THE FIGHT ROUND36

〜アーグラ到着〜



 今日はアーグラに向けて出発する日である。リクルートスーツに身を固めたフレッシュマンのようにさわやかに目を覚ましたオレは、ルームサービスでフレンチトーストと、風呂用のバケツ一杯のお湯を注文した。
 しばらくして、明らかに必要以上にハァハァ言いながら従業員がバケツと朝食を持ってやって来る。


「オ、オハヨウゴザイマ…ス……ゼェゼェ」


「どうもー。すいませんね。そこに置いといてくれます?」


「ハイ。……ハァァ、ハァァ……」


「代金はチェックアウトの時でいいんでしょ?」


「ソ、ソウデス……。ハァ、ゼェ、アフアフ……」


「……」


「ヘロヘロ……アワワワ……」


「……」


「ハァァァ……コ、こふ、こふ……」


「……」


「(号泣)」 バタン


 こふこふとユリアのような咳まで出して、まるで何かを期待していたかのように部屋から出ずに粘っていた従業員だったが、サービスは無料で買えると思っている純日本人のオレを前に、初めてのお泊り予定日の夕方に彼女から電話がかかり「ごめ〜ん。やっぱり今日行けなくなっちゃった〜」と言われた二十歳の大学生のように悲しそうに部屋から去って行った。
 普段日本では、朝食を食う時間があるんだったら全裸で寝てた方がマシ、という程の健康第一主義のオレなのだが、一度ゲリーで倒れてからは無理矢理にでも朝飯を食うようにしていた。
 何しろもともと真実の口に手を入れている姿がヘップバーンそっくりと評判なくらい華奢なオレなのだが、ニュー下痢ーで身体中の水分という水分を出してしまったため、日々の鍛錬で鍛え抜かれた体もCカップからBカップになってしまうくらいげっそりと痩せ細ってしまったのだ。もしもオレが人気アイドルだったなら、おそらく今頃激ヤセ報道がなされていることだろう。
 術後の入院食をがんばって食べているおばあちゃんのように一生懸命朝飯を食べ終えると、今はやりの朝シャンをすることにした。
 なにしろ昨日おとといと風呂もシャワーも浴びてないのだ。日夜ラクダや象や牛とムツゴロウさんなみのスキンシップを計っているにも関わらず、なぜ数日間もの間シャワーを浴びていないかというと、ここのシャワー、全くお湯が出ないのだ。そこで従業員に頼むとバケツに熱湯を入れて持ってきてくれるため、幾分気温も暖かい朝方にそれを上手く利用してシャワーを浴びるというわけだ。
 シャワーに入ると、まず足元に熱湯の入ったバケツを置いてみる。バケツの中の熱湯と、水のシャワーを物凄い速さで交互に浴びれば、おそらく丁度良い湯加減に感じることだろう。
 まずはシャワーをひねり、冷水を体に浴びる。


 キャーーーーーーーーーーーー!!!


 すかさず熱湯を手ですくって体にかける!!



 ああッッッヂーーーーーーーーーー!!!



 すくってる時点ですでに手が熱い!!! やけどするっちゅーの!!!!
 水だ! 水を浴びないと!!
 




 ツメデーーーーーーーーーーーっっっ!!!







 お湯だ!! お湯をかけるんだっ!!!!









 アヂャーーーーーーーーーーっっ!!!











 ……。

















 人生は勉強です。

 僕はこの年になって、熱湯と水を使って適温のお湯を作るのは不可能ということを学びました(泣)。 まあいい。どっちにしろこれで寝起きのシャワーを浴びて目を覚ますという目的は果たすことができた(号泣)。
 さて、朝のシャワーでぐったりすっきりしたオレは、バックパックを抱えてバススタンドまで歩いて向かうことにした。今日はデラックスバスではなく普通の市バスに乗ることにしたが、デラックスバスよりはいくらかマシに違いない。


 途中ジュース屋でパパイヤジュースを購入。その場で絞る100%のパパイヤジュースがなんと5ルピー。今や一度倒れてインド腹になったオレに、生ジュースなど恐るるに足りぬ。
 しかし美味い!! 南国で食べるパパイヤジュースのなんと美味いことか!! オレはこの時の味が日本に帰ってからも忘れられず、油断をするとパパイヤジュースのことを思い出してぼーっとしてしまうため、生活にかなりの支障をきたすほどだった。
 頑張ってできるだけパパイヤのことは思い出さないようにしているのだが、不運にもテレビでパパイヤ鈴木なんか見てしまった日には取り乱して大変なことになるのだった。

 バス停についたオレは、アーグラ行きのバスを探して乗り込む。
 アーグラまでの道のりは特に面白い出来事も無く、単調に進んでいった。移動が単調なのは当たり前である。そもそも、バスや電車で移動するだけなのに面白い出来事が起こった今までの移動の方が絶対的に異常なのだ。

 景色は次第に砂漠から離れ、いつの間にか道を行くラクダの姿は消え、窓の外はごみごみした街の風景へと変わっていった。

 そして6時間後、アーグラへ到着。
ここアーグラもさすがにタージマハルを擁するインド有数の観光地だけあって、相変わらずバスを降りた瞬間にリクシャワーラーが群れをなして襲い掛かってくる。とりあえずけん制のために、機先を制してオレから声をかける。


「まあみんなちょっと待て。ここでちょっと荷物の整理をするから。それからゆっくり話そう」


「オーウそうか。わかった」


「……」


 ダッシュ! オレは、油断したリクシャワーラーを置いて、ゆうひが丘の中村雅俊のように一気に駆け抜け逃亡を図った。青い三角定規を口ずさみ、心の中では泣きじゃくって『オレは今からおまえ達を殴る!』と叫びながら(ごっちゃになってます)。


「ウオォーーーーーーッ!! 待ちやがれっ!!!」


 一斉に追ってくるインド人達。そして勿論、すぐに捕まるオレ。
 今日生まれて初めて来た土地で、地元の野生人相手に重い荷物を背負って逃亡に成功するわけがない。別にオレだって、本気で逃げようとしたわけではない。実際、見知らぬ土地で最初に移動するのはリクシャに乗るのが最も有効な方法なのだ。だけど、なんか逃げたらおもしろそうだったのでとりあえず逃げてしまったのである。
 一台のリクシャーと交渉が成立し、とりあえずアーグラ商店街に連れて行ってもらうことに。

 バザールを一人さまよい、屋台や商店の店先を冷やかしていると、目の前を歩いていた男が突然口からピンク色をした粘っこい液体をベッ! と吐き出した。
 ハァッ!
 飛び込み前転で液体をよけるオレ。あぶないところだった。この液体で旅行者をからめとって監禁しようというのか!? やはりインド一の観光地、アーグラのインド人は他のインド人と違ってこんな高度なこともできるようだ。
 と思ったら、彼が吐き出したのは噛みタバコの液体だった。
 インドではタバコを吸っているところというのはあまり出くわしたことが無く、もっぱら噛みタバコが主流になっているようだ。むしろスパスパ吸っていたらタバコよりもガンジャとかハシシ(麻薬)であることがほとんどである。
 普段オレとタバコと言えば野村沙知代と十勝花子くらい水と油と思われているのだが、なんとなく口からピンクの液体を出してみたくなったオレは、露店で噛みタバコを一袋買い、店のオヤジにそそのかされて袋の中身を全部口に入れ、くちゃくちゃ噛んでみた。

 むむむ……

 なんすかこれは(涙)。

 おえええええええっ!!
 頭が爆発します。
 インド人のようにダンディに口から赤い液体を吐きたかったオレだったが、くいしん坊万才中の山下真司ですらNG連発しそうな強烈な味に、液体になるまで噛み続けることなど出来ず、噛みタバコの赤い粉末を口から撒き散らして街行くインド人の注目を浴びつつ泣きながら宿へ向かうのだった。

 今日限り、禁煙させていただきます。





←この日の夕メシ。
道端で親子が開いている屋台。見たことの無い、新種と思われる魚を焼いている。











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