〜東京のようなイラン〜 こ、これは寒そうだなあ…… 絶対寒いなあ…… まだまだ、まだまだ着かないでくれよ頼むから。温まる昼間まで、むしろ雪が溶け出し小川となってせせらぎ流れる季節まで、このまま暖房の効いたバスに乗っていたい。雪の早朝に作者をバスから降ろすという行為は日本では殺人幇助罪にあたるというのをトルコの連中にも理解させねばならん。こんな雪の中にオレが降りようもんならもうああなって死こうなって……死 ……。 なんか停まったね道端に。まだ朝の6時だけど道端に停車したね。これどういう合図かな。あたたかいとん汁でも配るサービスが始まるのかな。 「おいおまえっ。ほい、おまえっ」 「……」 「おまえっ!! そこのおまえっ!!!」 「……いやー今日も降り積もる雪、きらめくダイヤモンドダスト。こうしてバスの中からそれを見ていられる幸せな時。あら、なんでしょう、キタキツネの親子がこちらに挨拶をしてやんちゃに駆けて行きましたわ。北国の美しい自然の中で、木々も動物たちもみんな一生懸命に生きているのですね」 「おいこらっ!! そこの日本人!!! ここで降りるんだろうおまえ!! ほら、早く荷物持って来い!!」 「いやじゃーーーっ(号泣)!!! なんでオレばっかり!! こんなとこで降りるくらいならケニアに戻るっ!! 帰して!! タンザニアに帰して(涙)!!」 「ほらほら、みんな協力してやってくれ。その子供の荷物運んでやってくれ」 「なんでだーーーーーーーーーーーーっ(涙)!!! オレは子供じゃねえ! 立派な大人だ!! なんでまたオレひとりなんだっ!! あんたらなんでオレと一緒に降りないんだっ(泣)!!!!」 ブオーーーーー ……。 オレを1人早朝の雪の街角に降ろし、温かいバスは雪景色の中へ蒸気を巻き上げながら消えて行った。ぬくぬく眠る乗客たちの残像だけを残して。泣けとごとくに(号泣)。 ……あのさあ、この前もそうだったけどさあ、なんでオレがトルコで乗るバスは道端でオレ1人を降ろすわけ?? あんなにたくさん乗客がいるじゃん。終点じゃないんならもっとさあ、あのさあ、ちょっとさあ、寒いんだよっ!!! ぬおっ!! ぐおおおっ!!! おお、おかあちゃん……おててが冷たいよ……おててがちんちんするよ…… イスタンブールから夜行バスで10時間、今オレがいるのは国境の町への経由地点、エルズルムという町だ。この町はどんな町かというと、寒い町だ。見ての通り、見ての通りなんだよっ!!!! これはまずいぞ〜〜。手が凍傷になりそうだ……。我がガイドブック曰く、エルズルムは「トルコ屈指の厳寒地」とのことである。文字にして「厳寒地」とたった3文字であり、おそらく空調の効いた部屋の中で「厳寒地」という言葉を何千回読んでも寒くもなければ暑くもならないだろうが、しかし、実際に厳寒地に放り出されてみるとどういうものが厳寒地かというのが大変よくわかる。教えてやろうキミたち。厳寒地ってのは、寒いんだよ。腕も千切れんばかりに。 …… はぁ……はぁ…… ああっ……はああぁっ…… ミッチーの熱い吐息が耳に何度も吹きかけられる。 下半身にタオルを巻いただけのオレの裸体の上を、うねるように彼女の弾力のある肌が滑ってゆく。思わず興奮の声を漏らしてしまうと、感情が肌を通して伝わったのか、より激しく彼女は力を入れてオレを責めてくる。 ああ、いかに正常な思考能力を失っていたとはいえ、まさかオレがこんないかがわしい風俗に出入りするようになるなんて。しかしこの誘惑には抗えない。ミッチーがオレの裸体を揉みしだくテクニックは、寒さも明日のことも何もかも忘れさせてくれるくらい官能的なものであった。 彼女に弄ばれ興奮しきったオレの体からは、我慢しきれずに汚物がほとばしる。 ああ、いっぱいでちゃった……こ、こんなに…… はい、そんなわけで、あまりの寒さに気が動転したオレは、ボッタクリタクシーをつかまえ街の中心まで行き、本場のトルコ風呂(ハマム)でサウナに入りながら垢すりを体験していたのでした。 いやー、しかしまさかオレがこんなに体に垢を隠していたなんて。いったいどこから出てくるのだろうと思うくらい、擦れば擦るほど謎の物体が出てくる。何も無い地肌からこれだけのものを出せるのは、オレかサイババくらいじゃないだろうか。言ってみれば、少し汚い物質化現象だ。 ここまで出ると、昔なつかしの垢からできた垢太郎を組み立てることも夢ではない。見事垢太郎が完成した暁には、そんな汚いものオレの息子だとは認めん。友達にすらなりたくない。 おっと。いかんいかん。あまり下品なことを書くと作者のイメージダウンにつながってしまう。最近作者がみんなの中で美化されすぎてしまい、アイドルと作者は決してトイレに行かないなんてバカげた噂が立っているようじゃないか。ダメだよみんな、そんな夢みたいなこと言ってたら。オレだってみんなや他のアイドルと同じように、オシッコも漏らせば草むらで大便もするんだから。ほら、同じでしょう? 風呂上りはバスタオルを胸まで巻き、恥じらいながらロビーに出て火照った体と心を冷ます。うふ……わたし、結構胸あるでしょ。いいのよ……あなた……。 とはいえ、バストはヌード写真集のオファーが来てもいいくらいふくよかでも、他の部分に関してはミッチーに擦られすぎて節足動物くらいガリガリのポキポキであった。ホネホネロックを歌うとよく似合うだろう。
さて、問題はいかにこの建物から出ずに次の場所へ向かうかである。せっかく温まったのにこのまま湿った体で厳寒地である外へ出たら、オレで釘が打てるようになってしまう。学生時代ならまだしも、この年になって今さら大工道具として使われるのはイヤである。 本来ならば夜行バス明けだし、このエルズルムで1泊しようかななんてかわゆいことを考えていたのだが、しかし屈指の厳寒地で好んで宿泊するのは今時ゴマフアザラシかペンギンくらいである。愛らしい体毛こそ生えているが、オレはペンギンではない。猫なみに寒がりな作者である。 よって、オレはメシも食わず垢も流さず、垢の上からシャツを着てすぐに移動することにした。国境の町へ直行である。 ドゥバヤジットという東端の町に着いたのは、雪をまとうアララト山を夕陽がボヨヨ〜ンと照らす頃であった。今日はこの町の安宿で1泊である。 ちなみに、アララトの山は地球を覆う大洪水の後に各種生き物を乗せたノアの箱舟が流れ着いたと言われている山である。まあ、寒くなけりゃもうちょっと興味深く見るんだけど。とりあえずイスタンブールから夜行バスに計23時間乗り続けた上にこの寒さでは、箱舟が着こうが風船おじさんが着こうが寝袋にくるまって寝る以外の行動はとる気にならない。箱舟じゃなくて長澤まさみちゃんがこの宿に着いたりしたら、ブリザードが吹き荒れていようと全裸で出て行くのだが。そしてこの厳寒でいつもより硬くなった(以下自主規制) まあそんなわけでおつかれサマンサ。おやすみ。 ……さあ〜〜〜て。 いよいよイラン入国だ。本格的にアジア横断になってきた。トルコはアジアとヨーロッパ両方の側面を持ち、どちらにも対応できるというカルーセル麻紀タイプの国。片やイランは、もう文句なしのアジア。 考えてもみたまえ。由紀さおり安田祥子姉妹がトルコ行進曲を歌うのはよく見かけるが、イラン行進曲を歌っているところを見たことがあるか? 無いだろうがっ!! 一目瞭然だろうが!! だからイランはアジアなんだよ!!! ちなみにアジアに入るとどうなるかというと、注意が必要になる。旅行者を騙そうとする輩は世界中にいるものだが、アジアというのは生まれたばかりの赤子がオギャーと泣くより前に旅行者を騙そうとする地域である。女の子が初めて旅人を騙して小銭をボッタくって来たら、記念に赤飯を炊く風習があるくらいだ。 さて、国境近くのマークーという町からは、またも天敵の夜行バスで16時間かけて首都のテヘランへと移動した。 さすがに夜行バスで寝れない協会の事務局長であるオレは、トルコのイスタンブールから連日の夜行移動に失神寸前であった。意識は朦朧としバスを降りた瞬間から上下の感覚さえわからなくなり、しばらく20kgのバックパックを背負って逆立ちして歩いてしまったほどだ。なおかつ左右の感覚も無くなり、思わず左手で箸を持ってしまった上に、懐かしのテレビドラマの話をしていて「猪八戒といえばやっぱり西田敏行だけど、右とん平でもそれなりにいい味出してたよね」と言ってしまったほどだ。 ……今、もうそういうつまらないウソはいいよとパソコンの前で呟いた、人を信じることを放棄したあなた。きっと明日出社すると、社内はあなたの年齢詐称疑惑の噂で持ちきりになっていることでしょう。否定しないで素直に謝った方が身のためだぞ!! いい加減認めたらどうだっ!! 本当はサバを読んでいるんだろう!!! じゃあ、あなたがサバ読みを認めるということならば、僕も白状します。この僕は、旅行記ではまだ30歳前ということにしていますが、本当は17歳なんです。その証拠に、内田有紀主演のドラマ「17才」を毎週欠かさず見ていました。たくあんだって食べられないんです。 朝のテヘランは雨であった。冷雨に打たれ、かわいそうな濡れ作者となりながら1時間近く歩くとなんとか地下鉄の駅が見つかり、ほうほうのていで電車に乗って安宿街へ向かった。ほう……ほう…… テヘランの地下鉄は運賃が10円くらいのくせに、東京の地下鉄よりよっぽど奇麗で新しい。このあたり、日本の方が先進国なのにおかしいじゃないかと思うかもしれないがそうではなく、日本より遅れて作られたからこそ、その分イランの地下鉄の方が新品でキレイ、おまけにギャラも安いのである。このあたりは松田聖子と沙也加の違いのようなものだ。やっぱり新しい方がいいよね。 宿のあるテヘラン中心部に出ると、いきなりイランを感じさせられるのが女性の服装である。 イランでは、女性が髪の毛を見せてはいけないということが法律で決まっている。これは旅行者といえども決して例外ではなく、日本人でも欧米人でもイランにいる時は女性は必ず頭を隠さなければならないのだ。なんでも、ここでは人前で髪を出すのは下着を脱ぐのと同じ感覚らしい。 ほほう。下着を脱ぐのとねえ……。 ……。 それを知ってからというもの、オレは宿でくつろいで髪をあらわにしている白人を見かけると大興奮してしまい、ちゃんと宿に泊まっているのにも関わらず自分の体に小さなテントを張り、出歯亀となって物陰からチラチラと彼女達の頭を覗き見するようになった。ああ……か、かみの毛が……はぁ……はぁ…… こんな風に興奮してしまうのも仕方ないことだ。なにしろ髪をさらけ出して行動しているということは、イラン的に見れば全裸姿の女性がウロチョロしているということになるのだ。これが興奮せずにいられようか? ハァハァせずにいられようか?? いいや、いられない。 覗き見だけでなく、何度かはこっそりカメラを持ち出して髪チラ写真を盗撮し、CD−Rに焼いてヤフーオークションで売ろうとしたほどである。時には満員電車に乗って手鏡を使って髪の毛を覗こうとしたこともあったよ……。 ふーむ。他の国だったらピクリとも(チンが)動かないたかが女性の髪の毛なのに、隠すようになった途端にチラリと見えただけでこれだけ萌えるようになるとは。小学生の時、体育の時間にブルマ姿の女子を見てもなんとも思わなかったのに、後でスカートめくりをしてスカートの下から出てくるブルマにはわりとドキドキさせられたのと同じ原理ではないだろうか。 い、いや、別にオレがスカートめくりをしたわけじゃないよ。オレはただ友達が女子のスカートをめくっているのを横で穴の開くほどじろじろと見ていただけだよ。だからオレには罪は無いよ。 もちろん、今では体育のブルマの方でもしっかり興奮するけどね。いやあ、オレも成長したものだなあ……。 ただ、長い伝統と宗教上の理由があるとはいえ、夏は暑苦しいし何より面倒だということで、女性旅行者にはこのチャドルは大変不評である。男性旅行者にとっては、上で述べたように髪だけでも興奮するようにエロ感覚が研ぎ澄まされるので、むしろ好評である。 しかしいくら不評だからといって、法律で決まっている以上、女性が髪を隠さずにいると外国人であろうが容赦なく逮捕されてしまうらしい。 たしかに、髪を出すのが下着を脱ぐのと同じならば、頭を隠さずに歩いているのはそれはそれはわいせつ物陳列罪的な大変なことなのであろう。男は別にいいというのは差別に感じるが、日本だってフリチンの子供はよくテレビに出てくるが、フリ○○の女の子にはパオパオチャンネルのピカピカウォッシュ以来長らくお目にかかっていない。それと同じだ。 しかしそう考えると、オレたち男性旅行者はイランでは常にフリチンで歩いているということになるな……。あ〜っはっは! どうだ! 見ろ!! この硬く黒々とした立派な頭を!!! ちなみに髪を隠さずにいると逮捕されるという法律は女性だけに面倒をかけているわけではなく、例えば道端で髪の毛を出している少女を見かけて「かわいいねえ」なんて言って頭を撫でようもんなら、こっちも児童買春禁止法違反、もしくは強制わいせつ罪で逮捕されるのである(予想だけど)。ややこしい国だ。 尚、宗派などの違いによるものだと思うが、イスラムの国では時々このように目の部分以外を全て隠している月光仮面なみの女性もいる。彼女達は家族と一緒にいることも多いが、こういう女性が何人も同じところにいたら、旦那さんは少し離れたらどれが自分の奥さんなのかわからなくなるのではないだろうか。 そもそも人は、自分の彼女や配偶者を目だけで区別することができるのだろうか?? 「オレの嫁はこれだ!」と思って家に連れ帰って、チャドルを脱がせてみたら中から隣の奥さんが照れながら登場なんてことも起こり得るのではないだろうか。チャドルを脱がせた時点でつまりその旦那は隣の奥さんのパンティーを脱がせたのと同じということになるので、修羅場になるどころか、姦通罪で石打ちによる死刑である。 なんといってもイスラム法が厳しく適用されるイランでは、婚前交渉は即死刑なのだそうな。なんと恐ろしいことか。もし日本でそのような法律があったら若者は次々と死刑にされ、生き残るのはオタクばかりになりそうだ(涙)。もしかしてオレも生き残れるかも…… さて、パンティーの話はこれくらいにして、そろそろいつものオレらしい凛とした紀行文に復帰することとしよう。 本日は、テヘラン市内の北部にある在イラン・旧アメリカ大使館を見に行くことにした。 まずは移動のため地下鉄の駅へ向かったのだが、途中で彫りの深いイラン人がオレにペラペラの日本語で声をかけてきた。名をトニーと言い、オレについて一緒にアメリカ大使館まで来るという。なるほど、ニートがトニーを連れて歩くのか。なかなかよくできた話だ。 それはそうと……さあ、きましたよこのパターン。アジアならではのぼったくりパターンだなオラっ!! そもそもこうして日本語を流暢に使っている時点で怪しさは満天、しかも観光をするオレに勝手について来るとなったらもうこれは夏川純の年齢どころではなくアパグループ以上の激しい疑惑である。強引に観光地の説明をしてガイド料の請求か、土産物屋もしくは旅行会社に監禁か、そのどちらかのパターンになること間違いなしだ。 ニートにしつこくついて来るトニーは非常に鬱陶しいが、こいつをまくために裏道に紛れ込んだらオレが迷子になるので、とりあえずそのまま2人で地下鉄に乗り大使館を目指した。 駅から出てすぐの旧アメリカ大使館。 ここはあくまで旧大使館で、今イランにアメリカ大使館は無い。なぜ現在この建物が使われていないかだが、それはここで大使館員が1年以上に渡って人質に取られるという「アメリカ大使館占拠事件」が起こったためだ。アメリカは当初チャック・ノリスで有名なデルタフォースという特殊部隊を送り込んだのだが、救出に向かう途中でヘリコプターが落ちて失敗、結局444日後にやっと犯人の手によって人質が解放されたそうだ。 尚、こんな結果になっているにもかかわらずなぜかこの事件は自分が超能力を使って解決したと言い張るマクモニーグルさんというアメリカ人のおじさんがいるが、この際アホのことは気にしないようにしよう。 ちなみにチャックノリスのデルタフォース、映画はあまり有名でなくともテーマ曲は聴いたことがあると思う。ぜひこれを見て感涙にむせいでほしい。これがチャックのデルタだ! さて、大使館のあたりをブラブラしながら、オレはしつこくついて来るイラン人のトニーとよもやま話をし、密かに打ち解けていた。もちろん警戒はしているが、こやつの日本語は土産物屋が日本人旅行者と話して覚えたというレベルを超えて上手い。いったいどこで覚えたのかとても気になるではないか。 「ヘイ、トニー! なんでそんなにあんた日本語がうまいのよ?」 「実はオレの嫁さんが日本人だったんだ。ユキっていってな、凄く大人しくて謙虚な、グッドウーマンだったんだよ……」 「へえー。日本人と結婚してたんだ」 「そうなんだよ」 「でも、グッドウーマンだったというのはどういうこと? 今はグッドじゃないの?」 「……」 「あ、もしかして別れたってことかなあ」 「……」 「あれ? ちょっと、あの……もしもし……トニーさん……」 な、なんだろう。 オレとしては軽い話をしたつもりだったのに、なんだか奥さんの話になった途端にこのトニーのすさまじいテンションの下げっぷり。つい今しがたまでおまえは浅草サンバカーニバルに参加中かとつっこみたくなるくらい陽気にオレにまとわりついていたのに。 この意気消沈ぶりはなんなのだろう。ひょっとして、ロード第142章くらいの重いエピソードがあったりするのだろうか。なんでもないようなことが幸せだったと思うのだろうか。 「あの、ど、どうしたのトニーさん。ユキさんは今どこにいるの?」 「もう……、ユキはいないのさ……」 「え……」 「はあ……。あれはな、3年前の冬の出来事だったんだ……」 「あら……。ちょ、ちょっと悪いこと聞いちゃいましたね。ねえ、元気出してよ」 「いいのさ。聞いてくれよ。おまえに話すことがユキの供養にもなると思うんだ」 「そんなこと言われてもっ!! 今日初対面なのに! いや、もちろん聞くだけなら聞くけどさ……」 「ありがとう。じゃあ話すよ」 「は、はい」 「ユキと出会ったのは5年前でさ。オレの方からひと目ぼれをして、ユキの両親のところにも何度も挨拶に行って、やっと結婚を認めてもらったんだよ。あの時は嬉しかったなあ……」 「うんうん。わかります」 「それからオレたちは、それはそれは幸せな生活を送っていたんだ。3年前、あの突然の不幸なアクシデントがオレたちを襲うまでは……」 「不幸ですか……。どんなことがあったんでしょう……僕が聞いていいことなんでしょうか……」 「ああ。3年前、オレは仕事先で偶然すっごい美人の中国人と知り合ってしまったんだ。そしてオレは彼女を好きになってしまい、ユキを捨ててその中国人と結婚したんだ」 「え……なにそれ……」 「でも、その中国人が金の亡者でさあっ! オレの給料全部買い物とか中国にいる家族への仕送りに使いやがって!! 貯金だって1リアルも無くなっちまったんだよ!!!」 「……」 「結局金が無くなってそいつとも別れたんだけど、あの時中国人なんかに惑わされずにユキとの暮らしを続けていれば、オレは今頃幸せな生活を送っていられたのに……。あんな優しくて働き者の嫁を捨ててしまうなんて、オレはなんてバカなんだ……。本当に大バカ野郎だよオレは……」 「この大バカ野郎がっ!!! おまえは罪人だっ! 女性の敵だ!! だいたい、突然の不幸に襲われたのはおまえじゃなくてユキさんの方だろうがっ!!!! おまえに不幸を語る資格など無いんだよっ!!!!」 「ああ……本当にオレはバカだ……ああ……バカだ……」 「アホッ! 人でなし!! 鬼!!」 「そうだよ……オレは人でなしなんだ。バカとでも鬼とでも呼んでくれよ。じゃあな……気をつけて旅を続けろよ……」 「まったく人でなしなんだから。バカ。って帰るのっ!? あれ? 土産物屋とかは? ボッタクりとかないの??」 トニーは、悲しい目で最後にオレに握手を求めると、テヘランの雑踏の中に消えて行った。 お、おかしいな……。アジアならこういう場合最終的には120%の確率でボッタクリ行動が発動し怒鳴り合いというシーンに発展するはずなのに……。なんだろう。もしかしてユキさんの霊がオレを守ってくれたのだろうか……? おっと。ユキさんは別に死んでないんだった……。 イマイチ煮え切らないまま地下鉄に乗り、オレは翌日のバスチケットを買うためターミナルへ向かった。明日向かうところはハマダーンという町だ。 ターミナルの建物に入りチケットブースに並んだはいいのだが、しかしイランの辛いところは、旅行者相手の仕事をしている人でも英語がほとんど通じないというところである。オレがカウンターで「ハマダーン! トモロー!! ハマダーン!! モーニング!!」と連呼すると、チケット売り場のおっさんはやはり英語ではなくペルシャ語で何か説明をしてきた。ヒゲの渋いおっさんは低い声でなにやらベラベラと喋っているのだが、オレはペルシア人ではないのでペルシャ語はわからん。 とりあえずオレはおっさんの表情からその言わんとすることを読み取ろうとしてみたのだが、顔を見ただけで何を言っているのわかったら言葉なんかいらんという結論に達し(つまり全然わからんかったということだ)、どうしようもなく「ファット? え? な、なに? ファット??」と繰り返しながらただ佇むのみだった。 ど、どうしよう。チケットが買えなかったら一生テヘランから出られないじゃないか……。 すると、しばらくやり取りを見ていた隣の窓口のおっさんが、見かねてこちらにやって来た。おおっ、この人は英語が喋れるのだろうか? プリーズヘルプミー!! するとおっさんは日本語で言った。 「キミ、ハマダーンのチケットがほしいんでしょう!! いついくの!」 「おおっ。あ、明日の朝です……」 「ハイ、じゃあよんまんリアルはらって! よんまんだよ! わかる!?」 「はいっ。ああありがとうございます」 おおっ。な、なんで英語が通じないのに日本語なら会話が出来るんだ? これは便利だ。ともかく助かったぞ。よし、バナナジュースでも飲んで帰ろう。 ということでチケットを無事手に入れて宿に戻ろうとすると、途中で再び日本語で恰幅のいい中年イラン人さんに話しかけられた。 「こんにちわ! キミ日本人?」 「こんにちは。お察しの通りでございます」 「そう。どこに住んでいるの?」 「東京ですけど」 「東京のどこ!」 「世田谷区というところなんですけど。わかりますかねえ」 「わかるよ!! 下北沢の近くでしょ」 「なんでわかるんだよっ!!!」 「だってオレ日本で11年も働いてたんだもん。前橋と大山に住んでたんだ。ほら、大山って東武東上線の」 「ああ、池袋から出てるやつですね? ってどんな旅先の会話なんだよ……」 そして、夕食を済ませた帰りにまた街を歩いていると、陽気に近づいてきたイラン人が日本語で…… 「こんにちわ! 日本人でしょ! 一緒にお茶でもどう? オレも昔東京で働いててさ……」 ……。 ここは日本か?? 観光地でカタコトの日本語で挨拶をされることは数あれど、日本語で普通に日常会話が成立するのはワイキキかテヘランくらいではないだろうか。はっきり言って、日本にいる時だってオレはこんなに日本語で他人と喋ることは無い。だってずっと部屋の中にいるから。パソコンのモニターやテレビに向かってよく独り言を呟いてはいるけど、対話にはならないのさ(号泣)。 彼らと話してみると、ほとんど全員が以前東京で働いていたというのである。いったい、東京はどれだけイランの失業率の改善に貢献しているのだろうか。 日本語で話しかけてくるイラン人は全員良いイラン人で、オレが勝手に警戒していたように宝石を買わされたりメシを奢らされたりガイド料を請求されたりということは一切無かった。これはすごい。オレの感覚では、アジアでは現地人に話しかけられたら120%の確率でボッタクリに遭うと思っていたのに…… しかしよく考えたら、「アジアでは……」と偉そうに言っているが、オレが「アジアでは」と言っている時に頭に描いているアジアというのは、アジアではなくインドのことであった。インドとアジアは違うんだな……。 今日の一冊は、これまでの人生で1番面白いと思った傑作小説 屍鬼〈1〉 (新潮文庫) |