〜ダルエスサラーム1〜





 貧乏。ああ、過ぎ去りし思い出の中の言葉……。
 節約。ああ、惨めな貧民の健気ないとなみ……。
 お金って、なんて素晴らしいものなんでしょう。整った顔立ちだって学歴だって、お高くとまっているあの人の心だって、お金さえあればなんでも手に入ってしまいます。お金無くして幸せなどありません。この世にお金で買えないものはないんです。
 そう、そこのあなた、いい事言ったわね。そうよ。その通り。お金こそが人生の要石(かなめいし)なのよ!! お金のない人生なんて、
シールの入っていないビックリマンチョコのようなものなのよ!!! 小学生なのに10個まとめ買いして、嬉々として家に帰ってお菓子を捨てながら開封したら出てきたのが全部悪魔シールで、夕ご飯の時間になってもくやしくて部屋の隅で一人で泣いていた思い出があるのよっ!!!
 お金なんていくらでも好きなだけ使えばいいのよ! なんでも思うまま買えばいいのよ!! 
パンが無ければケーキを食べればいいのよ!! エリカたとえてあげる。エリカが天才子役安達祐実なら、あなたはひょうきんゆみ。エリカがかつて一世を風靡したおにゃんこクラブの会員なら、あなたはあるある会員よっ!!!

 さて、このように独り言の中に自然に王妃マリーや有名お嬢様のフレーズが出てしまうことからもわかるように、オレは今、アブダビ国王なみの大金持ちである。今朝、トラベラーズチェック
6000ドル(72万円)の再発行を受けたオレには、森の木々、道端に咲く草花、全ての命ある物が昨日までとは違い生き生きと、そして鮮やかに色づいて見える。
 
きゃーっ(歓喜)!!!


♪♪
 フロイ デ シェーネル ゲッテルフンケン トホテルアウスエーリージウーム
 ビル ベ トレーテン フォイエル トゥルンケン ヒムリーシェーダインハイーリヒトゥーム
 ※ダイ ネ ツァーベル ビンデン ビーデル バスティーモーデ シュトレング ゲ タイルト
 アー ルレ メンシェン ベルデン ブリューデン ボーダイン ザンフテル フリューゲルバーイルト ♪♪
 ※繰り返し
 (喜びの歌―ベートーベン交響曲第9番 第4楽章から―)



 オレは帰って来たトラベラーズチェックの入ったリュックを背負い、両手を天にかざしながら、ダルエスサラームの市街地でオペラ調で喜びの歌を歌いステップを踏んだ。なにしろ意気揚々とアフリカにデビューしてわずか一週間で盗難に遭い、一時は
全所持金が4ドルになった男である。人生に絶望して手首にカッターをあてがったことも1度や2度ではない。同部屋になった白人女性のパンツを盗みたい衝動に駆られたことも2度や3度ではない。
 しかし、もはやそんなことをする必要はない。金さえあれば、パンティーなんか金さえあればブルセラショップでホカホカの使用済みが何枚でも……いや、軽いジョークはそこまでにしておいて、これで遂にオレも旅行者として人並みの財産を、
日本に帰る航空券を買う資金もできたのである!! これでは、誰もオレが金持ちだという事実を否定することはできないだろう。およそ20m歩くごとにオホホホと笑っているということもあり、実際今日1日ですでに3回ほど白鳥麗子と間違えられた。
 今まで応援してくれていたチビッコ達、ありがとう! そしてオレの
追っかけのみんな、ハラハラさせてごめんな! オッス、おら悟空!

 盗難事件から3週間以上、盗まれた現金800ドルこそ二度と帰ってはこないものの、自分のものなのにもかかわらず多額のトラベラーズチェックを手にした時のこの興奮・喜びの波はすさまじいものであった。うれしすぎて受取場所の旅行会社の店内を撮影してしまったほどである。きっと舞踏会の後でガラスの靴をうまく履けた時のシンデレラはこんな気分だったのだろう。そう、わたしはシンデレラ。タンザニアのシンデレラなんです。
 とにかく、これでようやく胸のつかえがとれ、地に足の付いた旅ができる。もう誰にもマダムなんて言わせねえ。
マダム卒業だ!! 今からアフリカ縦断の第2ステージの始まりである!


 さて、昨晩10時過ぎにダルエスサラームのバスターミナルに着いたオレは、タクシーをつかまえ、運転手の言いなりのまま不気味な安宿へ連れて行かれた。入り口こそ表通り沿いにあるが、そこから暗い通路をずんずんと入っていき、冷たく細いコンクリートの階段を上ってやっと受付けに着く。じめっとして蒸した空気は、オレがダニだったら
「我が生涯において遂に理想たる住居を得た!!」と就労ビザを取得してタンザニアに住民票を移しそうな好環境である。こちらダニとは違う知的生命体としては、もう少し乾燥を求めて移動したかったが、この時間である。とりあえず選り好みしている場合ではない。しぶしぶチェックインしたオレは、夕飯を食おうと宿のねーちゃんに近場のレストランの場所を聞いてみることにした。
 どうでもいいが、もう最近は英語の会話にはなんの抵抗もなくなった。気持ちと笑顔さえあれば、話なんてどんな相手でも出来るということをこれまでの旅で悟ったのである。



「あー、エクスキューズミー。イズゼア エニー レストラン?」


「?」


「あー、アイウォントトゥーハブアディナー。ドゥーユーノーグッドレストラン?」


「?」


「レストラン。ロェ(舌を丸めて)ストラン!!」


「?」


「ディナー! ハングリー! レストラン!! でぃなーっ!!」


「ジャニモジャ、ハバリニヤマモジャ、ガリ??」


「……」


「……」


「……も、もじゃ??」


「ンズリハタリ、ケショハバーリモジャ!!」




 ……。





 
わからん。
 
 なんだ? この人は一体何語を喋っているんだ?? 自分で開発した言葉だろうか?


 ……。

 
スワヒリ語だ〜っ!!!

 
 ほ、翻訳こんにゃく! 翻訳こんにゃくを!!
 ここまでオレの異文化への順応ぶりを目の当たりにしてきたみんなからは想像できないかもしれないが、実はオレはスワヒリ語がわからない。昼食の後すぐに「夕ご飯は何が食べたい?」と聞かれるよりもずっとわからない。
ヤ○ラちゃんとの結婚を決断した旦那の心境くらい全くわからない。
 ……。
 
ああ、もうちょっと学生時代にスワヒリ語しっかり勉強しとけばよかった……。
 しかし、諦めは人間の最大の怠慢である。とにかくトライせねばならない。気持ちさえ入っていれば、伝えようという熱意さえあれば、人間の思いというものは伝わるものである。



「れ、れすとらんモジャ?」


「??」


「でぃなーモジャ! シチューもじゃ!」


「??」


「ディナー! ハングリー! レストラン!! でぃなーっ!! モジャーッ!!」


「……」


「……」


 噛み合わない会話に愛想を尽かし、ねえちゃんは静かに去って行った。


「オーノーッ(号泣)!!」



 結局スワヒリのねーちゃんに見捨てられた結果、この日もオレは丸1日食事にありつけなかった。なんか最近、だいぶしぼれて来たような気がするぞ(泣)。

 翌日は、若者らしく朝から街へ繰り出した。
 ダルエスサラームは、およそジンバブエのハラレ以降であろう、数千kmぶりにやって来た都会の街並であった。それはもちろん日本や他の先進国の都会を都会とした場合、ツチノコ発見がここ最近唯一の話題である地方の田舎町(正体は毎回ヤマカガシ)となんら変わりないのだが、昨日あたりは
公共のバスで野生のキリンの脇を走っていた状態から考えると、間違いなくこの街は都会と表現できる場所であろう。
 特に東側、海岸沿いに走るメインロードは脇に銀行や大型スーパー、ミニサイズだがそれなりのショッピングセンターが並んでおり、都会っ子の心をウキウキさせるには申し分のないところである。
 しかしアフリカの都市部のおもしろいところは、そんな都会の裏道では、あれもこれも売れるものは全て詰め込んだといった感じの乱雑な市場があり、庶民の空間はそれはそれできちんと存在するという点である。片やたとえ裏通りの小さなショップでも、オレなどが入ったら
「なにおにーさん? うちに何か用なの? あんたそのセンスでうちの店の服なんて着こなせると思ってるわけ? ねえ?」店員の女に叱られそうで怖くて入れない、原宿表参道あたりとはちょっと違う(号泣)。……そうなのか? オレごときはドンキーホーテの980円のトレーナーで充分ということなのか(涙)??

 尚、他にももう1点、ジンバブエ以来、ビクトリアフォールズ以来のものがここダルエスにはある。
 それは、この気候である。




 ……。

暑 い。






 まさにこれぞアフリカである。前日には雲の上の町、夜や朝方などは寒さと女性が使用中のトイレに侵入した興奮で震え上がっていたわけだが、今はこうして全身から体液、いや気持ちのいい汗が吹き出てくる。
 ……。
 
 
汗をかくのは嫌いなのよっ!!! 
 
アタシはマダムよっ!! マダムにふさわしい気候を作りなさいよ!!! 
 あ〜。いやだ。汗をかくのは本当にイヤだ……。クーラーがちゃんと効いているところでないと、動こうという気にならん……。うわ−っ! 首筋が汗まみれにっ!! これじゃあ乾いてからうなずいた体勢をとったら首とアゴの肉がべと〜んと張り付いて気持ち悪いじゃないか!! 誰かっ! 
誰か首筋にベビーパウダーを塗ってちょうだい!!! 
 イヤだっ! 暑いのいやだ〜!!

 とりあえず、じっとしているんだ。体を動かすと、摂取した栄養が熱エネルギーに転換され、体温が上昇してしまう……。
 実際に1時間ほどジーっとしていると、パイナップルとスイカを山盛りに積んだ黒人経営の青果店が目の前に登場した。じーっとしながらも最小限の声を出し、早速パイナップルを丸ごと剥いてもらう。もうくせになったのである。
←オレが剥いてもらっているパイナップルにガキが物欲しそうに見入っているが、@
そのパインは全部オレのだっ!! おまえなんかにひと切れもやるかよっ!!!


A
「ボウズ、おいで。オレと一緒にパイナップル食べよう」


「え? いいの?」


「何言ってるんだ。子供が遠慮なんかするもんじゃないぜ」


「わーい! やった!」


「おいおい、そんなにがっついて食べなくてもパイナップルは逃げて行かないよ」


「ゲホッゲホッ!」


「ほらみろ。落ち着いて、この水を飲みな」


「ゴクゴクっ。おにいちゃん、やさしいんだね……ありがとう!」


「ボウズ、お父さんお母さんを大切にするんだぞ」


「うんっ! おにいちゃん!」




※@とA、実際どちらだったかは想像におまかせします。ただ結論としてガキがどうあれこの熱気の中で食べるパイナップルが言語を絶する美味さであったことだけはここで報告しておきます。
 
 
 さて、先に述べたようにダルエスサラームはかなりの都会であるのだが、アフリカで都会であるということは、同時に旅行者にとっては絶対に油断できない危険地帯であることを意味する。当然のごとくここダルエスでは日夜強盗が発生しており、夕暮れ以降にうっかり人通りの少ない道に迷い込んでしまったら、
カラオケで番号を入れ間違えた時に演歌がかかるくらいのかなりの高確率でナイフを持ったいかめしい人々に出会うハメになるだろう。
 もちろん闇に同化した生まれついてのファイターである彼らに戦いを挑むのは、シャア専用ゲルググに
ボールで立ち向かうようなものであり、戦い方がどうこういうよりも出合った時点で勝負はついている。そのためとにかく極力夜は気配を殺し、自分の代わりに誰か他の旅行者や松金よね子が犠牲になってくれるのを祈るしかないのである。

 ただし、バスを襲う盗賊やゲリラなどを考えなければ、ダル(ツウはダルエスをさらに略してダルと呼ぶ)は治安に気をつけなければいけない街のラスト2である。ここを過ぎればあとは南アフリカのヨハネスブルグと並ぶ世紀末の都市、ケニアのナイロビを残すのみである。あと少し。晴れて危険地帯を抜けた暁にはひとり祝杯をあげ、思いっきり夜中の2時にポケットというポケットから札束を覗かせて外出し、治安の良さを噛みしめることにしよう。





今日の一冊は、

日本人なら読んでおくべき……

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論




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