パレスチナ夜 4

〜レイチェルのボランティアっぷり〜

※このページには暴力的な画像が含まれています



さて、宿にいた日本人旅行者から再びレイチェルの噂を聞いた時、オレは既にトルコはイスタンブールにいた。
ガザの国境付近で「イスラエル軍が撃とうとしたら、私たちが立ちはだかって止めるのよ。ウフ!」などと命がけの仕事をコンビニのバイトの引継ぎでも説明するかのごとくさらっと言い放ったあのレイチェル若干23歳のことである。
もっとも本当にレイチェルが立ちはだかって止める勇気があるのかをオレはかなり怪しんでいたが。


←ちなみにこれが気取ったレイチェル。

一見ごく普通のありふれたアメリカ人だが、かわいい顔して
「立ちはだかって止めるのよ。」などと一瞬にして年上の日本人の思考を停止させるようなコメントを言い放つのだ!





で、一体こんなイスタンブールでどうして若干23歳が噂になっているんだ??と思ったら、そのニュースはインターネットでも見ることができた。




米平和運動活動家がイスラエル軍ブルドーザーの下敷きになって死亡

2003 年 3月 17日


【ガザ市16日】ガザ地区で16日、イスラエル軍の民家破壊を阻止しようとした米国の平和運動活動家の女性がイスラエル軍ブルドーザーの下敷きになって死亡した。また別の場所ではイスラエル軍の銃撃でパレスチナ人2人が死亡した。

亡くなったのは米国の首都ワシントン出身の女性レイチェル・コリーさん(23)で、ガザ地区ラファハの町で民家を破壊するイスラエル軍のブルドーザーを阻止しようとして全面に立ちふさがり、その下敷きになって死亡した。

「国際連帯運動」の活動家はこの日、エジプト国境に近いラファハでイスラエル軍のブルドーザー2台による民家破壊を阻止しようとしたもので、コリーさんの死去の前に2軒の民家が破壊されていた。

イスラエル軍スポークスマンはコリーさんの死について直接コメントしていない。

ラファハでは同日43歳のパレスチナ人男性が死亡したほか、その北のカンユニスでも18歳のパレスチナ人若者がイスラエル軍の銃撃で死亡した。(写真は死亡した米国の平和運動活動家レイチェル・コリーさんの遺体=右=のそばに立つラファハ病院の医師=左=)〔AFP=時事〕








イスラエル軍のブルドーザーを阻止しようとして全面に立ちふさがり、その下敷きになって死亡した。







他、同様の記事多数。

以下、レイチェルの所属していたISMという団体のHPから事故の詳細を日本語に訳した。



ジョセフ・スミス氏のコメント:

3月16日、レイチェルの事件について
当日、我々は2つのグループに別れて、井戸と工事現場でのボランティア活動を行っていた。そこは国境近くのため危険で、時々イスラエル軍がパレスチナ人の作業員や近くで遊んでいる子供達を撃っていた。

16:45-17:00
1台のブルドーザーが、レイチェルや他のメンバーがいつも宿泊している、我々の友人であるパレスチナ人医師の家の周りを破壊し始めた。
レイチェルはブルドーザーの進行方向に座り込んだ。
彼女は蛍光色のジャケットを着たまま、ブルドーザーの15m程前方に座っていた。そして破壊活動を止めようと腕を振り、叫んだ。だが、ブルドーザーは停まることなく、レイチェルの方へ真っ直ぐ進んで行った。次第に彼女に接近し、ブルドーザーが彼女の直前の地面の土を掘り起こし始めた時、レイチェルはブルドーザーに押されている瓦礫の山の上に乗った。
彼女はほぼブルドーザーの運転手の目の高さにいた。そして彼女の上半身は排土板(ブルドーザーの刃のようなもの)の上まで出ていたので、運転手は確実にレイチェルのことが見えていたはずである。
にもかかわらず、運転手は前進を続け、瓦礫と一緒に彼女の足を巻き込んだ。しかし、もしここでブルドーザーを停めていたら、彼はレイチェルの足を壊しただけで済んだはずである。だが彼はさらに前進し、彼女をブルドーザーの下に引き込んだ。
我々はブルドーザーの方へ駆け寄り、手を振って、叫んで、運転手を止めようとした。しかしブルドーザーは、レイチェルの体が運転席の真下に来るまで進み続けた。
もちろん、その時点で運転手はレイチェルがブルドーザーの下にいることはわかっていた。
だが、ブルドーザーは排土板を上げることもせずに方向を変え、そして今度は逆方向に進み、彼女の体を排土板で再び引きずった。そしてブルドーザーは、重傷を負ったレイチェルを砂の中に残し、100m先の国境へ戻っていった。

3人のISMのメンバーが、すぐに救命治療を始めた。
レイチェルの体は押しつぶされ、顔は血だらけで、肌は次第に青白くなっていった。彼女は「背骨が折れた・・・」と言ったが、それ以外口を開かなかった。メンバーは、彼女が血を吐いた場合に備えて、体を横にし、首を真っ直ぐに支え続けた。
あるメンバーは、彼女が脳内出血をしているのに気付いた。そしてレイチェルの状態は単に背骨が折れているだけではなく、もっと深刻なものだとわかった。
そして彼らは、レイチェルの意識を保つために彼女に話しかけ続けた。
その時、1台の軍の戦車が、状況を確認するためにこちらへやって来た。私は兵士に向かってレイチェルがブルドーザーに轢かれ死にそうなことを叫んだが、兵士はただ無線でどこかと連絡をとっているだけだった。
一人のメンバーが救急車を呼んでいる間、他のメンバーは、イスラエル兵に向かって、救急車がこちらへ向かっていること、救急隊員や医師を撃たないでくれということを叫び続けた。

17:00-17:15
救急車が到着した。救急隊員は、国境近く、射殺されるという危険を覚悟でレイチェルをストレッチャーに乗せ、救急車まで運んだ。その間、我々は盾のようにしてレイチェルと救急隊員を守った。
4人のメンバーがレイチェルと共に救急車で病院へ向かった。彼女はすぐに救急救命室へ運ばれ、私がタクシーで病院へ到着した時にはまだ救命室の中にいた。

17:20
レイチェルの死亡が告げられた。彼女は救命室から再びストレッチャーに乗せられ出てきたが、顔には白い布がかけられていた。
「It's over」。レイチェルと私の友人であり、我々と共に活動しているパレスチナ人医師は、涙を溜めて言った。 全てがあまりにも早く起こり、私は彼女の死を信じることができなかった。
しばらくして、他のメンバーが泣き出し、私もいつの間にかその中に加わっていた。








以上、概略。いちおう全て訳したので、全文読みたい方はこちらを。


以下の写真もISMのホームページから・・・。
カッコ内は作者訳。


Rachel protesting in Gaza
(ガザ地区で抗議活動をするレイチェル・右端)
Rachel confronting one of the 2 bulldozers conducting home demolitions on the day she was killed.
(事件の日、家を壊すブルドーザーに立ちはだかるレイチェル)
Rachel's fellow activists rush to assist her after she was crushed by an Israeli bulldozer
(イスラエル軍のブルドーザーに轢かれたレイチェルに駆け寄る仲間のメンバー)
Rachel, fatally wounded.
(致命傷を負ったレイチェル)
Rachel receiving emergency treatment in hospital
(救急治療を受けるレイチェル)
Rachel's friends comfort each other upon learning of her death
(↑↓レイチェルの友人達)
Rachel...may be your body left us but your soul is staying with us.
(レイチェルへ・・・心はいつも我々と共に!)
















レイチェルが殺されたのは、3月16日。
オレに「立ちはだかって止めるのよ。ウフ!」と言っていた日から1週間も経っていない。
彼女は、本当に立ちはだかり、そして死んでしまった。








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