〜ザ・インド〜





 クソボケのシーロードホテルを出たオレは、バックパックを担いでしばらく道沿いに歩いてみた。
 ここは大通り沿いではなく裏道であり、道の両側には廃墟のようなトタン屋根のバラック小屋が並んでいる。そしてそのドアの無い小屋の中からは、ボロを着た、もしくは裸の住人がデカい荷を担ぐオレの姿をギラギラした目で追っている。
 気のせいかもしれないが、なんとなくこの通りを歩いていると不穏な、
危険の気配を感じる。どういった種類の危険かはわからないが、この道はタクシーで移動した方がいいとオレの直感が訴えている。
 ただ正午前という時間でもあるし、タクシーもなかなか通らないし、とりあえずしばらくは歩こう。そう決意してオレは、腹と背中と片手に荷物をぶら下げ歩を進めた。
 ……しかし、さっきから道路に点々と落ちているこの黒い物体はなんだろう? ほぼ1mおきに、オレの進行を妨げるかのように順番に大量のフンのようなものが……人間の大便のようなものが……
ってそれだっ!! まさにそれだっっ!!! フンである!!! 踏んではならないフンである!!!!



「ハロー!」


「はーい、ハロー!」



 道端でしゃがんでいる幼稚園くらいの歳の女の子が、オレを見かけて挨拶をしてきた。いやー、おじょうちゃん、見知らぬ人に自分から挨拶をするなんてえらいねえ。でもねおじょうちゃん、ひとつだけ注意をすると、
大便をしながら話しかけるんじゃねえっっっ!!!! どうしておまえらは笑顔で人に排便シーンを見せられるんだよ!!! この子供の親!! 娘に恥じらいというものを教えろっっ!!!!

 ……危険だ。
たしかにこの道は危険だ。
 
こういう意味の危険だとは思わなかったが、しかしオレの直感は間違っていなかった。たしかに、切実に足の裏が危険だ。すぐにでもタクシーで移動しなければ……。とはいえ、タクシーといえどこの道を通るのはイヤだろうな……。タイヤが便器同然になるからな……。つーかもうインドいやだっ(涙)!!! 帰らしてっ!! インドから出してよっ(号泣)!!!
 オレは自動車教習所時代を思い出し、
S字クランクの動きで路上の大型かりんとう(かじっちゃだめよ♪)を避けて歩き、なんとか大通りまで出てタクシーを拾った。サルベーションアーミー(=救世軍)という安宿に移動し、ドミトリーにチェックイン。

 こんな感じどえす→
 寝てる白人の下がオレのベッド。二度と泊まりたくないねこんなボロ宿っっっ。日本人のジジイパッカーの後にトイレに入ったら、
流れてなかったんだよ!! ジジイの物が!!! 死ねジジイっっ!!!! ※そしてオレが流した(号吐)

 サルベーションアーミー(=救世軍。しかし「救世軍」自体の意味が
わからん)は立地がかなり良く、ムンバイ屈指の観光ポイントであるタージマハルホテルとインド門、そしてヒンズー教の遺跡があるエレファンタ島という島へのフェリー乗り場が、歩いてすぐのところにまとまっている。もちろん、オレはすぐに観光に出かけることにした。インドの観光地だけに、激しい心の準備をして。
 他の国と違いインドの場合、観光地で外国人観光客が行うことは
観光が1、口論が9くらいの割合だ。なんでも、普段柔和な埴輪顔をしている大魔神は悪行を目にした時だけ怒りの形相になるのだが、インドの観光地で大魔神を呼び出した場合だけは、登場した時から既に怒っているらしい。そんな具合だけに、観光だからといって和気あいあいという気持ちで臨んだらすぐにインド人に転がされ、帰国後に地球の歩き方編集部宛にインドでの詐欺被害体験談の手紙を送ることになるだろう。
 オレは、念のために小道具として南下してもう必要なくなった防寒用の薄っぺらい毛布を持って、早速その屈指の観光場所へ向かった。北インド以外のインドでの、初めての観光である。
 いますいます。タージマハルホテル前の広場に、
人を騙すことが生業と思われる人たちがたくさんいます。



 さて、広場に入って
1秒後に、20m先から武道館到着直後の欽ちゃんくらいくたびれたサリーを着た若い女性が、ササッとオレに標的を定めて歩いてきた。うーむ。ほとんどワニの群れに鶏肉を投げ込んだくらいの、完全な入れ食い状態である。わしゃ鶏肉か。
 若い女は手にレイを持っている。ウルトラクイズで機内クイズを通過してハワイに降りた時にかけられる、簡単な花の首飾りだ。なるほど。
既に展開は読めた。



「ハロー! 旅人の方、これは私からのプレゼントです! 首にかけてあげるわ。ノーマネー! 無料ですから!」



「ハロー。レイをかけてくれてありがとうございます」


「まあ、とってもお似合いよ。ベリーナイス」


「お褒めにあずかり光栄です」


「あの……その毛布、ギブミー」



 ……。
 レイをかけられたら
1億%の確率で何かをせびられることはわかっていたので別に何も驚かないが、案の定オレの頭から花の飾りをかけて1秒後に、彼女はオレの持っていた毛布をくれと言ってきた。



「ギブミー毛布……貧しくて毛布が買えないんです……どうかそれを私にください……」


「はい、あげる」


「ええっ!!!」




 オレはこのために毛布をわざわざ持って来たので、
「ください」と言われて1秒後に間髪いれずに毛布を彼女に渡した。自分でくれと言ったくせに、本当にもらえたのが明らかに想定外だったらしく、若い女は「マ、マジで??」という表情をしている。物乞いのくせに何をうろたえているんだ。



「ほ、本当にくれるの……?」


「本当にあげます」


「サ、サンキューサー! あの、ついでと言ってはなんですが、妹にミルクを買ってあげたいんです……できれば少しマネーを……」


「ダメ。毛布あげたじゃないか毛布! それでいいだろう!」


「うーん、それもそうね。じゃあありがとう! サンキュー!」


「さよならー」



 一瞬お約束の
「マネー」言うだけ言ってみた彼女だったが、毛布あげただろー、と指摘すると、あっさりと礼を言って去って行った。いやー、納得して帰って行く物乞いというのをインドに来て初めて見た。まあ、あのままバックパックの肥やしになって帰国したら捨てられるより、必要な人に使われた方が毛布としても本望だろう。いつまでも現役で人を暖められるなんて、毛布冥利に尽きるだろう。

 インド人と絡むのはもういいので、ちゃんと観光をしようとインド門に向かって広場を進むと、
10mほど歩いたところで今度は一見人の良さそうな、しかしよく見るとやっぱり人の悪そうなじいさんに掴まった。額にオレンジの塗料を塗ったインチキ祈とう師風の姿で、今度は無理やりオレの手首にアクセサリー風のヒモを巻いている。例によって、「ノーマネー!」と発言しながら。……もう面倒くさいな〜〜。まあいいや、好きにしてください。勝手に人の腕にアクセサリーを巻きたいのなら、巻いてください。ただ、ノーマネーとたしかに言ったその言葉に責任を持ってもらいますがよろしいでしょうか。
 じいさんはヒモを巻き終えるとオレの手の平に自分の手を重ね、見た目が祈とう師だけに何やらブツブツと呪文を唱え始めた。なんだろう。ただの通りがかりの観光客のために、無償で旅の無事を祈ってくださるのでしょうか。素敵ではないですか。ありがたいではないですか。それも、
普通はお布施とか寄付とかを請求するのに、ノーマネーだなんて。
 ほんの1分ほどで呪文は終了し、じいさんは手を離した。さあ、
この1秒を制した者が勝つ。



「サンキューじいさん! このヒモありがとう! 
じゃあまた!!



 オレは、感謝を込めて礼を言うと、
じいさんが何か言葉を発する前にダッシュした。このヒモはもらっておこう。お祈りも受けておこう。あなたの言った通りノーマネーで。ノーマネーと最初に言わなければ交渉の余地もあるかもしれないが、他ならぬあなた自身が申告してくださったのですから仰るとおりノーマネーで全ていただいておきます。
 しばらく広場を駆けてから後ろを振り返ると、なぜか遠くで
お布施帳のようなものを振りかざして怒っているおじいさんの姿が見えた。どうしたんだろう。なにか腹の立つことでもあったんだろうか。金銭トラブルだろうか?? お気の毒に……

 さあいよいよ、今度こそは観光をしよう、とインド門方面に目をやると、
12時の方向から10歳くらいのみすぼらしいインド男の子・インド女の子がオレに向かって小走りで接近中であった。黙して語らずとも、その目がすでにマネーと言っている。オレはすぐさま方向転換をし、再びダッシュをした。しばらくガキは追いかけてきたが、さすがにキミたちとは足の長さが違うんだよ、50mほど走ると距離が縮まないことで諦めて2匹の子供は標的を変え、他の外国人に接近していった。

 ……いやー、それにしてもさすがインドの観光地だなあ、こんなに立て続けにてんやわんやとインド人がやって来て、
観光できるかっっっ!!!!!!!!

 
オレはインド人を観光しに来たのか?? ここに来たのは、単純にタージマハルホテルとインド門の観光のためである。ホテルと門、微動だにせず、時間制限も全く無い観光ポイントではないか。なぜホテルと門を見に来てオレはこんなに無駄に走り回っているのか。まだ何も観光してないのに。

 こうなったらとりあえず目標を変えて、この場を離れ船に乗ってエレファンタ島の遺跡を見に行くことにしよう。どこでチケットを買っていいかわからなかったため、適当に埠頭の方向へ進むと、なにやら若い日本人旅行者が1人真剣な表情で突っ立っている。とりあえず声をかけてみるか。



「こんにちは。何をやってるんですか?」


「あっ、どうも。いや、エレファンタ島に行きたくていろいろ聞いてるんですけど、
誰を信じていいかわからないんですよ……



 ……。

 
なんなんだいったい(涙)。
 彼はフェリーのチケット売り場を探しているのだが、誰に聞いてもそれぞれ言うことがメチャクチャで、さらにほとんどの人間が買って来てやるから金をよこせと言うらしい。
 ……。
 もうさあ、インドさあ、
パキスタンに併合されようよ。インドをやめようよ。
 ほんと情けなくて涙出てくるよオレは。もしここがイスラム諸国だったとしたら、今頃彼は声をかけた1人目の通行人にチケット売り場まで連れて行ってもらい、下手したらチケットまで買ってもらい、
島まで行って観光をして既に帰って来ているのではないだろうか。パキスタンやイランでは誰もが旅行者に手を差し伸べてくれたが、インドでは誰もが旅行者の足を引っ張っている。おまえらは、ジャマジャマ戦隊ジャマレンジャーかっ(壊れ気味)!!!!

 オレはその後
風の動きを見てなんとか大学生の彼と一緒に正規のチケット売り場を探し出し、なんとかフェリーに乗ってエレファント島へ渡ることが出来た。
 島では船着場から遺跡まで長い階段を上る必要があるのだが、麓には手作りの木組みの籠があり、その脇に何人かのインド人がスタンバイしていた。料金を払えば、彼らが神輿のように担いでエッホエッホと上まで運んでくれるそうだ。
あんたらほんと何でも商売にするよな……。たしかに階段を上がるのは大変そうだが、神輿で運ばれる恥ずかしさと比べたら自力で上る苦しさを選ぶぞオレは。
 しばらく歩くと、飲料水を運ぶ島民だろうか、前方から頭に大きな水がめをバランスよく乗せたおばさんが3人やって来た。そしてオレを見かけると、
「フォトフォト〜!」と自分たちの写真を撮ってもいいよと愛想良く勧めてきた。これ怪しいなあ〜。もしかして、最初だけにこやかにしておいて、写真撮ったら豹変して「マネー!!!」と叫ぶんじゃないのか? ちょっと警戒した方がいいなこりゃ。人を信じられない心の貧しいオレは、せっかくのおばさんたちの好意を敢えてお断りし、通り過ぎて様子を見ることにした。
 ちょうど後ろからはタイミング良く若い白人女性のグループが近づいてきており、おばさんたちは今度は白人に近寄ると、にこやかな顔と声で
「フォトフォト〜!」と促した。やはりこういう時欧米人旅行者というのは偉いもので、「ワオ〜! グレイト!」などと大げさに叫びながら、彼女たちは水がめおばさんの写真を撮っていた。すると、写真を撮られて1秒後、おばさんたちは豹変した。



「マネー!! マネーマネー!!!」


「Wha, What??」


「マネーッ!! ユー!! フォト!! マネーー!!!」



 
……ほらな(号泣)。

 
まだカメラを構えたままの状態で、白人の彼女たちは悪鬼のごとく迫り来る3人のババアに恐れおののき、オタオタと財布からルピーを取り出していた。な? ダメなんだってこの国は。地球人としての一般常識に基づいて物事を考えたらダメなんだってこの国では(涙)。

 ちなみに階段の途中にはコブラ使いがおり、どうせまた金をせびられるんだろうなとは思ったが、物珍しかったためオレはパチリと1枚デジカメで撮影した。それまでピ〜ヒャラララ〜と笛など吹いて道化を演じていたヘビ使いは、オレのシャッター音を聞いた
1秒後にコブラをカゴにしまい、そのコブラの入ったカゴを持ってオレに迫ってきた。



「マネーッ! ヘイ! ユーテイクフォト! スネーク!! マネーーーッッ!!!!」


「わかったって!! 払うっ!! 払うから、頼むからそのカゴを近づけないでくれ(涙)!! スネーク! アイドントライクスネークッ(号泣)!!!」




 オレは10ルピーをコブラ使いに払いながら、
インド滅びろと念じていた。





今日の一冊は、

悪の教典〈下〉 (文春文庫)




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