〜マンマドの悪夢〜





 現在地のアウランガーバードは、少しだけゴアより北に位置する。しかし今日はここから一気に南下して、南インドのど真ん中、インドのGDPを猛烈な勢いで押し上げている超主要都市のバンガロールへ向かうのだ。
 バンガロールといえば、
「インドのシリコンバレー」とも呼ばれちゃっているIT産業のメッカ。シリコンバレーといえば、シリコンで豊胸した若いママさんがぷるんぷるん飛び跳ねながらバレーボールに励む、最高のエンターテイメントではないか。うう……興奮しちゃうっ!! IT(淫猥なる妻たち)最高!!

 さあ、煩わしい中央インドの旅はこれで終わりである。
 明日からはインド内先進国のバンガロールでパソコンショップを巡りファーストフードを貪り食い、ゆったり休憩をしたらそのままのどかに海岸に沿って(地図でいえば右上に)北上、それでインドとはおさらばである。……ばかめ。
オレがインドに来たらいつも怒鳴り合う道を進むと思ったら大間違いだっ!! どんな動物でも本能的に危険ややっかい事は避けるだろうが!!! オレも動物の端くれとして野生の本能を発揮しているんだよ!!!
 まあ動物といっても、「ニート」という
比較的最近発見された新種の動物ですけど。(特徴:生命力、自己繁殖力なし)

 前回のインド訪問で苦渋を舐めた
最低最悪都市、デリー、ジャイプル、アーグラ、バラナシなどの北インドの各都市は、今回は一切無視することに決めた。ムンバイやゴアはまだ北と南の中間でそこそこ悪辣な輩が多かったが、これから完全な南インドに突入すれば、もう今までのように心を鬼にして大きな声を出す必要も無い。
 「南インドはとにかく人が良いのよ!」というのは世界共通の認識だ。北インドが悪霊ならば南インドは守護霊。逆に南インドが沢尻エリカ(18歳・黒髪)なら北インドは沢尻エリカ
(21歳・茶髪)。南インドが辛酸なめ子なら北インドは硫酸なめ子。もしくは塩酸なめ子。危ない……北インドは危ない……。

 まあそろそろオレの暴言ばかりの旅行記も
世間に飽きられてきた頃だし、これからはもうオレ自身のために旅行をエンジョイしようじゃん。楽して中国に行ければいいじゃん。目的さえ果たせば道筋はどうでもいいじゃん。金で解決すればいいじゃん。
 アウランガーバード駅からまずは数時間電車に乗り、「マンマド」という中継駅まで来た。ここでしばらく待ち、バンガロール行きの電車に乗り換えである。
 このマンマド駅は、各路線の中継地点となる主要駅のためやたらとホームの数が多い。にもかかわらずチケットには「何番ホームから」みたいな表記はなく、頭上から吊り下がっている掲示ボードのようなものもなく、
乗客をちゃんと目的地に運んでやろうという意識が全く感じられない駅である。仕方なく通りすがりのインド人に尋ねてみると一応親切に教えてくれるのだが、だいたい5人に聞くと10通りくらいの答えが返ってくる。彼らは、何か訪ねられた時の対応としては正確さよりオリジナリティ重視らしい。本当に見事にバラバラだ。今時、今場所の優勝力士予想の街頭アンケートでももう少し回答は重なるぞ……。
 もしかすると、インド人は「知らない」とか「わからない」と答えることをプライドが許さないのだろうか? だったら、「知らない」と言わないためにちゃんと正しい知識を得ていてくれと言いたい。
ものすごく親身になって適当な事を教えるのだけはやめてほしい。一瞬信じちゃうから。
 
ヘイ! カモンポーター!
 ということで、この駅で正確な電車の発着場所を知るにはカモンポーターに頼るしかない。オレはポーターのユニフォームである赤いシャツを着た白髪のじいさんを呼び止めチケットを見せ、料金を交渉して自分の座席まで荷物を運んでもらうことにした。

 さて、じいさんはオレのチケットを見ながら、バックパックを担いで3番線のホームまで行き、そして荷物を下ろした。



「ヘイジャパニー! ここにバンガロール行きの電車が入ってくるから、とりあえずじっと待っているんだ」


「あれ、もう発車10分前なのにまだ来てないの??」


「ちょっと遅れているんだよ。いったんオレは他の客のところに行くけど、電車が来たらちゃんと戻ってきて席まで連れてってやるから、ノープロブレムだ」


「ほんとでしょうね。信じていいんでしょうねおじいさん」


「オレを信じずに、誰を信じるんだ。……ボウズ、ここを動くなよ。アイルビーバック!!」


「きゃー! かっこいい!」



 じいさんは、とりあえずここで待てと言い残して、空き時間でもうひと仕事するためどこかへ消えて行った。
 バンガロール行き電車の発車時間は、10分後である。本来ならばもうとっくに来ていてもいい頃だが、まあそのあたりはあまり細かく考えるのはやめよう。
インドの鉄道と大作RPGの発売日は、遅れて当たり前なのである。きっとバンガロール行きの電車も遅れることによって完成度を高めているのだろうから、まあ多少の遅れは認めてやるのがユーザーのマナーだろう。
 ところが、今日のインド鉄道はいつもと違うのであった。なんと、
出発5分前にちゃんと電車がやって来たのである。車両の上の部分に「デリー←→バンガロール」とあるデリー発バンガロール行きの列車が、奇跡的に時間通りに、線路を挟んで反対側のホームに正確に滑り込んだ。

 じじい……(ワナワナ)。

 このやろおおお〜〜。全然場所が違うじゃね〜か〜〜。あっち側に移動するには、また荷物を全部持ち直して先頭まで歩いて階段を上がって陸橋を通って向こう側まで行かなきゃならんじゃないか。なんのためにオレはポーターを雇ったんだよ……。
 オレは、納得がいかなかったため
その場から動かずじいさんを待つことにした。そりゃあそうだろう!! だって、正しいホームの正しい車両の正しい座席まで荷物を運ぶのがポーターの仕事だ!! じいさんは「電車が来たらアイルビーバック」と言い残して去って言ったのだ。約束どおりじいさんがオレの荷物を運ぶのがスジだろう。こんなところで泣き寝入りをしてはいかん。NO! 泣き寝入り! このフレーズをインドを旅する日本人の合言葉にしよう。NO! 泣き寝入り!

 
プオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン(発車の汽笛)

 
おおいっ!!! ちょっと待てっ!!!

 ま、待ってくれ。そうだけど、たしかにもう予定発車時刻だけど、
インドの電車なんだから遅れて当たり前じゃないか!! 乗り換えの多い中継駅なんだから、いつもなら10分や20分平気で停車してるじゃないかっ!!! なんなんだその奇跡的な時間の正確さは!! 遅れろよっっ!! 身の程をわきまえろっ!!! 運転手は日本人かっ!!!

 やばい。電車はエンジンをふかして、今にも発車しそうである。これだけの荷物を持って陸橋まで行って上がって渡って下りるには、ダッシュでも3分はかかる。
間に合わん。くそ〜、あのじじいめ〜〜〜っ!! アホっ!! ボケっっ!!! ボケ老人!!!! わーぎゃーー!!

 こうなったら、もはや直線移動しかない。
 オレはすかさずアクションスターに変身して線路に飛び降りると、ホームからバックパックを引き摺り下ろして背負い、その他荷物を両手に抱えた。そのままレールの上を横切って、対面の車両へ。幸いなことに、こちら側もドアは開放されている。よし、なんとか間に合いそうだ……と入り口へ伸びるハシゴに足をかけようとした瞬間、いきなり電車が動き出した。
 
くおーーーーっ!! 待て!! いかせてたまるかっ!!! 乗るんだっ!! バンガロールへ行くんだ!! インドのシリコンバレーでシリコン豊胸の女子バレーを見るんだ!!! 淫猥な妻たち(IT)産業がオレを持っているんだ!!! くらああ〜〜〜っ!!!!

 オレはジワジワ逃げて行く電車のドアを追いかけ線路を走り、かろうじてハシゴを掴み足をかけた。そして、「神よ! オレを好青年だと認めるならば、電車に乗せたまえ!」と叫びながら這い上がった。
 ……
乗れたっ!! うおっしゃーーーーーーー!!! なめんなっ!! なめんなよこの結婚適齢期のオレを!!! もうオレは乗り遅れんぞっっ!! 電車にも結婚にもっ!!!

 やっとのことでオレは、入り口のドアを抜け車両内に突入することができた。それにしても……本当にあのポーターのじいさんは何だったんだ……。この駅のポーターは、
客が電車に乗るのを阻止するのが仕事か?
 とて〜も面倒だが、こうなったら座席も自分で探さなければいけない。しょうがないなあ。今回は南インドに向けてリッチに寝台車を取ったから、こんな安っぽい車両じゃねえぜオレの席は!! 
うらあ、貧乏人どもが!! オレを通しやがれ!!!
 オレはずんずんずんずん座席の間を縫って移動し、寝台車の「A2」車両を目指した。いくつかの連結を越え長い距離を歩き、冷房まで効いて一気に金持ちの空気が漂っている、着いた、ここが遂にA2だ!! 37番! オレのA2の37はどこだ!! ご主人様が来てやったぞ!!!
 おっとー。あった。ここだな?

 ……。

 
おばさんが寝ている……。

 オレの指定席では、遠慮して縮こまるでもなく思いっきり体を伸ばして、インド人おばちゃんが我が物顔でグースカ寝ていた。
人の席を取っている罪悪感など一切感じさせない無邪気な寝顔で。
 まーまーお疲れのようでおばさん。なんだか気持ち良さそうに寝ているわねえ。かわいそうだから、このままにしておいてあげましょうかしら??
 さて……。



「起きろゴラーーーッ!!!!」


「わっ! な、なにあんた?」



「おばさん、
ディス イズ マイシート。今すぐあなた自分の席に戻ってください。さもないと、僕はきっと自分の怒りの暴走を止めることができません……お願いだから今のうちに逃げて……!! オレを犯罪者にしないで!!」


「いきなり失礼な人ね!! ここは私の席よ!!」


「ぬおお、威勢良く反撃しやがったな……。じゃあおばさん、チケット見せてよチケット。そんで、
交換にオレのこの光り輝く指定席チケットを見ろっ!!! そしてこの座席についている番号と照らし合わせろっ!!!



 オレはおばさんからチケットをふんだくり、勝ち誇った態度で座席の数字を見た。
……ほらっ!! あんたの席はここじゃなくて、A2の37じゃねーか!!! やっぱりここはオレの場所なんだよ!! オレの席はA2の37なんだから!!! えええええっ??? あああれっ????

 どういうこっちゃ……。

 オレとおばさんのチケットに書かれている指定席は、どちらも全く同じA2の37。なんなんだよいったい……。向かいに寝ていた、このおばさんの旦那さんも出てきて、やはり2枚のチケットを照らし合わせ確認し首を捻っている。
 うぬううう……。
ダブルブッキングかよ……。
 ホテルや電車、飛行機などで、全く同じ部屋や席を2人に同時に割り振ってしまうことを、ダブルブッキングと呼ぶのだ(作者先生のわかりやすい解説)。
 そういえば、エジプトでルクソールからカイロに行く時の夜行電車でも同じくダブルブッキングにあったことがある。ただ、その時は先に乗っていたのがオレだったので、後から来た旅行者が車掌に訴え別の席を確保してもらっていた。しかし今回はたとえ正しいチケットを持っていたとしても引かねばならないのはオレの方。くそ〜、
ちゃんと予備の席はあるんだろうなっ!! 車掌!! どこにいやがるっ!!!
 とその時、まだ2枚のチケットを見比べていた旦那さんが、何かに気付いたかのごとく、オレに聞いた。



「あれ? おまえ、バンガロールに行くのか??」


「そうよ。マンマドからバンガロールまでの切符を買ったんだから。もしかして、おじさんとおばさんは次の駅とかで降りるの? すぐ空くのこの席??」



 すると、おっさんは自分の額を手の平でピシャリと叩き、
最大限のアチャー!!という態度を示した。



「おまえこの電車はバンガロール行きじゃなくて、
バンガロール発の、デリー行きだぞ?











 ……。











 
しばらく、時が止まった。
















 う……




 うう……




「うそだ! そんなわけあるかっ!! だって、オレはポーターに違うホームに連れて行かれたから、わざわざ自分で荷物を全部持って線路を渡ってかろうじて走り出した電車に飛び乗ったんだぞ!! そこまでして必死で乗ったんだから、努力を認めてこの電車はバンガロールに行くに決まってるよ!!!」


「そこまでして違う電車に乗ったのかよ……」


いいや考えられへん。考えられへんね。あっ、車掌さん!! すみません、この電車はどこ行きですかっ!!」


「なんだおまえ?? はい、チケットを見せなさい」


「はい、チケットを見せます!!」


「ユー、
リッスン。この電車はバンガロール行きじゃない。デリー行きだ。このチケットではおまえはここにいることはできない。残念だな。すぐさま、次の駅でゲットオフ!!


「ぴぎゃ〜〜っ(号泣)! ぴぎゃ〜〜っ(号泣)!!」



 ななななな、
なんでやねん……。という前に、そうだ、まずは何よりも先に。



「おばさん! そしておじさん! 
すすすみま千円〜〜〜〜(号泣)


「いいのよいいのよ。気にしないで」


「アンラッキーだったな。まあ次の駅からマンマドに引き返して、それで明日にでもバンガロールに向かうといいさ」


「はあおうんうんうんうん(号泣)」



 そうだ……次の駅で……。
 そういえば、肝心のバンガロール行きの電車は、発車時間にもかかわらずさっきはまだ来ていなかった。ということは、遅れているということではないか。すぐさま次の駅で降りてマンマドまで帰れば、まだ間に合うかもしれない!! 次の駅は、次の駅はどこっ!?



「車掌さん!! すみません、次の駅への到着まであと何分くらいですかっ!?」


「そうだな。次はジョルガオンの駅だから、だいたいあと3時間くらいだな」


「やったー! それならまだ間に合うかも! たったの3時間なら! 3時間なら! って
3時間かよっ!!! 隣の駅まで3時間!! 戻って往復6時間(号泣)!!



 ……。

 それからオレが
目的地と真逆の方向へ向かう3時間をどういう気持ちで過ごしたか、もう今となっては記憶には無い。しかし、なにしろオレは真っ白な頭におじさんと車掌の指示を詰め込み、3時間後にジョルガオンの駅で下車し、また3時間かけてマンマドまで引き返すため(無駄な気力と体力を使い無意味な時間を過ごすため)に、オレは電車を待った。



 ↑ジョルガオンで折り返しの電車を待つ。夕闇が……。思い巡らしてほしい。この写真を撮っている、画の手前にいるオレがこの時どんな気持ちなのかを(涙)。

 そしてオレは、逆方向から来た電車に乗り、呑気に3時間ガタガタ揺られ、再び中継地点へ戻った。1日が終わり、
6時間ほど電車に乗っていたにもかかわらず今朝と全く同じ駅へ(号泣)。本来乗るはずだったバンガロール行きの電車は、とっくに影も形もなくなっていた。そりゃそうだ。終点まで30時間ほどかかる寝台車で乗り違えたのだから、山手線で逆向きに乗ってしまうのとはわけが違う。山手線なら次駅で引き返せば5分程度で戻ってこられるが、インドの長距離列車では待ち時間合わせて元に戻るまで7時間である。オレがこんな無駄な時間を過ごしている間にもちゃんと宇宙は光の早さで膨張し、この7時間で宇宙の果ては7億5千6百万kmほど遠くに行ってしまったというのに。せめてオレが自分の足で走ってでも7時間正しい方向に進み続けていたなら、少しは宇宙の果てとの距離を縮められたのに。

 その夜はガイドブックにも乗らぬマンマドの町で手探りで宿を取り、屈辱の夜を過ごした。
 そしてオレは思った。もしかしてこの一連の出来事は、
「南ではなく北へ行け」という神からのお告げではないのだろうか。「このまま南へ進んだら好青年とは認めてやらんぞ」という神からの通達ではないのだろうか。
 そして、心身ともに疲れきり、もはや
今痴漢の冤罪で捕まったとしても普通に罪を受け入れてやろうと思うくらい全てがどうでもよくなっていたオレは、血迷った。
 翌日、デリー行きのチケットを買ったオレは、自らの意思で、もう一度デリー行きの電車に乗った。

 ……そしてさらに翌日。
 
オレは、3年ぶりのデリー、メインバザールに立っていた。

 もう、ヤケだぜ……。



↓マンマド駅〜陸橋








今日の一冊は、
やっぱり原作が1番だと思うんですよね DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)







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