〜四川省へ〜





 香格里拉の招待所から、早朝出発しようとして入り口のドアを開けたところ外から鉄格子で塞がれていて出られない。なんだなんだ。昨晩客引きに誘われるままここに来てしまったけど、もしかしてここは人身売買の基地だったんじゃないだろうな。言っとくがなあ、
オレの内臓は金にならないぞっ!! 心臓なんてノミの心臓サイズしかないんだからっ!!! こんなのノミにしか移植出来ないだろ!! 最近はノミも移植代を払えるのかよっっ!! ノミのサーカスで蓄えた資金かっ!!!



「おーい!! 誰かいないのですかーっ!!! あっ、通行人の農夫さん!! ちょっと、ちょっと! お願い、この手紙を、日本の両親に渡して下さい!! そして伝えて下さい、僕はここに監禁されていると!!」


「おう、おまえ出られないだか。管理人を呼んできてやるよ。なーに、いつもこうなんだからここのババアは。しょっちゅうそうやって泊まり客を叫ばせてるのさ」



 農夫おじさんは宿の隣に建っている管理人のバアサンの家に向かうと、ガラス戸をガンガン叩き「起きろラオターニャン(老大娘)! 青年が困ってるぞ!」と(予想)呼びかけてくれている。
 早く起きてくれよばあさん。ま、まさか死んでるんじゃないだろうな……。頼む、
死んでてもいいからこの鉄格子だけは開くようにしてくれ!! オレがバスにさえ乗れればばあさんのことなんかどうでもいいんだっっ!!!
 しばらくすると、管理人のババアというと言い過ぎだがおばあさんと言うにはちょっと憎たらしいので、管理人の
ババアさんが、農家おじさんに連れられ寝間着を羽織ってヨボンヨボンとやって来た。



「おう、おまえ、こんな早くにもう出るだか? さすが日本人は勤勉だなあ」


「感心してる場合じゃねーだろっ!!! あと10分でチーチョー(汽車=バス)が出るんだよっっ!!!! とっとと開けやがれっ!!! 
開けろっ! 出せっっ!! ウガーーーーッ!! 開けろっ! ウゴーーーーッッ!!!(ヨダレを垂らし、両手で鉄柵をガンガン揺すりながら)」


「開けるわけにはいかないねっ。こんな危ない奴を野に放ったら何をしでかすかわかったもんじゃない。一生檻の中で過ごしなっ!!」


「なにーーーーーーーーーっ!!!
 あの、看守のおばあさま。僕は模範囚なんです。自分の犯した罪を心から反省しているんです。僕がセクハラをした女性たちには、一生かけて償って行くつもりです。彼女たちが危険な目にあわないように、帰宅時にはこっそり後をつけて見守ってあげたいと思っています。彼女の仕事中も、泥棒が入らないように定期的に合鍵で部屋に入り安全を確認、部屋の固定電話から彼女の携帯に無言電話をかけてそれとなく『キミのことはいつでも僕が見守っているよ、安心して』ということを伝えてあげたいと思います」


「そうか、そんなに反省しているなら許してあげよう。釈放」


「開いたっ!! 
うおーーーっ!!! バスが出るっ!! チーチョー!! 待って、チーチョー待って!!!」



 おじさんに謝々を言い
ババアさんを踏み潰し、香格里拉汽車站に駆け込むと辛うじて麗江行きの汽車に乗り込むことができた。そう、今日の行き先は2段階後戻りして雲南省の麗江なのである。
 ちなみに、もちろんオレはセクハラで逮捕された事実はなく(法の目をうまくかいくぐっているから)、実際にババアさんともこんな会話はしておらず、本当はドアに鉄格子がついていておじさんに寝坊したばあさんを呼んでもらって開けてもらって一件落着というそれだけのシンプルな話だ。まあなんというか時々、ふとしたきっかけで会話文がほとんどオレの妄想で作られてしまうことがあるのだ。通常の会話文は真実率50%だが(低っ!)、今回のような時はもう真実率が10%程度まで下がってしまうので、これからは会話文が出てきたらその時々でどこまで真実なのかと鋭く見極めてほしい。オレが外国人相手に本当に
「アイ アム チョーノ!!!!」などと叫んでいる人間だとは決して思わないでくれ。


景色は良いが3日前に見たばっかだ




 麗江まで5時間。その日は麗江で1泊。この前またたびを与えた灰色猫に「おにいさんを覚えているかい? 戻って来たんだよ。また会えて嬉しいかい?」と近づいてみると「ニャー(おまえなんか知らん)!」と鳴きやがったため、ヒゲを全部抜いてやった。
 翌朝7時起床。いつものように猫シェーバーでヒゲを剃ろうとしたがヒゲが無くて戸惑っている猫を
踏み潰して麗江汽車站へ。今度は東の町、ターミナル駅がある拳枝花を目指す。
 ……なんだか中国に来てから地名が漢字になったのはとても親しみやすいが、香格里拉や拳枝花のように読めない地名というのもどうかと思う。これではバスや電車のチケットを買う時に
漢字が読めない麻生総理などは目的地が伝えられずに途方に暮れることになるじゃないか。乗り換えもうまく出来ないだろうし、大事な首脳会談に間に合わないぞ。中国も都市名を漢字で付けるのはいいけど、麻生総理のことを考えてちゃんとふりがなを振っておいてあげてほしい。

 拳枝花の駅までは、途中で一度バスを乗り換えて麗江から12時間。ここ数日はハプニングで同じ町を行ったり戻ったりしながら、毎日毎日日中のほとんどの時間を移動に費やしている。
これは、中国を舞台にした「水曜どうでしょう」のロケか??
 昨日までの4日間なんて、まる2日かけて移動してみたらそこから先は
道が無くなっていて、またまる2日かけて戻って来たのだ。ただ驚くことは、まる2日を移動に費やしても国の端から端まで動いたわけではなく、中国の辺境、ほんの片隅でちょこまかしていただけなのだ。孫悟空は筋斗雲でどれだけかっ飛んでもお釈迦様の手の平から全く出ることが出来なかったが、そのお釈迦様が釈迦専用筋斗雲に乗って一昼夜かっ飛んでも中国からは一歩も出られないのではないだろうか??
 こんな広い国を一手に手中に収めようとした始皇帝やヌルハチの権力欲は計り知れないなあ……。オレだったら、香港のひとつでも貰えればそれで十分だ。贅沢は言わないよ。後宮にだって、そんな何百人も若い女子を入れなくていいよ。100人だけでいい。
100人の美女がいればそれ以上は望まないから。ほらね? 始皇帝なんかより、こんな欲の無いオレが中国を統一した方がよっぽどみんなのためになりそうだよね?? 今からでも遅くないと思うよ。もしみんなが望むんなら、その意思を示してほしい。投書とかで。要望が多ければオレも統一に向けて善処するから。

 夜7時に到着し、そのまま拳枝花駅の切符売り場へ直行。運行スケジュールは全く把握していないが、とにかくくれ。
切符をくれ。切符をよこせよこの漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)にっっ!!!



「すいません! このメモを見てください! 成都 1个人 アズスーンアズポシブル。今天の火車(電車)は有没有?」


「深夜の1:49発の火車ならあるよ」


「なんじゃその時間は〜〜〜〜っっっ!!!! そんな時間に発車する電車があってたまるか〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!
 でもそれ下さい(号泣)。寝台席にしてよね」


「寝台席メイヨー」


「うそー。じゃあ軟座は(涙)?」


「メイヨー」


「もういいよ。じゃあ硬座にするよ(号泣)」


「メイヨー」


「なにをいっとるんじゃおまえは〜〜〜〜っっっ!!!!! あれもないこれもないって、ナイナイシックスティーンを歌うシブがき隊かっっ!!!!!」




 説明しよう。ここで切符係おばちゃんの言っている「メイヨー」というのは、「没有」即ち「無い」という意味の中国語である。とはいえもしオレが中国語辞典を執筆することになったら「無い」の他に「面倒くさい」という意味も追加したい、
単に「探す気が無い」「外国人の相手はしたくない」という場合にも放たれるいやらしい言葉である。駅やバスターミナルで長いこと並び、やっと自分の番が来たと思ったら無愛想にこれを叫ばれるダメージというのは相当なものがあるのだ。
 …………以上、
さくら剛著「三国志男」から文章を勝手に引用しているので、トラブルを避けるためどうかこのことは著者には内緒にしていてくれ。
 もうひとつ説明であるが、中国の火車には座席は4種類あり、いい方からまず軟臥、硬臥(この二つが寝台)、そして軟座、最後に狭く硬い硬座だ。このあたりはだいたいインドの電車とも、いや世界中の電車と同じだと思われるが……



「おうおうおばちゃんよう。あんた客に対して『1:49発の火車ならあるアルよ』と言っておきながら、ことごとくどの座席もメイヨーとはどういうことやねん。じゃあ結局その火車には乗れないってことだろうがっ!! それともなにか、今聞いた以外の席があるってーのかよっっ!!!!」


「ウーツォ」


「なんだそれは。ウーツォかよ。どういう意味だ。それはウーツォならあるってことか。ウーツォという席を買えばいいということかっ!! ウーツォならあるんだなっ!!!」


「ヨウ」


「そうか。じゃあそのウーツォを一人分よこしなさい。……あら、随分安いのね。ちゃんと成都行きになってるのに。事前情報と違うわ。なんだか得した気分♪ ありがとうおばちゃん! ルンルン♪」


「プーヨンシェー」



 よくわからんが、1:49発、ウーツォの切符を手に入れたぞ。でも、なんだろうこの席は。オレの知っている4種類の他にもまだ席の種類があったなんて知らなかったなあ。 …………。ん??
 落ち着いてチケットの座席種別のところを見てみると、そこには
「無座」と書いてある。

 
なんじゃそりゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!

 「無座」を読んだらウーツォ!! わかる! 意味は良くわかる!! 
でもちょっと待てコラッ!!! 席が無いのに、「無座」という切符を売るというのはものすごく矛盾してないかっ!!! だって無座だぞ!! 無いんだぞっ!!! 無い物をどうやって売ってんだよっ!!!! ドーナツの穴を売ってるようなもんじゃねえかそれはっ!! ミスタードーナツに行って「フレンチクルーラーの穴と、あとポン・デ・ショコラの穴ください」「かしこまりました。200円になります」という会話が交わされるのかっ!!! 中国には矛盾が多い!! さすが「矛盾」という言葉が生まれた国!!!

 ここから成都まで、火車で13時間である。
無座なのに、13時間。しかも深夜の2時前に出発。しかもここ何日も連続で移動していて、ついさっきまでも12時間バスに乗ってたんだけど。いよいよ水曜どうでしょうの世界になってきたな……。というか、無座ってなんだよ。乗り込む時に無座のチケットを見せたら、係員にも「無座ってなんだよっ!! 席が無い奴が電車に乗れるわけねーだろっっ!!!」と追い帰されるんじゃねえだろうな??

 現在時刻はまだ午後8時であるので、発車まであと6時間(号泣)。見知らぬ町であまり夜出歩きたくないし、そもそも荷物が重過ぎて出歩いている場合ではない。ので食堂で回鍋肉定食だけ食べて駅の待合室に戻って来た。

ここだけは昼間のような賑わい




 ここで6時間か……。
 
過ぎないだろここで6時間は。何もすることが無いし、横になろうとしても椅子が硬すぎて無理だし、こんなところで過ぎることが出来る時は、せいぜい2時間が限界なんじゃないか?? 2時間過ぎたら時の方も「もうさすがにこれ以上無理!」と投げ出して、その時点で時間が止まるんじゃないだろうか。太公望を配下に迎えるため釣りの間ずっと立って待っていた周の文王でも、この待合室で6時間電車を待つことになったら途中で貧血で倒れるぞきっと。
 もし寝過ごしたら6時間待ちから一気に24時間待ちくらいになって恐怖で泣いちゃいそうだから、寝るわけにもいかない。男として、涙なんか見せられない。せっかく中国まで1滴の涙も見せずに旅をして来たんだから、ここで号泣することだけは避けたい。

 …………。

 かゆい。

 
ががっ!!! 刺されたっ!! 蚊に刺された!!!!
 
右手の親指の爪のすぐ下と、あと中指と薬指の間の股!! 直径1cmくらいにボッコリ腫れてる!!! すんげーかゆいっ(涙)!!! 最悪にかゆいところ刺されたっ!!!! うがーーーーーーーっっ(泣)!!! ががっ、かゆい〜〜〜〜〜〜〜〜っっ(号泣)!!!!

 なんで蚊は刺されると痒いんだよ!! 
だからおまえらはむかつくんだっ!!! なんでも血を吸う時にかゆくなる毒を注入して行くそうじゃないか!! かゆくさえしなきゃ血くらい分けてやるんだから、毒はやめろよ毒はっ!!! 毒とかって中国産の汚染食品の影響で今みんなが一番気にしてるところなんだからっっ!!! おまえらだって毒を入れなきゃ憎まれないで済むだろうがよっ!!!! パチンパチン潰されることも無くなるんだぞっ!! 学習していけよっ!!!!

 でも今調べたら、蚊の毒唾液を血管に注入すると、血が固まらなくなってそれでチュルチュルと吸いやすくなるんだって。そういう仕組み、誰が作ったんだろういったい。神様? なんで元々この世には宇宙も時間も空間も無かったのに、こんな唾液を注入して血小板の凝固を妨げておいて血を吸って栄養を得るなんて構造のしかも空を飛べる生物が登場してるわけ?? プログラマーだろ。プログラマーが作ったんだろ!!! この世を宇宙の外から見ているプログラマーが開発したに決まってる!! そうでなければ、今の技術をもってしても「無」から蚊を作り出すことなんて出来ないんだから、文明もくそもない1億年以上前にこの世のなんらかのものが蚊を登場させられるわけが無いじゃないか!! くそっ、
かゆいなあ!!! 親指の爪の下(泣)!! あと中指と薬指の間の股(涙)!! ここが1番かゆいところなんだって(号泣)!!!!


 …………。


 いやあ、でも、
蚊に刺されたおかげでいろんな所に思考が飛んで、おかげでだいぶ時間が過ぎたぞ。まさか蚊について騒いでいるだけで数時間が過ぎようとは……。今、何時ごろになった?? もう12時近いんじゃない? どう?

 ……あれ?

 
まだ8時7分じゃねーかっ!! 数時間どころか、7分しか過ぎてねえぞっ(号泣)!!! なめてんのかオイっ!!! おいテメエ拳枝花!! おまえ時が過ぎるのが遅すぎるんだよっ!!! ただでさえ6時間も火車を待たなきゃいけないのに、その遅さはなんだっっ!!!! ここがシンガポールだったらもうとっくに5時間くらい経ってるぞっ!!! いい加減にしろよっ(涙)!!!


 中国人がひとり〜、中国人がふたり〜、中国人がさんにん〜……(数を数え始めた)





今日の一冊は、
こんな小娘が、こんな考えさせられる本を書くとは…… 逆転力 ~ピンチを待て~ (講談社 MOOK)










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