〜電車で(以下略)4〜





 電車移動中に途中の駅で
乗っていた車両が消えるという、ジークフリート&ロイも真っ青な消失マジックを乗り越えてオレ達は無事初夜を迎えることができた。初夜と言ってもオレとスーダン人はちゅっぱちゅっぱと愛を振りまく新婚さんなわけではない。そもそも新婚さんだったら移動には飛行機を使うしおのろけ会見は開くし、こんなアフリカのおっさんたちと絡み合う夜を繰り広げることはないであろう。
 ちなみに婚約記者会見では
テーブルの下で手をつないだりしてラブラブぶりをアピールし、結婚後1年くらいで離婚するというのが昨今の正しいおのろけ会見の作法である。離婚後はもちろん女優業に復帰だ。

 この電車のコンパートメントはボックス席の片側に3人ずつ、計6人が座れるようになっているのだが、例えばインドなんかの寝台車のように上中下と3つシートがついているわけでもない。ただ3人分の
長椅子のみである。このスペースで無理やり寝転がろうとしても、隣のスーダン人との競合が起こり床に転げ落ちるだけだ。サイドギャザーでもついていればまた話は違ってくるが、そんな安心なものは備えていない昔かたぎな座席なもので、横もれは避けられない。

 そんな中、やさしいセフィアンは荷台によじ登って
荷物として夜を過ごしてくれることになったので、この椅子で寝るのはオレとじいさんの2人だけになった。じいさんは、「よしよし、最近の若いもんは感心じゃのー。ちゃんと年長者のために席をあけるとは。では、ありがたく横にならせてもらうとするか」と遺体のように横たわろうとしたのだが、そうはいくかてめー! まだもう1人このオレが残ってるんだよ!! セフィアンはこのかわいそうな病弱外国人旅行者のために席を譲ってくれたんだ! 年寄りだからっていたわられて当然と思ったら大間違いなんだよ!!!
 
ということでオレは、年寄りなんだから一人で椅子を占領するのは当然、作者が一生独身なのも当然というふうに傲慢に寝転がるじいさんと、夜のヌビア砂漠でわずかなスペース争いをしながら一夜を共にすることになった。
 くそ、もてないと思ってバカにしやがって……。ああそうだよ。たしかにオレは不気味だよ。PCの中のグラビア画像も
2000枚を超えたよ。……でもな、日本の女性というのは、男が好きなことに熱中している姿に惹かれるんだよ!!! オレが朝早くから血まなこになって画像をダウンロードし名前をつけて整理している一生懸命な姿を見たら、たいていの女はオレに惚れるはずだ!!! 婚姻関係を結びたいと思うはずだ!!!


 ……。


 もういい。

 
もうノッツェに登録してやるっ!!ノッツェ


 まあ、ノッツェはノッツェでとりあえず登録して
オファーを待つとして、そんなわけで、長椅子の背もたれ側にじいさんが、そして落ちそうな側にオレが寝転がることになった。じいさんの足の方にオレは頭を置き、オレの足元にはじいさんの頭がある。例えて言えば、数字の6と9のような形だ。決して「6と9」の間の「と」を取ったあげく英語に訳してはいけない。
 
しかしオレも一応日本のニートのイメージを損なわないように、老人は大切にとなるべく縮こまって、落ちる寸前も寸前、椅子の淵の部分に一本の棒のように省スペースで寝転がっているのだ。じいさんが使っているスペースが甲子園のグラウンドだとしたら、オレなんてラッキーゾーンくらいのもんである。だがオレの努力を理解できない残虐じいさんは、それでも寝ぼけているフリをしてオレを椅子から落とそうとしてくる。
 
てめー。これだけしおらしくしてやってるのにまだ足りんのかおまえは!! そうやって他人を蹴落とし仲間を失って、そうまでして出世することにどれだけ意味があるんだよ!!!
 
ということでオレはずんずんこちらに迫ってくるじいさんの老いた肉体と押し合いながら、くんずほぐれつ朝までやりあって過ごすハメになってしまった。もしこの列車にフライデーの記者が乗っていたら、来週の金曜日には「作者、じいさんとお泊りデート発覚」のスクープ記事が世に出てしまうことだろう。でも信じてください、僕は、じいさんとは何もなかったんです!! ただお酒を飲んで、朝まで仕事の相談に乗ってもらっていただけなんです!!!

 
当然のことながら、じいさんは寝れたようだがオレはほぼ一睡も出来ずに、そのまま朝を迎えた。しかし年寄りが早起きだということは日本もアフリカも変わらないのだろうか、じいさんが日の出とともに起き上がったためやっと広いスペースができた。こ、これで寝れる!!! ああ、やっと念願の睡眠があ〜〜!! ぐーぐー


「おい、ムハマド!」


「ぐーぐー」


ムハマド!! 起きんか! もう朝だぞ!! おーい、おまえたち! 朝になったぞ。荷台のやつも下りて来い! さあさあ」


 ……。
 なんの権利があるのかわからないが、自分が起きたからといって室内の人間全員を起こして回るじいさん。現在朝の6時である。修学旅行より早い起床だ。まだ今日が朝から盛りだくさんの日程というなら早起きもわかるが、本日1日のプランは
「ただ時が過ぎるのをじっと待つ」だけである。今日は1日24時間まるまる電車の中なのだ。しかも景色は砂だけ。こんな状況では少しでも多く意識を失っていた方が楽になるに決まっているのに、こんな早く他人を巻き込んで起床するじいさんは高い壺を売りつけようとしてくる親戚くらい迷惑なものである。


「ムハマド」


「……」


「おい、ムハマド」


「……」


「コラ!! ムハマド!! 呼んでるだろうが!! 返事をせんかっ!!!」


「ぎょえっ!! は、はい、ごめんなさい!!」



 そういえば昨日オレはムハマドというアラビア語用の名前をつけてもらったんだった。あれはその場だけの冗談じゃなくて、
呼ばれて返事しないとこんな怒られる本気の命名だったのかよ……。でも本気なんだったら、せめてムハマドなんていうモスクの中で叫んだら50人くらい振り返りそうなよくある名前じゃなくて、もっと面白みのある、映画でいったらコレリ大佐のマンドリンとか青春デンデケデケデケのような奇をてらったネーミングにしてもらいたいものだ。その方が中身の面白さはともかく名前だけでお客さんの興味を引けるではないか。よし、じゃあオレ今からコレリ中佐でいい? ムハマドじゃなくて、コレリ中佐って呼んでね。みんなもね。

 さて、今日も今日とて相変わらず砂漠だ。こんな早朝に起こされてしまったものだから、今から砂漠を6時間見続けたとしても昼にしかならない。通勤電車で
目の前に座っているギャルの胸の谷間を見ていても10分もすれば飽きてしまうのに、砂だけで6時間、いや、夜寝るまでだいたい16時間砂を見続けるというのはどれだけの無我なのか想像がつかない。10万光年を旅しそうな遠さだ。
 関係ないけど、通勤電車って一緒に乗ってるのはみんな知らない人ばかりだから、他人の目を気にせず
堂々と谷間をのぞけるよね。キモい奴と思われてもどうせ電車を降りればさようならなんだし。でも辛抱たまらんくなってもさわっちゃダメなのよね。人生狂うから。そこが辛いの。

 さて、砂漠はとっくに1年前に見飽きているが、じゃあ何をするかというと別にすることはないので、たまにじいさんやセフィアンらと話したり股間をいじったりし、他はとにかくひたすら砂を見て過ごすのだ。暇つぶしに砂の粒の数を数えてみるのもいいかもしれない。きっと全部数え終わるころには長い電車の旅も終わり、
オレの人生もとっくに終わって西暦50000年くらいになっていることだろう。
 全開の窓からは風とともに容赦ない砂埃が襲ってくるのだが、風と砂埃を同時に浴び続けているとどうなるかというと、髪の毛が
風になびいたまま固まる。だいたい昨日今日ともう20時間くらい砂風を浴びているため、オレの髪型は具体的に言うとキャプテン翼の登場人物のような独特な三角形になっている。風が吹き止んでも髪の毛はずっとなびいた形をしているという、名づけて形状記憶髪型である。ワックスやヘアスプレーなしに固めることができて非常に便利だ。帰国した際には、資生堂に持ち込んで製品化について検討しようと思う。

 さて、4,5時間ひたすら砂粒を数え続け、だいたい3万粒ほど数えたところで砂漠の真ん中でいきなり電車が止まった。

 どうやら故障のようである。
 なぜ故障とわかるのかというと、
他に止まる理由が無いからである。駅も無いし、なにしろこの路線には他の電車が一切走っていないのだ。影響を受けようがない。
 1本の線路に1本の電車。オレたちが乗っている電車とこの線路の関係の濃さ、お互いの重要さは
少年ジャンプと鳥山明、もしくは相原勇とピーターパンの関係のようなもんだ。

 それにしても、こんな砂漠の中で放り出されても、することもなければ楽しくもなんともない。
 え? なに? 「貴重な機会なんだから、砂漠を歩いてみたらどうなんだよ」って?? 「ついでだけど……愛してる」って??
 まあ砂漠を歩くという体験もいいかもしれないが、
その間に電車が行ってしまったらオレ死ぬけど責任とってくれる? オレの代わりに両親やムクの面倒見てくれる? ……それが出来ないんなら無責任なこと言うんじゃねーよ!!! ちゃんと自分で責任を負う覚悟が無いんなら子供なんて産むんじゃねー!!!!

 ということで、もし置き去りにされたら目的地に着けない代わりに
人生の終着駅にたどり着くことが確実なため、砂漠を歩くといってもせいぜい車両沿いの動きしかできないのだ。なのでオレは、とりあえず外には出たが突然動き始めたとしてもすぐに飛び乗れるように、電車にぴったりくっついて更家ウォーキングを始めた。丸1.5日間車両に閉じ込めらていたから、少し太ももがたるんでしまったような気がするの。トップモデルとして世界と張り合える最高のプロポーションを保つためには、毎日のエクササイズは欠かすことができないのよ。
 ところで、電車の床というのは、乗客が駅のホームから乗り降りをするために地面から結構高い所に位置している。だから駅ではなくこうして普通に電車の横を歩いていると、床の高さはオレの腰よりも高いくらいなのだ。
 でそのまま車両に沿って歩いていると、ある部分に差し掛かった時に、突然車両から線路にジャ〜〜と水が落ちて来た。オレの1m横の線路に、その上の電車の床から1本の水が滴っているのだ。しぶきもかからんばかりの距離である。そして、勢いのある水とともに、今度は
何か固形物がボタッと落ちてきた。


 ……。


 いけませんっ!!!
 そんなものをっっ!!! 僕の横にそんなものを落としてはいけませんのっ(号泣)!!!!!


 オレは今までの旅でも一度も出さなかった、
ワープ(宇宙空間歪曲航法)をここでついに使った。ドス黒い固形物が落下すると同時に、一瞬にしてオレは5mの距離を瞬間移動して逃げた。

 もうおわかりだろう。
 日本の電車などと違い、発展途上国の長距離電車ではトイレは地面に直通である。トイレの穴を覗くと思いっきり線路が見えるのである。そして、走行中ならば出したものは遥か線路後方に流れてゆくだけなのだが、このように電車が止まっている時は、出した排泄物は
そのまま真下の線路に落下することになるのだ。たとえその1m隣を旅行者が歩いていようとも。

 ううう……。
 おえ〜〜〜〜〜〜〜っ(号泣)

 見ちゃった……見ちゃったよ……。そりゃあ今まで散々汚いトイレは見てきたけど、
まさに落下する瞬間の生誕直後の他人のものを見たのは人生初だ……。こんな思い出を記憶するためにオレの脳細胞はあるのではない。オレの脳を!! オレの脳の記憶容量を無駄に使わせやがって!!! 脳細胞返せよ(号泣)!!!
 ……いや、ここはプラス思考でいくんだ!!! そうだ、今トイレに入っているのはスーダン人じゃないんだ。決してスーダン人なんかじゃない。おっさんやじいさんじゃない。きっと今トイレの中にいるのは、
ベネロペ・クルスなんだ!!! だから、あのオシッコとウムコはベネロペ・クルスが出したもの、ベネロペのものなんだよ!!
 ……お、おーーーっ、なんか、そう考えるとあの汚物がとても奇麗に思えてきた!! 奇麗どころか、
おいしそうだっ!!! やったーっ!! えへ、えへへ〜〜〜。ちょうだい、ひとつだけちょうだい!!

 このアフリカの北、ヌビア砂漠で
悲しい出来事は美しい記憶へと見事に昇華した。そう、物事はそれを自分の心がどのように受け取るかによって、良い記憶にも悪い記憶にもなりうるのだ。思い出というのは所詮頭の中のこと、全て自分の思いひとつで好きなように調整が可能なんだ!! どんなイヤな思い出でも、一度記憶の引き出しから取り出して、新しくコーティングをしてしまいなおしてあげようよ。そうすればイヤな記憶も奇麗な思い出になって、いつでも楽しく振り返ることができたりとかそんな簡単にいくわけねーだろうがっ!!! 振られた思い出なんていつ振り返っても最悪でしかないんだよ!!! 地獄だよ地獄!! あんな苦しみを味わうくらいなら誰も愛さない人生を送った方がマシなんだよ!!!! だからもうオレはテレビや雑誌の中のアイドルしか好きになれないんだ!!!!


 ……私は今号泣しています。


 そして、号泣しながら
2時間が過ぎました。





 ポーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!


 おおおおっ!!!!


 
乗客の半分くらいは砂漠に下りてくつろいでいるのに、スピーカーで放送するでもなく、車掌が声かけて回るでもなく、汽笛を鳴らしていきなり発車しようとする電車。当然のごとく車両入り口へのハシゴは戻ろうと必死の乗客で軽い取り付け騒ぎである。
 もし腹をくだして
ちょっと遠出をして砂漠でふんばっている乗客なんかがいたらいったいどうするのであろうか? その人が電車に乗れなかったら、次の電車が来るまで1週間待たないといけないではないか。しかも次の電車は別にここに止まらないし。うまくサソリにでも変身しない限り、生きて次の地を踏めることはないであろう。ただ砂上に屍を晒すだけである。
 この砂漠に果たして終わりはあるのだろうか。







今日の一冊は、
井上陽水の『少年時代』はこの作品のために作られたのです 少年時代(1) (藤子不二雄(A)デジタルセレクション)





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