3月初旬。この時期に国境を通るのは絶対に不可能だ。アメリカ議会での銃規制法案くらい通るのは不可能だ。そして、中国とパキスタンの国境を中パ国境って呼ぶのはなんかかわいい略し方だよね。チュッパチャップスみたいだよね。気をつけないと間違えて国境の方をしゃぶっちゃいそうだね。
 まあもちろん自分で出入国手続きをしてパスポートにスタンプももらったんだから、今さら「ここはインドだったんだ!」と驚くのもおかしいが、
電波少年で目隠しをされたまま海外に連れて行かれた芸人も、現地に着いてから目隠しを取って「こ、ここはどこですか?」ととぼけていたじゃないか。あれと同じことをやってみたかったんだよ。だいたい、本当に目隠しをされた人間が誰かに連れられて空港を歩いていたら、一瞬にして大量の警官に取り囲まれるに決まっている。
 といいつつ、
僕は本当に知らなかったんです。このホームページの緑の壁紙を見るまでは、インドだって気付かなかったんです(涙)。

 ああ、瞳を閉じれば浮かんでくるよ、3年前のあの懐かしい日々。
「あれ? オレってこんなに人に対して激しく怒ることができたんだ!」と、自分の新たなる可能性を発見させてくれたわが師のようなインド。全国民と「ウソついたら針千本飲〜ます♪」と約束をしながら歩いたら、1兆本の針が必要になると思われるインド。(計算方法:10億×1000本)
 でも、そういう場所こそ余計に愛しく思えるもの。3年間ずっと、僕はこの日を待ちわびていたよ……。本当に、来たかったよインド。心から、会いたかったよインディアン。
なわけねーだろうが!! ふざけんじゃねーぞテメーっっ!!! 「インドなんて二度と行くかボケ!! …でもまた行きたいかも」の「また行きたいかも」はオレがつけたんじゃねーんだよ!! 出版社が角を立てないために勝手につけたんだよっ!!! 本当に行きたいわけねーだろうがっっっ!!!!

 ……。

 
でも来ちゃった。進行方向にあるから来ちゃった(涙)。
 ただ、明らかに来たくなかったわりには、なんだかインドに入ったら
筆が弾んでるような気がするんだよね。なんでだろう。インドはとりあえずありのままを書いて相手を罵っているだけで旅行記が成り立って、執筆が楽だからだろうか??
 いいや!! そういうのじゃない。これは気のせいだ。インドを甘やかしちゃいけない。
一回許しちゃうとキリが無いから。ここは厳しくいかせてもらうよ。
 さあ今回は、北の方のろくでもない都市は避けて南側だけを周遊することにしよう。たしか噂では、南インドは北と違って断然いい人が多いということ。こうなったら、デリーとかバラナシとか、そういう口に出すだけで鳥肌が立ちそうな
おぞましい都市には立ち寄らず、南を中心に動くことにしよう。幸いにもここ、国境の町アムリトサルはデリーから遥か数百キロ離れた静かな町。まだまだパキスタンの流れを引きずって、まともで親切で良識ある町に違いない。直接ここから南インドに下れば、嫌な思いなど何一つすることは無いはずだ。
 さて、まずは今夜の宿泊場所を確保するためアムリトサルの中心部へ移動である。国境を一緒に越えた旅行者などと共に、乗り合いタクシーの後部座席へ乗り込む。


↓乗り合いの運転手

 ……。

 
な? バカバカしいだろう?
 
パキスタンとインドの国境にいるタクシーの運転手が、3年16組の木元くんの体操服だぞ?? どう見てもインド人なのにも関わらず木元くんだぞ?

 ね、これがインドなんだよ(泣)。
 16組というクラスがあるかどうかわからないので、もしかしたら
31年6組かもしれない。もしくは青い色で学年を表していて、3組16番なのかもしれない。キモトくんではなく、モクゲンさんかもしれない。ただ、なんにせよこの体操着は、木元さん一家が善意をもって発展途上国に優しく寄付したものなのだろう。それをインド人が大切に着てくれているというそのことはとても微笑ましいことであるが、インドに入国して10分後、一番最初に乗ったタクシーの運転手が、その木元くんの体操服を着ているというこの絶好のタイミングがまさにインドなのだ。他の国だったらこのタイミングはあり得ない。インドでしかあり得ない(号泣)。

 ということで、木元くんの運転で約30分ほど、中心地のゴールデンテンプルへ着いた。
 さあ、気分を切り替えよう。
 アムリトサルはそんなに大きな町ではないが、この黄金寺院、ゴールデンテンプルという寺がシーク教の総本山になっており、巡礼者がインド各地から集まっている。インドといえばターバンを連想するものであるが、あのターバンはシーク教徒が髪の毛を隠すために巻いているものなのだ。そういえばタイガージェットシンもターバンを巻いていたから、疑う余地も無く彼もシーク教徒なのだろう。……しかし、
シーク教ではサーベルで対戦相手を襲って流血させたり、伊勢丹の入り口で待ち伏せしてアントニオ猪木・倍賞美津子夫妻を襲撃したりすることが許されているのだろうか?? そう考えるとなんか物騒な宗教という気がするなあ。
 しかしこの黄金寺院の良いところは、巡礼者と同じく旅行者も宿泊できる施設があるというところ。しかも黄金旅行者だけでなく、普通の旅行者でも受け入れてくれるのだ。当然いくらか寄付をするのだが、面倒くさくなくてよいためオレもここに泊まることにした。
 ところで、この寺の敷地内では男女共に頭髪を見せることが禁じられているらしい。よく見ると、たしかに外国人旅行者も全員オレンジ色のスカーフのようなもので頭を隠している。オレもこの
世界が羨むアジアンビューティーな頭髪をなんとかしなければならないのだが、どこでスカーフが貰えるんだろう? とりあえず白人旅行者に聞いてみることにした。


「エクスキューズミー(私を許して)! その頭に巻いているスカーフはどこにあるんですか?」


「ああ、入り口出た路上に売店が並んでいるだろう。あそこで売ってたんだよ。10ルピーだよ」


「たったの10ルピーですね。サンキュー!」


「ユーアーウェルカム!」



 ということで、早速オレは敷地の外にある屋台型の売店へ向かった。すると案の定、14,5歳と思われるかわいい少女が1人で店番をしている店に、白人がつけていたのと全く同じスカーフが大量に並んでいた。



「ナマステおじょうちゃん。そのスカーフをひとつ、この素敵なお兄さんにちょうだいね」


「ハーイ! 1枚15ルピーよ!」


「あっはっはー! 残念だけど、おにいさん値段知ってるんだよね。さっき聞いた人は10ルピーで買ったって言ってたよ?」


「あら、そうなんだ」


もう1回聞くけど、このスカーフいくら? このオレンジ色の、全く同じ物を他の人が10ルピーで買ったって言ってた、この定価10ルピーのスカーフはおいくらかなあ?


「1枚15ルピーよ!」


「てめえ大人しくしてりゃ調子に乗りやがってこのガキがっっっ!!! いつまでもオレがジャニーズ系の人のいいお兄さんだと思うなよオイっっ!!」


「キャーー!!」



「その可愛い顔にちょっと萌えたからまあここはお兄さん堪えてやるよ。だがもうおまえのところでは買わん!!! 他の店に行くからなっ!!! あばよっっっ!!!」


「ま、待って! オーケー! 10ルピーよ! 本当は1枚10ルピーだから買ってよ!」


このガキャ〜〜〜。……ね、おじょうちゃん、
最初から素直に10ルピーって言ってれば今までのイライラするプロセスは必要ないでしょ? お互いに時間も体力も無駄にならないでしょ? なんで国境を越えた途端こうかなあ……。まあいいや。今後気をつけるように。はい、50ルピー」


「ありがとう! じゃあ5枚ね!」


「50ルピー札で支払って釣りをよこせって意味だろうがっっ!!! 会話の流れからわかるだろ!! なんでわざわざ不自然な展開をチョイスしようとするんだよっ!!!」



「はーい。じゃあお釣り持ってくるから、1枚好きなのを取っていいわよ」



「好きなのって、大量生産品じゃねーか……」



 ということでオレは早速スカーフを頭に巻いてみた。三角巾を着けるのなんて、小学校の掃除当番以来であろう。やはりここは、先生がいなくなったら三角巾を取り外して、
両端を持ってクルクルと細くして友達の腿めがけてピシッ!! とやって騒がねば。
 掃除当番に変身して清潔に待っていると、少女が釣りを持って戻って来た。



「お待たせ。はい、お釣り!」


「サンキュー!」


「また来てね!!」


「あいよー。おまえもこれからは正直な商売をするんだぞ! 
ておおおいっ!!! ちょっと普通に帰りかけたけど、35ルピーしかないだろうが!! 50−10で釣りは40ルピーじゃないんかい!」


「うーん、やっぱりスカーフ1枚15ルピーね!」


「爆発しまーす!! 5秒前〜♪ よーん! さーん! にー! いーち♪」


待って待ってっ! ごめんなさい、間違えちゃったの! 1枚10ルピーでいいの。はい、残り5ルピー」


「…………(鬼の形相)」



「ありがとうおにいちゃん! じゃあねー!!」




 インド萌えガキはオレに残り5ルピーを渡すと、
きな臭い空気を感じ取ったのか、インドの裏路地へピュー!と逃げて行った。
 おのれら……、
どんだけ旅行記の書き甲斐がある国なんだよインドは。まだ国境を越えたばかりだぞ? 入国して初めての買い物だぞ?? てめえらなあ、期待に応えすぎなんだよっ!!!
 いったい国民にどういう教育をしているんだインドは。
全国民に「外国人旅行者と出会ったら、少しでも旅行記のネタになる行動を心がけなさい」という通達でも出しているのだろうか?? いるかそんなもんっっ!!! 静かに旅をさせろっ!!! 怒鳴らないでも日常生活を送れるようにしろっっ!!!!

 もし今オレの頭が三角巾で隠れていなかったら、あのガキは
人間の頭髪が本当に怒りで逆立つ姿を目撃することになっていただろう。

 さて、怒りで奥歯を強く噛み締めすぎたためだろうか、その日の夕食中、チャパティーを噛んでいるとオレの歯からガリゴリッと
珍奇な音がし、奥歯に詰めていた銀色の金属がボロッと取れた。……うーん。これは参ったぞ。歯は、歯だけは。歯医者だけには行きたくない。日本でもイヤなのに、旅先でなんて。
 まあ銀歯が取れただけだしな……。よく自分で接着剤でつけたなんて話を聞くし、詰め物を戻すだけならインドの歯医者でも余裕なんじゃないだろうか?? そうだ。きっとそうだ。接着剤をチョイっと塗って、ポイッとつけるだけだ。
まさか医療ミスで死ぬことはないだろう。うん、大丈夫。行こう。歯医者に行こう。

 翌日、オレはデンティストの看板のあるところを探し出し、その廃墟風の建物に侵入して様子を探った。一応受け付けらしき人がいたので状況を説明してみると、ドクターがもうすぐ来るから待てという。とりあえずオレは椅子に腰掛けて待つことにした。



「クルックー! クルックー!」



 ん? なんだクルックーって……?




「クルックー! クルックー!」


 ……。


 なんで歯医者の待合室に鳩が……。


 
……ボトッ。バサバサバサバサバサッ!!!!!

 壁際の空間で客の迷惑も考えずクルッククルック鳴いていた鳩は、
待合室の床に盛大にフンを落下させると、激しくはためいて入り口から北国へ帰って行った。


 ……。


 オレは、とりあえずただ歯を詰めるだけとはいえ、
なんとなくここで治療を受けるのは止めることにした。いや、別に汚いとか言ってるわけじゃないよ。何かに不満があるわけじゃないんです。ただなんとなくなんです。なんとなく、すぐ治すんじゃなくて、しばらく歯の痛みに耐えることも必要かなと思ったんです。武士として。
 オレはすごすごと寺院へ帰った。

 この夜、オレはこれからのインドの旅のことを考えてベッドの中で絶望感に浸っていると、
早くも体調を崩した。


↓金色に輝く美しいゴールデンテンプル






今日の一冊は、この先を読み進める前に……さくら剛(作者)初めてのインド訪問 インドなんて二度と行くか!ボケ!!―…でもまた行きたいかも (アルファポリス文庫)






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