〜下山〜 「がんばれ! 作者!! あとひと息だぞ!!」 「あっ……見える! 平地が見える!! 遂に、遂にオレは着いたの? 着いたのか〜〜〜っ!!!」 「ああ、よくここまでがんばった!」 「長かった……長かったぞここまで……」 「おつかれさん! とりあえずひと休みしよう」 「ああ、もう全身がガクガクでやんす。はやく氷河を見て帰りたいよお。氷河を、氷河を!!」 「まあまあそう言うなって。やっと半分まで来たんだから、休憩して体力を蓄えないと」 「失礼しました。焦りすぎました。なかなか本人が運動する機会が無いものですから(テレビゲームの中では青龍刀や方天戟を振り回して敵陣で大暴れしているけど)、たまにアクティビティーの機会があると気が急いちゃって」 「いいか、こういう時はペース配分が大切なんだ。サッカーのストライカーも、試合中ずっと走り回っていたらいざという時に疲れてしまって速いボールに追いつけないだろう? でも休むべきところで休んでしっかり力を蓄えておけば、チャンスが来た時に能力を爆発させて、確実にゴールが決められるんだ。ロマーリオを見てみろよ」 「いやー、それはもっともな話ですねー。つまり、忙しい忙しいと言って長時間働いている人が必ずしもいい仕事をしているかといったらそうでもない、ということも言えてしまうんですね」 「その通りだ。宮崎駿とか手塚治みたいな例外もいるけどな」 「いろいろと考えさせられるなあ」 「ははは。そう言ってもらえてよかったよ」 「よかったよかった」 「……」 「って半分かよっっっ!!! こらっ!! なんとなく会話の流れからしてゴールしたように思っただろうがっっっ!!! まだ半分ってどういうことやねん!!!」 「おいおい、ずいぶんノリの部分が長いノリツッコミだなあ」 「まさかまだ半分だとは思わなかったから聞き流してしばらく気付かなかったんだよ!!」 「とはいえどう見てもまだここは頂上じゃないだろう。目の前にまだだいぶ山が残っているんだから」 「……」 「まあ言ってみれば、ここまでのコースはまだまだ序ノ口、新弟子レベルだ。この先は今までのような安全な道じゃないぞ。もっともっと険しい経路を行くから、覚悟しておけ」 「はい! はい! はい、おっぱっぴー! チントンシャンテントーン♪ チントンシャンテントーン♪♪」 「おい! ヤケになるんじゃない!! 冷静さを失ったら終わりだぞ!! さあさあ、あそこに休憩場があるから、とりあえず火を焚いて温まろう」 「さ、寒い……」 半分……半分ってよ……50%だってよ……。 道は50%でも、オレの体力はもう100%消費しちゃったんですけど。しかも、通常の人間が肉体の力を潜在能力の30%しか使えないところ、オレは特殊な修行によって残り70%を発揮できるのだが、その残りの70%の部分も含めて100%全て消費済みなのである。ジャンなんてきっとまだ3%くらいしか力を使ってないだろうに。 潜在能力を100%発揮してもジャンの3%分にしか値しない貧弱ぶり。このオレがもし普通の人のように自分の力を30%しか発揮できなかったとしたら、きっと将来彼女ができて渋谷のラブホテルに連れ込もうとしても、道玄坂を上りきれずにリタイアし、一瞬で彼女に去られついでにオヤジ狩りに遭うのではなかろうか。 いやだ。オヤジ狩りはいやだ!! せめてお兄さん狩りと呼んでくれ!!! まだ若いんだからっ(涙)!! ジャンが休憩場だと言っていたのは、ただ崖がせり出している部分を屋根にして、その下に岩を積み上げて囲いを作っている、風除けがされた僅かな空間であった。 落ちていた枯れ木や草を集めて狂気な気分で火をつけ、しばらく身体を休める。疲労感いっぱいで特にジャンと話すことも無い。ただただ少しでも心身の疲れが回復するように、炎の前で印を結んで「のーまくさんまんだーばーざらだんさんだんばらー」と祈っていた。 だがしかし…… なんというか…… ……。 ずおおおおおおっ。寒い。寒いぞ。くうううううっ!!!! なんじゃこりゃあああああ〜〜〜〜(笑)!! あっはっは!! そういえば山に入ってすぐ、オレはマフラーも上着も脱ぎ捨てて、品川庄司の庄司のように、ビルドアップされた上半身をタンクトップごしに山姫ちゃんに見せつけながら上って来たのだが、よく考えてみればここはもともと部屋の中ですら冷蔵庫より温度が低い地域なのだ。ほんの数日間いただけなのに、オレの賞味期限も少し延びたくらいである。それから更にずんずん標高が上がり、斜面が凍っているということからも少なくとも現在は氷が一切溶けない気温、千昌夫の財産と同じでかなりの勢いでマイナスに食い込んでいるということがわかる。 おおおおお。寒い。寒いというか、冷たい。冷たいというか、痛い。K−1 Dynamiteの時の紳士的な格闘家A山さんを真似してヌルヌルと体にクリームを塗ろうとしたら、クリームではなく間違って全身にタバスコを塗ってしまったようなジリジリと刺し込むような痛みが肌を襲っている。このまま汗も拭かずにここでジーっとしていたら、ほんの数十分で凍りつき、夏にこの休憩所にやって来る観光客に「まあ! この氷像とってもよくできているわねえ! まるで生きているみたい!」などと休憩所で旅人を和ませるために作られた彫像だと勘違いされ、札幌雪まつり的な存在としてフンザに新しい見どころを提供することになるだろう。焚き火にあたってうまく溶け出せればいいが、その前にやんちゃな子供に石を投げられたりしたらパリーン! と粉砕である。
「ジャンちゃん、さむい……」 「うん、そうだな。じゃあそろそろ行こうか。また必死に動き出せば体も温まるだろう」 「そうですね。あと半分、ここからあと半分……」 その時、オレは思った。いや、もう1人のオレが、もしくは山姫ちゃんがオレの心に直接話しかけて来たのかもしれない。これ以上進んだら死ぬと。 はっきりいって、ここまで無事に辿り着けていることすら微妙だ。もしもう1回このコースを来たら、今度はここまで来る前に転落してしまうかもしれない。それなのに、さらにウルタル氷河まではここから高い標高、低い気温の岩場をもう半分だ。この体力で残りの道を進んだら、まず間違いなく途中で崖下に落ちるであろう。落ちるとわかっていて挑戦するというのは、非情に無駄であり、無謀なことである。桜金造やドクター中松が東京都知事に立候補するのと同じようなものだ。ましてやウルタル氷河トレッキングの場合、落ちてしまったら再度立候補できる確率は限り無く少ない分(なぜならあの世に行ってしまうため)、都知事選よりもずっと真剣な票読みが必要だ。 変態党の幹事長として鋭く票を読んだオレは、決断をした。 「ジャンちゃん、引き返そう。オレはもうこれ以上進むのは無理だ」 「え、そうなのか? せっかくここまで来たのに」 「ああ、だがな、進むも勇気、退くも勇気。退くのもまた勇気なんだよ」 「たしかにそうなんだけどな。でも『退くも勇気』というのはいろんなことを諦める言い訳にも使えてしまう言葉だから、よく考えた方がいいぞ」 「あの、人の真剣な決断に茶々入れないでくれる?」 「どうやら本気のようだな。いいんだな」 「いいんです!! 迷いは無いよ。さあ戻ろう、村まで!」 到達点は、ウルタル氷河まで半分。 ガイドブックによれば、ここは夏場ならば普通の旅行者が4時間ほどで山頂まで辿り着けるコースである。それをオレは、半分までで4時間。オレの軟弱のせいなのか、季節のせいなのか……。それとも、もしかしたら雪の妖精のせいかしら? てへっ♪ ……まあなんでもいいが、とにかくもう進めないことは確かだ。今からの目標は、氷河を見ることではなく、無事に下山することである。 All I want to do is 下山。 ということで、オレたちはそのまま来た道を、氷の斜面を、今度は慎重に下り始めた。自分の力は既に100%消費済みなので、あとは重力など外部の力に頼りたいところだが、しかし重力の場合はものすごい速さで下山できる代わりに、あまりのスピードについて行けず5体がバラバラになって下山することになると思われるので、ここはやはり自力でスロー下山が好ましい。先ほど、朝デニーちゃんにあげようとして拒まれたポテチを食べて僅かに体力が回復しているので、この力を下山用に充てることにする。 ツルーン! うああああおおおおおおっっっ!!!! す、滑る……相変わらず滑る……。 むしろ、氷の斜面では上りよりも下りの方が勢いがつき余計に滑るような気がする。 オレは改めて両手両足を地面につけ、1人でツイスターゲームをプレイしているかのごとく、右手を下の岩に、それから右足で氷を砕き足を固定し、左手を緑、左足を黄色にとそろそろと進んだ。通常のツイスターゲームでは、一緒にプレイしている女子と体が絡まって「イヤ〜ン!」ベタッと崩れちゃったりするドッキンコなハプニングが起こるものだが、男一匹で遊んでいると女子とくんずほぐれることもないし、ドッキンコの種類も違う。たしかにツイスターゲームと同じく心臓はバクバクになっているし興奮もしているが、こっちのバクバクには嬉しさのカケラもない。 どうやってバランスを取っているのか知らないが、2足歩行でスイスイと下りていっているジャンにはもう相当離されてしまっている。なにしろオレはハイハイの状態、2足歩行の近代人と同じスピードで進めるわけがない。 それからしばらく、生まれた直後に初めて立とうとするがいつまでも立ちきれない小鹿のようなヨレヨレの状態のままかろうじて前進し、オレはかれこれ10分以上小休止しているジャンに追いついた。おまっとさん〜〜(プルプル) 「なあなあ、おまえもうちょっとまともな歩き方はできないか? さすがにそれじゃあいつまでたっても麓に着かないぞ??」 「そう言われましても、まともに歩いたら滑るんだからこうするしかないでしょう」 説教に対してオレが口答えをすると、ジャンはオレを励ますためか急かすためか、本気でこのように言った。 「いいか、この程度の氷や雪はたいして滑るものじゃないんだ。大きな問題はユアマインド、おまえの心の問題なんだ。おまえは滑る滑ると思って怖がっているから滑ってしまうんだよ。ここが氷や雪なんか無いノーマルな道だと思えば、オレみたいに普通に歩けるんだよ」 「う〜ん、そういうもんですかねえ。まあ雪山ツウのあなたが言うのならたしかにそうかもしれませんね。なわけねーだろうがっっっ!!!! 思い込みで滑らなくなるんだったら誰も小鹿のように歩いてねーんだよっ!! おまえは自然を超越した存在かっっ!!」 「仕方ないなあ。まあ幸いにしてここらで氷は途切れるから、もうちょっと順調に進めるよな」 「おお、ほんとだ……。ああ、やっとまともな斜面になった……氷が無い……あああ……よかった……」 ということで、氷河期を抜けて気持ちは若干楽になり、勢いよく足を踏み出し中くらいの大きさの岩を踏みしめたところ、岩がごろんごろお〜ん!! と崩れてオレは斜面を勢いよく滑った。 うがががががががっっっ!!!! やばいっ!! 落ちる!! マジで落ちる(号泣)!!! 本当にやばい!!!! 「作者!! 待て! 落ちるな!! 10秒だ! 10秒だけそこで耐えろっ!!」 「うわわわわ〜〜〜(号泣) わん、つうう、すりいいいいっ、ふを〜、ふあふわふわいぶ〜〜ううううもうダメだ〜〜〜〜〜」 ……。 おおおお助かった……。 オレがファイブを数え終わるのと同時に、岩をぽんぽんぽーんと伊賀の影丸のように駆け下りてきたジャンが滑落寸前の腕をガシっと掴み、オレと、オレの命を救い上げてくれた。……ジャン、あんた、ただのガイドじゃないよ。レスキュー隊だよ……ありがとうとても……(泣)。 ゴロンゴロンゴロンゴロンゴロン…… 下を見ると、オレが踏み崩した岩がすんげースピードになって崖を駆け下りて行っている。大丈夫だろうか。ちゃんと崖下には落石注意の看板があるだろうか? うは〜、怖い……。 ねえ、今の岩が崩れたのは、やっぱりオレが怖がっていたから? もっともっと、「こんな岩なんて崩れるわけないだろう!! ここはノーマルな道なんだぜ!!」と強気になっていれば、岩は崩れなかったのかなあ? ……まあとりあえずここからは、今まで以上に怖がらせてもらうからなっっ!! どこが心の問題だこらっ!! 本気で死ぬかと思っただろうが!! もう今は精神論を振りかざす時代じゃなんだよっっっ!!!! ……そして、また数時間。 氷雪の斜面を下り、雪の積もった幅1mの狭い通路を歩き、岩場を滑り、そしてオレはトレッキングコース入り口を過ぎ坂道を下りながらようやく自分が無事であることに確信を持った。疲労なのか恐怖なのか、安全な道に出た途端オレの両膝がブルンブルンに震え始め、ジャンに命助け賃としてのチップを弾んで別れてからも、一向に震えが止まらなかった。なんだかオレの意思に反して膝が妙なパフォーマンスを見せている。いつもオレの言う通りに動くのに、今日は珍しいなあ。 ほとんどがクローズしている商店の間の道を歩いていると、チラホラと空から雪が落ちてきた。高地ではやはり天気が変わりやすいのだ。いや、早めに戻ってよかったな……。 さて。 たった1人で宿泊している豪華ホテル(人気が無くて怖い)の部屋に帰りホットシャワーを浴びると、オレは解凍され生きた心地になった。 ベッドにしばらくゴロゴロと横になり遂にリラックスしたオレは、なんとなくホテルの屋上に出て、つい1時間前に下ってきた恐ろしい山を振り返ることにした。山に入って山を見るのと、山の外から山を見るのとではその姿は全く違うものに感じるはずだ。記念に写真でも撮っておこう。 オレはカメラを構えた。 ……。 ななななな なんだこりゃあ……。 山が、山が見えん……。 いつの間にか、降り出した雪と霧で山の全ては覆われていた。さっきまであれだけはっきりと見えていたトレッキング用の巨大な山が、完全に姿を消している。 つい今しがた、ほんの1時間前までは視界良好で、下山した直後に背中越しに見た山も、頂上までしっかりと村の背景としてオレの目に映っていたのだ。 それがたった1時間でこれだ……。 あの時もし先に進む選択をしていたら、 オレは今この雪の中である。 視界は何メートルくらいだろうか。この中では、3m先を歩くジャンの姿も見えないのではないだろうか。進む道、足をかける岩も、足場と空中の境目さえも見えないのではないだろうか。 もし身動きをせずじっとしていたとしても零下の中…… あそこで引き返さなかったら、 死んでたな……。 オレは部屋に帰り、ベッドに潜った。 疲労困憊しているはずの頭は急激にクリアーで、山を登っていた自分の姿、中継地点で焚き火に当たっていた姿、そして再び氷河を目指して先へ進んで行って霧と雪の中で踊る自分の姿、現実と仮定とさまざまなイメージが次々と浮かんで来て、オレは覚醒していた。なぜあの時オレは引き返すことを選んだのだろう。 この日、「愚か」という言葉はオレのためにあった。オレは、確実に浮かれていたのである。 もっともっと、最初の方で引き返すべきであった。むしろトレッキングなど参加するべきではなかった。いや、そもそもこの時期にフンザに来たことが誤りの元である。だいたい、パキスタンに入国するという選択が間違っていたんだ。根本的に、大学を出た後素直に就職をしていればよかったんだ。そしたら今と全く違う安全な人生を歩んでいたはずなのに。 ……。 バカヤロー!! ビチーン! コノヤロー!! ビチーン! この日、オレの自分への叱責は、朝まで続くのであった。 おまけ写真 今日の一冊は、冬山が怖すぎて寒すぎて恐ろしくなる 凍 (新潮文庫) |