THE FIGHT ROUN41

〜さらばインド!〜



 三度帰ってきたデリー。やはり別の町から帰ってくると、首都というのは別格に都会だということを感じる。しばらく地方の田舎、というかインダス文明からあまり発展していないと思われる古風な環境にいたため、人間だけが暮らしている文明の街に入ると引きこもりとしては非常に心地よく感じる。
 メインバザールに宿を取り、今夜のフライトの時間まで街に出ることにした。静岡県の三方原台地で生まれ育った純都会っ子として、最終日はゆっくりとオシャレなカフェなどでまったりと時間を過ごすのだ。

 バザールを更に進むと、前方から牛がやって来た。タイミングが悪いことに、オレが右に避けようとすると彼も右に、左に避けようとするとまたも同じ方向に避けられてしまう。結局、なかなかすれ違えず気まずい空気が流れ、お互い「ハハハ……」と苦笑い、会釈をしてやっとのことで通り過ぎる。








 ……。









 ふざけんなコラぁっっ!!!!!!!

 オレはこれからオシャレなカフェに行くんだよ!!!! そんなオシャレなオレがなんで道端で牛と絡まなけりゃいけないんだよ!!!
 ああ、そうだよ。認めるよ。たしかに、もしオレが時東ぁみのイベントで秋葉に行く途中うっかり迷って代官山あたりに出てしまい、あまりに喉が渇いた結果店の名前の由来もわからんような横文字(何語かは不明)のシャレたカフェに入ってしまおうものなら、
「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」と聞かれた時点で「あ、あ、あ……やっぱりいいです」と言い放って逃亡するだろう。
 そもそも、スターバックスやタリーズクラスのお店でも怖くて入れない。年に1回くらい人間関係の都合で入らざるおえない状況がやってくるが、メニューの内容が理解できなくてアイスココアしか頼めない(実話)。しかしアイスココアはおいしいので時々おかわりする。おかわりの時には、もう注文方法はわかっているので多少は堂々としている。

 所詮首都とはいえ、インドはインド。この調子では、きっとオシャレなカフェに入ったところで隣の席の客は牛だったりするのだろう。そしてコーヒーにミルクを入れているところを見られでもしたら激怒して突進してくるに違いない。カフェだか闘牛場だかわからなくなってくる。インドのチャイ屋がみんな壁が無かったりテーブルの足がもげていたりするのは、そうして牛乳の乱用に反対する牛たちが暴れまわったせいであろう。

 結果、オレはとりあえずオールドデリーと呼ばれる旧市街まで足を伸ばし、メインバザールとは違った地域密着型のバザールや、ラールキラーという300年以上前に建造された城を見物した。あ、旧市街まで足を伸ばしたと言ってもこれは言葉のあやだから、別に本当に足の長さが3kmくらいになったということではないよ。誤解しないでほしいな。
 ということで、ここでやっとデリーでまともな観光ができた。入国以来、デリーでは騙されるか監禁されるか病に臥せっているかのどれかしか体験していなかったが、最終日にして、ようやく自分も旅行者になったような気がする。



 ラールキラーからニューデリー駅方面に戻るため、オレは門の前にたむろっていたサイクルリクシャに乗った。今日の運転手は若いにいちゃんであった。
 もう今日でリクシャに乗るのも最後だな。いろいろ嫌な思いもしたけど、結局この旅でのオレの足は、ずっとリクシャだった。

 今日も彼らはペダルを漕ぐ。客を乗せてペダルを漕ぐ。たったの10ルピーで。





  君はハンドルくねらせながら
  長い坂道のぼる
  汗と一緒に 涙拭く君を
  僕が押してあげるね

  何の花だろう こんな坂道の途中
  冬を選んで 咲く花もある
  止まれば倒れる この自転車が
  君が選んだ 生き方なんだね

  ペダルをこいで ペダルをこいで
  君ならできる 倒れず行ける
  君はペダルをこいで

  ペダルをこいで ペダルをこいで
  君なら行ける 一人で行ける
  ペダルをこいで ペダルをこいで
  遠くなるほど 君らしくなる
  だからペダルをこいで

  (海援隊:新しい人へ 作詞:武田鉄矢)



 何回リクシャに乗っただろう。
 何人の運転手に運んでもらっただろう。若者に。子供に。そして老人に。彼らは毎日、必死でペダルを漕いでいる。客を目的地に連れて行くために。なんだかんだ言っても、みんなが行きたいところに行けるのは、ペダルを漕ぐ彼らがいるからだ。インドに根を張り生きている素敵なリクシャワーラーたちが!



「よし! ニューデリー駅に着いたぜ!」


「早かったですね。さすが若いだけあって、体力も他の運転手とは一味違うのかな」


「まあそんなところだ。じゃあ10ルピーな」


「うん、その前に、現在地だけ確認させて。それからお金払うから」


「なんだと!! オレのことが信用できないっていうのかよ!!」


「いや、そういうことじゃないけど、念のためだよ」


「だからそれが信用してないってことじゃねーか!! おい! インド人をなめんなよ!!」


「なんだおまえキレてんのか?」


「いや、キレてないですよ。オレきれさせたらたいしたもんですよ」


「あ、そう。じゃあオレがキレる。てめーここはどこなんだよっ!!!! 360度どこを見ても住宅しか無いだろうが!!! てめーニューデリー駅に着いたって言ったんじゃねーのかっ!!!!」


「だ、だからそこの建物のすぐ裏がニューデリー駅なんだよ! おまえは観光客でよく知らんだろうけど」


「ボケがあっっ!!!! オレは今日まで1ヶ月インドにいるんだよ!!! 何回駅に行ったと思ってんだゴラアアアっっっ!!!!!!」


「げっ! おまえインド着いたばっかじゃなかったのかよ……」


「おまえらは、客を目的地に連れて行くためにペダルを漕いでるんじゃないのかっっ!!! ただ外国人を騙すために使われて、ペダルが泣いているぞ!! そのペダルが、若き日の持ち主の心を懐かしんで!!!!!」


「うう……ペダル……。小さい頃は日が暮れるのも忘れて泥んこになって遊んだよな……。いつからこんな関係になっちまったんだろうな。悪かったよ……ペダル、オレ、これからおまえのためにがんばる」


「そうだそうだ」


「じゃあ10ルピーな」


「駅まで行くんだよ!!! このたわけが!!!! このドアホが!!!!!!!」


「チッ。めんどくせえなあ……」


「……」



 そしてそこから更にペダルを漕いで10分後、やっと見覚えのあるニューデリー駅に到着。料金として20ルピーを要求してきた運転手とまたも怒鳴りあいを繰り広げることになった。あんたたち、恥を知りなさい、恥を。

 さて、余った時間を何に使おうか考えていたオレは、デリー動物園に向かうことにした。時間が余ったら動物園に行くというのは、世界の定説である。オレは動物が三度のメシと同じくらい大好きだ。牛丼やトンカツが好きだという意味ではない。たしかにそれもあるが、別に食材になっていなくても、動物は単純に見るだけでも楽しいものだ。日常では見られないラクダやゾウ、熊のような珍しい動物を見れるというのは動物園ならではのことではないか。
 バスターミナルで動物園行きのバスを探していたオレは、ふと考えた。













 この1ヶ月の間にインドの道端で見かけた動物達

 ↓




























 ……。









動物園は中止にしよう。





 牛、馬、豚、ヤギ、猿、象、ロバ、ラクダ、熊、インド人。
 日常でこれだけたくさんの生き物を見てきた今、もはや動物園に行ってもブラキオサウルスでもいない限り驚くことはないだろう。インドだけにブラキオサウルスくらいいてもおかしくないような気もするが、地球の歩き方には書いてなかったので、変な期待を持つのはやめておこう。

 さて、宿に戻ると、同じ部屋に2人の日本人と3人の韓国人女性がいた。この部屋は、大部屋にベッドが10個ほど並べられているドミトリーと呼ばれる形式の部屋である。そのうち一人の日本人は、懐かしい、インド流口説き文句の最後のオチとして登場してくれた若者であった。
 そういえば、彼はあの時、インド到着初日にしてパスポートを盗まれていたのである。まあインド旅行としてはごく普通の、別段珍しくないイベントなのかもしれないが、当事者としてはパスポートを盗まれたら明日地球が滅びるということがわかった時と同じくらい絶望的な状況である。彼も例外ではなく、あの時今にも入水自殺でもしそうな青暗い表情をしていたのを覚えているが、そんな若者も1ヶ月ぶりに見てみると、ひげも生え野性味をおびてバザールで買ったターバンを巻いて、いかにもインド経験地を積んでレベルがアップしたという空気をバリバリに醸し出している。話をしても以前とは全く違う、この落ち着いた感じ。これがインドのパワーなのであろうか。

 最近は韓国にも海外旅行ブームが起こっているようで、インドでもほぼ日本人と同じくらいの数の韓国人旅行者を見かける。韓国人の3人の女の子とここで交流を深めようと思ったのだが、すでに彼女たちはそのレベルアップした日本人の彼にメロメロになっているようだ。誰もオレの方なんて見向きもしない。彼だけが自分の周りに若い女3人はべらせて、さながらムガール帝国第50代皇帝といった状況である。やはり1ヶ月のインドの苦難を乗り越え、野性味のオーラを身にまとった男は若い女を吸い付けることサイクロン掃除機のごとしである。


 ……。
 

 オレにはなんにもオーラついてないみたい(号泣)。

 どうせオレの引きこもりオーラは強力だよ!!! 他のなにものも寄せ付けないほどにな!!! そう。オレは変わらないのだ。オレは旅する伝統芸能なのだ!!!



 18時すぎ、オレは最後のオートリクシャをつかまえ、ガンジー国際空港へ向かった。1ヶ月前に不安で爆発しながら降り立った同じ空港に、今は希望に胸膨らませたオレがいる。日本で待っている、明日からのすばらしい引きこもりライフへの希望に。














 さて、1ヶ月のインドでの旅を終えて、オレは無事帰国することができた。そして、すぐにもとの引きこもりに戻った。しかし、ただひとつ旅立ち前のオレと違うことは、インドでの記憶があることだ。
 だから、オレは旅行記を書くことにした。

 しかし旅行記を書くということは、それ自体がまたひとつの新しい旅なのであった。




ふりむけばインディアン:完





おまけ