〜イシオロ−マルサビット〜





 5時前起床。またも不可能を可能にした気分だ。この現代社会において、日本人なら誰も考えも付かないような、いまだかつてない未知の起床時間である。これはおそらく世界中でセットされた
あらゆる目覚まし時計より早く起きているのではないか。言うなれば、5時前に起きるというのはオバQに101匹ワンちゃん大行進の主演を努めさせるくらいの事実上不可能な難題である。そしてもはやその5時前起床をこの数ヶ月で何度もこなしているオレは、そろそろ殿堂入りの話が出てきてもなんら不思議ではないのではないだろうか。
 まだ真っ暗な中部屋の電気をつけ、パッキングをする。あ〜あ……ねむい……こんな世界で80億人くらいが眠っている時間に荷造りなんて……ふぁ〜……ボリボリ ガリッ
 うがーーーっ!!!
 しまった!! かさぶたを思いっきり掻いてしまった!!!


 眠気にまかせて頭を掻いていたのだが、そういえば数日前から髪の大奥にやや大きめのかさぶたが出来ていたのを忘れていた。いつの傷か記憶にないのだが、躊躇せずに
ガリっとやってしまったため、かさぶたは完全に剥がれて床にカランカランと落ちた。血が出るっ!! 痛いっ!!! いやだ〜〜〜っ(号泣)!!!!

 ……。

 おや?
 おかしい。掻いたところをそっと触ってみても、血が出ている様子もないし痛くもない。いつものかさぶたらしくない、かさぶたにあるまじき状況ではないか?? どうしたことだろう。もう完治寸前だったのだろうか? でもこんな大きなかさぶたなのに……。ほら、こんなに……

 ……。

 
おや??
 なんか、一瞬剥がれ落ちたかさぶたが
動いたような気がするのだが……。改めて床に転がったかさぶたもどきをよく観察する。

 ……。

 おかしいなあ。なんか、かさぶたに
細かい足がたくさんついてるよ?
















 
きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!

 虫っ!!! かさぶたに変装した虫っ!!!! おえ〜〜〜〜〜っ ビチャビチャ……

 こ、こいつ……数日前からずっとオレの
頭の血を吸ってやがったな?? なんてことだ……。かさぶたのふりをして優秀な人間を選んで頭皮に張り付き、その高潔な血をエキスに生きるとはなんてしたたかな虫なんだ……。ああ、後から思えば、誰からも好かれる社交的で真面目な好青年だったオレが、こいつに血を吸われ出した時を境に内向的な変態に変わっていったような気がする。そう、オレが親戚の子供を無視するのも、グラビアアイドルが好きなのも、国民年金を滞納しているのも全てこいつに血を吸われたのが原因なんだよっ!!! オレは悪くないっ!!! 全部この虫が悪いんだ!!!! そしてこうやって、自分の欠点を認めず全部虫のせいにするような卑怯な人間になってしまったのも、この虫に血を吸われたからなんだ!!!! オレのせいじゃないんだよ!!!
 何日もの間、頭から血をチューチューチューチュー吸われていたオレ。これだけの時間だ、きっと
合計10リットルは吸われていることだろう。最近は血や肉をつくる小魚や牛乳、良質のたんぱく質をあまりとっていないので、日本から無駄遣いせずこつこつと溜めていた貴重な血である。なんてもったいない……くそ〜いっそのこと吸い返してやりたい気分だ。

 まあしかし、「一寸の虫にも五分の魂」というわが母国の美しい諺もある。いつまでも吸われた血を惜しがっていても仕方ないし、あの虫は虫で一生懸命生きているわけである。ということで荷物をまとめたオレは、とりあえず虫に
死刑を執行し、宿を出てトラックのいる広場へ向かった。……こんな残虐な性格になってしまったのも虫に血を抜かれたせいである。オレのせいではない。


「グッドモーニング!! ようジャパニーズ!! オレだよ。リアルファイターだよ!」


「おおっ、カレホヤン、まだ働いてたのか……。大変だなあ」


「名前は相変わらず言えてないが、まあいい、エチオピアに行くんだろう? ほら、あそこのトラックだ。ドライバーに交渉してみろよ」


「ありがとう、ホレルヤン……。あんたのことは一生忘れないぜ。またな!」


「おう! 元気でな!!」



 この日はたまたま北へ向かうトラック、ローリーは一台だけだった。運転手と料金交渉をし、側面のはしごを上がって荷台の屋根によじ登る。背中にバックパックという
20キロ分の重りがついているので、いつにないGを感じる。油断するとすぐに落ちていきそうで、上りきるには相当な力が必要である。……亀の甲羅を背負って修行した悟空とクリリンが強くなるわけだ。
 ちなみに荷台には屋根というより写真を見てもらえばわかるように、








ジャングルジム









 のような鉄の骨組みだけがついている状態である。
 もちろん、その下の荷台自体にはエチオピアへ運ぶ物資が載っているわけで、人間の入る余地はない。人間より
積み荷優先である。この鉄棒に乗って、国境へ向かって丸2日間移動するわけだ。……先に結論から言わせてもらうと、そんなことは無理だ(涙)。オレはたしかに彫刻のような美しい筋肉美をしており、友人からは「ヘラクレスくん」「コナン・ザ・グレートくん」と呼ばれてはいるが、それでもアテネの男子体操団体のメンバーには惜しくも選ばれなかった男だ。
 第一、この棒と棒との間隔を見てみろ。めちゃめちゃ広いじゃないか。この空間にはまって落ちないのは、
武蔵丸か中島啓江クラスだろう。ということは、大体アンガールズくらいスマートなオレの場合は、この鉄棒に尻を乗せ、ケニアエチオピア間のアフリカ真っ只中の悪路を振り落とされないようにしがみついて進まなければならないということか? 絶対途中で力尽きて落ちる。間違いない。スーパーひとしくんを賭けてもいい。

 
ブオオオオン!!

 ぬお〜っ!! いきなり走り出したっ!! もうスタートか!!!
 まだ太陽のた、いや、海外なのでSUNのSの字も出ない暗闇の中、地上5mのローリーの屋根に乗り国境を目指す。……しかし後に迫る苦痛をわかっていながらも、このウキウキ感はなんだ。小学校高学年の時に、
保健の授業で突然男女違う教室に分けられるくらいのウキウキ感だ。言うなれば陸上版のジャングルクルーズ(しかも2日間楽しめる・そして本物)である。ある意味、こんな経験を出来る自分というのは今すごく幸せな立場にいるのではないか? なんだかガラにもなく不思議な充足感を感じる。
 しかし、その充足感が続いたのは大体走り出して
10分ほどであった。10分後このモテモテ男がどうなっていたかというと、まず日没前のサバンナを疾走するあまりの寒さに、マナーを身に付けている人の電車の中の携帯のように、小刻みに休みなく震えていた。寒さ対策でマサイマントを昨日わざわざ購入したわけだが、最初体に巻いていたマントは走り出して1分で風圧に負け徐々に体から離れ、今はオレの後ろで他の客に迷惑をかけながら旗のようにバタバタとはためいている。オレは今にもアフリカの荒野に飛んで行きそうなマントの端を必死に掴んでいるだけだ。防寒にならないどころかおもいっきり負担を増やしている。

 地平線から太陽が頭を出し始めたのは、大体走り始めて1時間くらい経った頃であった。遠い空と地面の境目から、じわじわじわじわと太陽が昇ってくるのだが、気温はまだまだ全く変わらない。それよりも、まだ朝の6時だというのに、既に
ギブアップ寸前のこの尻の痛さよ。人間にとって必要なのは、愛でも恋でもない。まして金などでもない。ただふかふかのソファーである(涙)。せめて座蒲団をっ! 座蒲団をくれっ!! なんか面白いこと言うから!! 山田くんオレに座蒲団を!!!!


「危ないぞ!! よけろっ!!!!」


「なに? な、なにすんだっ!! ちょ、ちょっと! もう、
やめて〜(横山弁護士風)」


 なんだっ!? 何が起こったのかわからないが、突然オレの横に座っていたおっさんが、「危ないぞ!」と言いながらオレの頭をぐいぐいとおさえてきた。何をする!! 車内暴力はやめてくれっ!!! PTSDになったと言い張って刑事告訴するぞ!!!


「よーし、もういいぞ」


「はぁ……はぁ……」


「おおっと!! まただ!!」


「やめて〜!」


 再びオヤジに頭を抑え付けられながら、ふと視線を上げたオレの頭上を通過していったのは、サバンナでよく見る有刺鉄線のような
トゲトゲの木であった。恐ろしいことに、この棘の木が道なりに数十mおきに生えており、しかもその枝の高さが丁度トラックの屋根に乗っているオレ達積み荷客を直撃する位置になっているのだ。
 そう、オヤジは、別にオレが某マネージャーのように上司や社長を呼び捨てにしていたので暴力を振るったわけではなかったのだ。逆にオレがトゲのある人間にならないようにと、
トゲ地獄からオレをかばってくれていたのであった。ああ、オレはオヤジを誤解していたようだ。申し訳ない。オヤジの心子知らずとはよく言ったものだ。

 ケツの痛みと戦い自分の取れる体勢の可能性に挑戦しながら、そして迫り来るトゲトゲを巧みにかわしながら、数時間が過ぎようやく気温も暖かくなってきた。既に視界の中からは、人工物が完全に消えている。ところで、そういえばこの辺り
ゲリラや武装強盗団の発生地域みたいですが、ゲリラ対策は万全なのだろうか?? まあ正直なところオレはゲリラといわれても、「それってシュワルツェネッガーかスタローンの新しい映画のタイトル?」くらいの知識レベルなのだが、なんとなく悪そうなイメージはある。漢字に直すと下痢等だが、決して腹痛で苦しんでいる人たちなわけではない。
 実は、オレの隣に一人、そして荷台の中に一人、ちゃんとケニア政府から派遣されたアーミー(兵士)が乗っている。有事の際は、彼らが悪い奴らと戦ってくれるはずである。ただ、ひとつ心配な点がある。このローリーは普段は安全のため何台も連なって、集団で移動するらしいのだ。徒党を組み、さらにそれぞれのローリーにアーミーが乗ることにより安全度を高めるのである。
 しかしどうだろう。今日はこのように、
ローリーは一台、兵士も一台分しか乗っていない。明らかに足りないではないか。スーパーの寿司についてくる魚の形の醤油くらい圧倒的に足りない。これでは徒党を組めないっぽいんだが、ゲリラが来たら分身の術でも使うのか、それともローリーと兵士がもの凄い速さで動いて幻影を造り、団体に見せかけるのだろうか? なんにせよ、いざその時が来たら金なら払うので優先的にオレを守って欲しい。たとえ傲慢な日本人と後ろ指さされようとも。

 アーミーは基本的に乗客と楽しく話をしているのだが、スタートして相当な時間が経ったころ、突然手に持ったライフルにマガジンを装填し銃身のところを「ガチャッ」とやり、真剣に前方に視線を向け出した。

 
……いったい何が始まるんだろう(号泣)。

 
これは怖い。危険地帯をトラックで走っていて、一緒に乗っている軍人が戦闘準備に入ることほど怖いことが他にあろうか? 飛行機に乗っていて、突然機内放送で「お客様の中で、爆弾の解体に詳しい方はいらっしゃいませんか?」と流れるくらいの恐怖である。


「あ、あの……軍人さん、どうかしたんですか?????????????」


「この地域はちょっとデンジャラスなんだ。おまえもなんか遠くに怪しいやつを見つけたら教えてくれな」


「ははは……ははっははっははは……」


「まあ心配するなって! オレは今まで標的を外したことは一度もないんだぜ!!」


「そ、そうですか……」



 この兵士が「今まで一度も標的を外したことがないんだぜ! 
だって一度も撃ったことないもん」吉本新喜劇風のオチをつけようとしているのではないことを願いつつ、念のためオレもデンジャラスが歩いていないかどうか気を配ることにした。ちなみにオチをつけられたらこっちはコケなければいけないので、ここでやられたらコケた拍子に屋根から落ちる危険性も高い。その点も含めて是非アーミーの彼にはオチなしで構わないのでゲリラ退治に専念して欲しいものである。

 結局のところは、幸いにもゲリラも出ず下痢にもならず、戦闘に突入することはなかったが、ただもちろんオレの中ではこのケツの痛みとの戦い、自分の体力との戦いが常時繰り広げられていくのであった。





今日の一冊は、

この本を読んで私は北朝鮮行きを決意しました

いま、女として―金賢姫全告白〈下〉




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