〜新春氷河トレッキング1〜





 フンザで最もグレードが高いという、
インスタントラーメンでいったらマダムヤンに相当する高級なダーバーホテルに戻ると、客商売にしては全体的に薄暗かった。

 高級感をまったくかもし出していないヒマそうな従業員に聞いてみると、なんでも、あまりにもシーズンオフすぎてオレがものすごくひさしぶりの宿泊客らしい。
 案の定、泊まっているのは
この広いホテルにオレ1人だけということだ。

 昼には数人いたスタッフ(なのかただ遊びに来た近隣住民の方々なのか)も、夕方には1人を残して全員帰宅してしまった。人気の無い階段を下り、完全に無音となった薄暗いフロアをヒタヒタと歩いて、自分の部屋に戻る。

 ヒタヒタ……ヒタヒタ……



 ……。



 怖い(号泣)。

 今このホテルにいるのはオレと別の階にいる非常用の従業員1人だけ、他にはいたとして霊だけだ(涙)。同じフロアには誰もいないので、きっと何かよくないものが出てオレが泣いて助けを呼んだとしても、かけつけてくれる人はいないだろう。来てくれるとして霊だけだ(泣)。どうか来ないでくださいませ……(号泣)。
 下手に高級感を出しているホテルだけに、その闇に佇む動物の彫像が、壁に掛かった風景画が、
なんらかの魂を感じさせて怖い。隙間風が入ってくる、外と直通で隣の部屋にはオーナーが寝ているような安宿と比べて、ここはもろに密閉され外界と隔離されている。
 ……こういう、雪山にある、宿泊客の少ないこぎれいな山荘というのは、
たいてい殺人事件が起きるんだよな(泣)。1人の客が食事の時間になっても下りて来ないもんだからオーナーが合鍵を使って部屋に入ると、カーペットの上で血まみれになって倒れているのを発見されるんだよな(号泣)。オレ……その役はオレじゃないの今回は? オレしかいないもん宿泊者は。そうすると必然的にオレの役になるよね(涙)。
 くそ〜、こうなったらドアにガチガチに厳重に鍵をかけて、窓も二重にロックせねば。……ああ、でも、
そういう密室こそが殺人犯が大好きな場所なんだよな(泣)。じゃあむしろドアも窓も開け放った方がいいのだろうか。そうすれば密室殺人にしか興味を示さない職人気質の殺人犯は逆にやる気が無くなるのではないだろうか。

 オレはここに宿泊している数日の間、夕方を過ぎると常時頭の中に
かまいたちの夜のサウンドトラックが流れ続けていた。ちなみに、このホテルは丁度こんな感じの造りです。あっはっは(笑)。……笑ってる場合かっ!!!

 ああ〜そもそも、寒いし。窓にカーテンがついているだけ昨日よりマシだが、人が全然いないもんだからホテル全体が温まっていない。室温は
4度である。昨日よりはマシになっているが、丁度うちの冷蔵庫の設定温度だ。室温が冷蔵と同じなら、ここでは赤ワインと白ワインを同じ温度で飲むハメになってしまうではないか。グルメじゃないなあ。ああ寒い。寒いし怖い。
 ……でも、がんばるんだ。明けない夜はないじゃない。逃げていかない彼女はいないじゃない。最初のデートでいくらオタクを隠しても、
後々バレないことはないじゃない!! ううう……(号泣)。
 バチッ(停電)

 
ゴゲーーーっ!!! うおおおおっ!! ぎゃわわあああっ(涙)!!!

 ごわいいい……。なんで、ナンデ、電気が消えるのですかあああ(泣)。
 雪の山荘で密室で停電って、もう
殺人が起こる全ての条件を満たしているじゃないですか(涙)。さすがにこれだけの条件が揃っていたら、「雪の山荘の密室で停電したら、そりゃあ誰だって殺人したくなるよ」という理由で殺人を犯しても無罪の判決が下りそうじゃないですか(号泣)。
 オレはいつまでもかまいたちの夜のテーマ曲を脳内で奏でながら、大学時代に見たゲーム内の殺人シーンを懐かしく生々しく思い出しながら
全然寝れなかった。ペンションのバイトのみどりさんの死体がクローゼットから出てくるところを思い出したおかげで、部屋のクローゼットは何があっても断じて開けることができない。

 あんな死体やこんな死体に妄想の中で囲まれながら、あんな死体こんな死体いっぱいある〜けど〜♪と歌いながらなんとか幸いにも朝を迎えられた。どうだ。密室殺人を防いだぞっ!!

 朝食は経費削減のためにコショーサマホテルにお邪魔して、安いフレンチトーストを注文である。

 コックのコショーサンがわざわざ設定してくれた特等席。最高の景色であり、そして最高に寒い。

 ほんとおおに寒いなあ……。寒い。なんかここ数日ひたすら寒い寒い言ってるなあ。この調子なら、
今年の流行語大賞は「寒い」が取っちゃうんじゃない? 使用者代表としてオレが表彰されに行こうか? 最近顔出しOKになったから。
 ふと見ると、元ルームメイトのデニーちゃんが雪山をバックにかわいこぶっている。きっと昔のよしみで食べ物を恵んで欲しいのだろう。今や豪華ホテルに宿泊するようになった、手の届かないところまで出世してしまったオレを見るその犬みたいな目は、尊敬半分、裏山を背景にうらやましさ半分といったところだ。
 ……なんかこの気温のせいで傑作ギャグも寒く感じるな。ってこればっか言ってればフンザにいる間は
ギャグ滑り放題だ。これは気楽でいいぞ。



 もちろんオレは富裕層になったからといって、昔のルームメイトを忘れるような非人道的な人間ではない。それに、女性にプレゼントをすることはジェントルマンの務め。付き合い始めた(とこっちは思っていた)ばかりの彼女にCKの高いブレスレットをプレゼントしたら、
「ありがとうツヨシくん……」とポロっと涙を流して喜んでくれたのに翌日からいきなり連絡が取れなくなったのももはや今は昔(号泣)。あれから年月を経て成長に成長を重ね、今ではどんなものを贈れば相手の女性が喜ぶか一発で見抜くことが出来るオレは、デニーちゃんのために売店でギザギザチップスを買っておいたのである。

 さあ、キミの好きなポテトチップスだよ。しかもただのポテチじゃないよ。ギザギザだよ。ギザギザって、銀座みたいで高級な感じがするでしょう? うわー、よかったねー! うれちいねー(満面の笑顔で)!











 
食べろよ……。

 もういいや。今日山で食べる昼食用にとっておこう。

 ……あっ、今なんかぼくさあ、「山で食べる昼食」って言ったよねえ。なに? 今日どっか行くの?
 
そうなんだよ。偶然にもその話になってしまったね。本当は隠しておこうと思ったのだが、ついつい口が滑ったからしょうがない。白状すると、今日は「ウルタル氷河トレッキング」というイベントがあるのだ。
 おそらくウルタル氷河と言われても、これを読んでいる人たちは「聞いたことはあるけど具体的に説明しろって言われると困る」というくらいの知識レベルだと思う。たしかに最近はダニエル・ラドクリフくんがインタビューで「次のオフに行ってみたいところ? やっぱりウルタル氷河だね」と応えたり、このところ日本全国で相次いでいる謎の金属盗難の
黒幕が実はウルタル氷河だったり、なにかとウルタル氷河という言葉を耳にする機会は多い思う。少なくともオレは、ここに来るまで27年間の人生で一切聞いたことが無かった。
 まあ要するに、ウルタル氷河トレッキングというのは山に登って山頂で氷河を見て帰って来るイベントだ。氷河というと海に浮いているものを思い浮かべてしまうが、そういえばケニアでオレが登頂に成功したキリマンジャロにも山の中に氷河があった。海にあるはずの氷河が山にあるということは、
つまりそれらの山は昔は海の底だったということだ。うーん。ちょっと違うかな……。まあ地球が出来た当初は全部海だったんだから、間違ってはいないだろう。

 ちなみに、キリマンジャロに登頂したというのが本当かウソかはここでは言わないが、オレは今まで山なんかに
登ったことが無い。トレッキングというのは「トレーニング」や「レッキングクルー」と似ていることからもなんとなく体を使ってがんばることを指す言葉であろうが、噂では、山岳地帯に来てトレッキングくらい行っておかないと女性旅行者に男と認められないらしい。逆に、女の子の参加者と一緒になって、荷物を持ってあげたり岩場で手を取り引っ張り上げてあげたり、山頂で2人並んで絶景に向かって「ヤッホー!」「ヤッホー!」と叫んだりすることによって、恋が芽生えるらしい。遭難をして女の子と2人っきりになったら、人肌で温め合うのがいいらしい。
 というわけでオレはトレッキングに参加することにした。やましい気持ちなんて全くありませんから。純粋に山に登りたいんです。ぼく、
昔から体を動かすことが大好きなんです。

 そんなわけで、集合場所へ行ってみると本日のウルタルトレッキングへの参加メンバーはオレとガイドのジャンくん、
男2人のタイマン勝負だそうだ(涙)。例によって、こんな季節に雪山に登ろうとするやつは誰もいないということだ。なんでも、オレが今年最初の参加者だそうな。……あのそうすると、安全面はどうなんでしょうか? 道とかちゃんと整備されてるんでしょうか?? ……(いずこからも回答得られず)。
 まあガイドブックにも1日で行けるお手軽なトレッキングコースと書いてあるし、せっかくフンザまで来てるんだから、そのキグナス氷河とやらを拝んで帰ってやろうではないか。
オレ、ドラゴン紫龍。おまえはナヨナヨしてて女っぽいからアンドロメダ瞬ね。あっ、キグナス氷河じゃなくてウルタル氷河かあ。間違えちゃった。きゃははっ(この後に味わうことになる恐怖も知らずにはしゃぐ中坊)!


「ジャンさん、今日はよろしくお願いします。ところで、先日コショーサンに聞いたところウルタルに行くなら登山用の靴を借りなさいと指示をいただきましたが、どこかレンタル靴屋さんに寄ってくれませんか?」


「それがな、残念だけど今の時期レンタル靴屋さんは営業してないんだよ。いちおうおまえも運動靴持ってるだろう?」


「そうなんだ。レンタル靴屋さんはやってないんだ……。この靴で大丈夫? 滑ったりしないかな」


「まあきっと大丈夫だろう。オレもついてるんだしな」


「……それはそうと、なんか、すっごい曇ってきてないですか?」


 どんよりどよどよ


「ほんとだなあ。とはいえ、こんな天気でもオレたちはガキの頃から何度も登ってるから平気だけどな。おまえ次第ではあるぞ」


「はい、ガイドのあなたがそういうのなら(行きます)」



 ということで、オレはジャンと一緒に、商店街の裏道を山に向かってくねくねと登り始めた。今日はきっと楽しい日になるだろう。友達同士とか彼女と一緒にお弁当を持ってピクニックとかハイキングとか、そういう行事って楽しいって言うじゃないか。今の旬はお台場ピクニックだって、
数年前のホットドッグプレスにも書いてあったじゃないか。
 今までオレはそういう記事を読んで空想を膨らませた上で好きな子との
脳内ピクニックしかできなかったけど、今日こそはたんまりポテチも買い込んであるし、山頂でジャンと楽しくランチ&おやつタイムにするんだ。オレだって、ホットドッグプレスや東京ウォーカーが憎しみとうらやましさを増幅させる遠い読み物ではなく、ちゃんと身近な情報誌として読みたいんだ。ラブホテル特集をオカズではなく情報として受け止められるようになりたいんだ(号泣)。

 いや〜、今日だけの僕の親友ジャンくん。ねえ、なんかオレ、
疲れたよ〜(涙)。ねえっ、そんな、そんなにスタスタ歩かないでっ!! ついて行けないんです!! もっと友達と共にゆっくりあゆんで行こうよ!!


「ジャンっ! ジャンちゃん! あの、もっとそおっと。ハイキングなんだからそんなテンポよくなくても。ちびちび歩こうよ!」


「いやいや、そんなちんたら行ってたら今日中に帰ってこれないぞ!? だいたい、今オレたちがいるのは
まだ町やんけ!! 山にすら入ってないだろうがっ!!


「そうだそうだ!! どんだけ貧弱なんだよ!!」



「自分で言うなっ!!! じゃあとっとと歩けよっ!!」



「ふぁ〜い(泣)」



 アスファルトの道はやっと途切れ、次は上の写真(どんよりどよどよのやつ)のようなゴツゴツした土の斜面、道などではなくただ登り易いところを見つけて斜面を一直線に進むという、ピクニックらしからぬ
修羅場が始まった。既に息は切れ、太ももには乳酸が溜まり、額には苦悩の皺が何重にも刻まれている。きっと今のオレの顔をそのへんの子供が見たら泣くだろう。
 もうそろそろ終わりでもいい頃だ。もうよーく運動した。パソコンの前に座っている時間に換算したら2年分くらいは体力を使ったぞ。


「お〜い作者。生きてるか? なんか顔色悪いぞ」


「ああ……今日は曇り空にも関わらず星がよく見えますね。あの北斗七星の脇にひっそりと輝く青い星が」


これくらいで死兆星かよっ!! おまえ本当に20代か?」


「あづい〜〜。助けてっ。厚着しすぎたっ。疲れたっ。筋肉が痛いよお(涙)」


「ほら、じゃあオレが服持ってやるから。そのマフラーと、ジャンパーを貸しな」


「はふーはふー。すいません持ってください。これくらい、トモダチならアタリマエー!


「じゃあ持たない」


「ああああすいません(涙)。あああああ(泣)。疲れだ〜〜〜〜(号泣)」


「まったくしょうがない日本人だな……」



 ジャンはオレの服を自分の腰に巻いて結び、再び歩き始め堤防に進入し垣根を乗り越えどんどん進んで行く。あの、本当にこれ正式なトレッキングコースですか? 
なんでお気軽なトレッキングコースで立ち入り禁止の柵をよじ登って進まなければいけないんでしょうか。
 オレは既に汗だくになっていた。汗だくになりながら、「吉野家で『牛丼の得盛りつゆだくでお願いします』っていう代わりに間違えて『牛丼の得盛り
汗だくでお願いします』って言っちゃったら気持ち悪いだろうなあ」、などと考えていた。厨房で汗だくになって働く店員さんの汗をしぼってタレ代わりに牛丼に……。おえ〜、気持ち悪い……。
 にしても、肺が痛い。まず空気が冷たすぎて吸い込むと痛い。そして疲労が溜まって痛い。なおかつ標高により空気が薄くて苦しくて痛い。肺以上に太ももが痛い(涙)。うう、もうダメだああ。もう限界だあああああ。


「さあ作者、よくがんばったな。ようやく着いたぞ!」


「おおっ!! 遂に!! ついに氷河っ!! 体力の限界を超えて苦労に苦労を重ねて辿り着いたウルタル氷河がついにっ(感涙)!!」


 ジャンが示した方向を見ると、山道の入り口に「これよりウルタル氷河トレッキングコース」という腐りかけた木の看板が吊る下がっていた。
 ……オレたちは、遂にトレッキングコースの
入り口に辿り着いたのだ(号泣)。これからが、大いなる後悔の旅への本番なのであった……。





今日の一冊は、元・新日本プロレス (宝島SUGOI文庫)






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