〜ブッダガヤ2〜





「ガウワウッ!!!!」
「バウワウバウワウ!!」
「ガルルルル……」
「ガオンガオン! ガオンガオン!!」
「ウガウウウッ!! ガオワオワオワオッッ!!!!」


「てめえら〜〜っ、霊長類ナメなめんなよっっ!!! あっち行けコラッ!!! おつとめに行けんだろうがっっ!!!!」 ブンッ ブンッ ←バットを振り回す音



 本日はブッダガヤ滞在最終日、朝9:00の電車でここを立つ予定である。しかし現在時刻は朝4時半。先日の話によると今日こそは和尚さんが復帰して朝のおつとめが再開されるそうなので、またもオレはこんな深夜に命がけで起床し(オレは早起きをすると寿命が縮む体質なのだ)、ペンライトで道を照らしながら闇の中を日本寺へ歩いているのだ。
 しかし、なんといってもブッダガヤはノラ犬軍団の構成員が非常に数多いうえに、どいつもこいつも
本格的に凶暴なのである。バラナシのノラがペット的な存在で「のび太のワンニャン時空伝」のエキストラだったのに対して、ここの軍団は「銀牙 -流れ星 銀-」に出演したら、製作サイドの都合も考えず開始5分で赤カブトを血祭りにあげてしまいそうな迫力だ。これだけいかついノラ犬が揃っていたら、もし各寺の僧侶が集まって世界中のさまよえる霊を供養するイベントがここブッダガヤで行われても、オバケのQ太郎は断固参加を拒否するに違いない。実写版ワンワンパニックである。
 実際にここでノラ犬のたくみなフォーメーション攻撃から逃れられず、噛み付かれて
狂犬病感染の恐怖を味わうことになった旅人もいるらしい。狂犬病は、「魁!男塾」ふうに言うと巨象をも一撃で倒すほどの威力の病であり、発病すると100%死ぬそうだが、噛まれてすぐ感染がわかるのではなく、何ヶ月も経ってからでないと確認が出来ないのだ。そのため感染したかもしれないと思ってから検査結果が出るまでというのはあまりの恐怖に生きながら死んでいるようで、本当に生きた心地がしないということなのである。

 にも関わらずオレがこうしてクリケットバットで応戦しながら小栗旬を超えるカッコ良さで日本寺への道を切り開いているのは、ひとえに御仏への信心の賜物であり、男として戦わずに逃げるくらいなら狂犬病の発病の方がマシであるというプライド、日本人としての誇り、
そういった理由では決してなく(よく見るパターン)、ではなにかというと、日本でちゃんと狂犬病の予防接種をしてきたから最悪噛まれても狂犬にはならないかなという安心感からである。そう、オレはワクチンを投入されているから狂犬にはならないのだ。たしかにオレは日頃から狂犬に匹敵する変態行動を取ってはいるが、それは狂犬病ではなく生来の姿なので勘違いしないで欲しい。
 だったら狂犬病に
なってもならなくても一緒じゃん。あははっ。

 実際は予防接種を行っていても結局感染したら
ワクチンをすぐに打たないと死ぬということを知らなかったので、オレは強気になって狂犬軍団と戦い5時前に無事印度山日本寺へ辿り着くことが出来た。※じゃああの予防接種は一体なんだったのだろう。

 何百畳というだだっ広い本堂の真ん中に一人鎮座し、朝もやの中で精神を落ち着かせ居眠りをしようとしていると、ここで遂に念願の
日本人ご住職がお越しになった。おお、やっと来てくださったのですね……免許は無事更新出来たのですね……。
 イベントコンパニオンの常識として「おはようございま〜す☆」と日本語で気持ちよく挨拶をすると、さすが日本の方、5時きっかりジャストオンタイムに和尚さんの読経が始まった。ぬうう、日本語のお経、懐かしい〜〜〜っ(涙)。寺の内装や仏壇(?)もお経も日本そのもので、オレはインドにいながら法事にでも参加している気分になった。ああ法事めんどくせー。

 オレは正座をしながら基本的には心地よい読経のリズムに身をゆだね懐かしみ、ほんの時々パチン! とまとわりつく蚊を叩いて
殺生をしながら、毎日こんなことやって和尚さんは凄いなあと尊敬の眼差しでおつとめするお姿を見詰めていた。
 ご住職は何種類もお経を読み、ポクポクポクポク
チーーーンと木魚を叩きおりんを弾き、オレはそれをじっと気持ちよく正座で聞いていたら、もはや足が限界になった。つ、つらい……。足がいてえ〜〜(涙)。このままご焼香の時間になったら、バットを杖がわりにして立ち上がった瞬間ヨタヨタヨタヨタッッとよろめいて祭壇に突撃し、弾みでバットを振り回し本尊を破壊してしまう可能性がある。そうなったら日本仏教界の敵という烙印を押され、帰国時に日本への入国を拒否されるかもしれない。まあおつとめの場合はご焼香は無いので大丈夫だが、しかしそれは置いておいても足が痛い。くううう、幼い少女を救うためのノラ犬軍団との死闘でやられた傷が……この傷さえ無ければっ! つうう!!!(フィクション)

 もはや最初に感じた郷愁は消えおつとめが
早く終わることだけを祈りながら耐えていると、30分後、ようやく和尚様の読経が終わった。ああ……きつかった。おつとめというのはこんなに辛いものだったのですね……。でも、この苦行に耐えることによってなんだか自分の意識が変わったような気がします。ありがとうございました。
 和尚さんは経を読み終えると袈裟をはらって立ち上がり、いち信者のオレにわざわざ声をかけに来てくれた。



「これで朝のおつとめは終了となります」


「はい、どうもありがとうございました」


「それでは、
続いて朝の座禅を行いたいと思います」


「ズコーーーーーーーーーーーっっっ(涙)!!!!!」



 オレは
思わず正座の体勢のまま後ろにひっくり返りそうになった。
 い、今のおつとめは座禅も含まれていたんじゃないのか……。まるまる30分もじっと座ってがんばっていたのに、
これからあらためて座禅がスタートかよ……。



「そ、そうなんですか……。ぼ、僕、実は今日の電車でカルカッタに行かなくちゃいけないので、
すみませんがこのあたりで早退させていただこうかと……」


「ははは。朝の座禅は私はついていませんから、お好きなようにやればいいんですよ。座り方も自由ですし」


「えっ。和尚さんが見張っていて、ピクッと動くと
『修行が足りん!』とか言われて棍棒でバシーンビチーンと叩かれるようなやつじゃないんですか?」


「夕方は参加者みんなで一緒にやるのですが、朝は旅行者の方には各自でおこなってもらうようになっています。時間はそうですねえ、だいたいいつもは20分くらいみなさんやってらっしゃるでしょうか」


「各自でやればよいのですね。それでしたら、
和尚さんが見張っていないのでしたら、やってみようかと思います(不信心者)」


「私は事務所の方におりますので、何かありましたら訪ねて来てくださいね」


「はい和尚さま。どうもありがとうございます」



 住職はオレにひと通り座禅の説明をすると、そのまま袈裟をフサフサ言わせながら本堂から退室された。今朝の袈裟も素敵ですね。
 ……まあそういうことでしたら、各自で自由にやってよいのでしたら少し座禅に
トライしてみましょう。せっかくお寺に来ているのだし、20分くらいは瞑想を行って、ある時は頭をカラにし、ある時は旅を振り返りこれからの旅を想い、そしてある時は自分の宗教というものについて考えてみましょう。
 和尚さんに教えられた通りオレはまず座布団に向かって一礼、そして正面に向かって一礼をすると、あぐらをかいて頭の中を一切の空白にするよう集中を始めた。
 さて、座禅(オレ流)を始めておよそ30秒ほどが経過すると、ここでオレの気配を察してまたもブッダガヤ各地から食欲旺盛なノラ蚊のグルメツアーの団体が押し寄せてきた。体にまとわりつく圧倒的な害虫の大群を気にしないことなど出来るわけがなく、カラにしていた頭の中はすぐに蚊で埋め尽くされた。
 ……なんやねん一体。さっきは凶暴ノラ犬軍団で、次は
殺人ノラ蚊ツアーか。ブッダガヤは人間が仏教的で控え目だからか、なんとも野生動物が猛威を奮っている。蚊もそんなに餓えているなら、ノラ犬軍団の血を吸えばいいじゃねえか。そうすれば危険な凶悪犬は血も無くなりマラリアに罹って数が減るだろうし、蚊は蚊で犬の血を吸って狂犬病になってどんどん死んで行くことだろう。やっぱり、蚊も狂犬病になるのが嫌だから犬のことは襲わないのだろうか。
 というか……、
瞑想できるかっっ!!!!! こんなとこで何も考えずじっとしてたら、20分後には全身の血が無くなって成仏を遂げることになるだろうがっっ!!! そうなったら住職のお経だけじゃ供養されんぞ!!! 蚊に乗り移って怨念を込めて旅行者を刺し続けてやるからなっ!!!

 とりあえず蚊はたかるしノラ犬が本堂の前をちょろちょろ通りかかって気が散るし、オレは20分など到底無理なことだと判断し、大幅に短縮して
1分間だけ座禅に集中することにした。ちょっと待ってろや蚊ども。1分だけ待てや。オレは改めて座り直し、余計な物に気を取られないように目をつぶって集中することにした。
 頭の中であと30秒……あと20秒……と数を数え、頭を空白にするどころかカウントダウンまでおこなってしまい結果的になんの瞑想も出来ず
座禅の意味が無かったが、しかし各自で行う座禅なのでこれはこれでオレの座禅なのだ。
 ということで……、
待たせたな蚊ども。じっくり勝負しようじゃねえか。
 オレは仏教徒だしここに朝のおつとめをしに来たのだから座禅が終わればつつましく帰ると思ったなら
それは蚊たちの大きな誤算である。そうはいかないぜテメーら。
 3日前はこの大量の殺人蚊部隊を相手に手を叩くだけという弱小兵器で対抗していたが、オレは学習をするし、残念ながら
他の仏教徒と違って好戦的な性格である。下の写真はオレが座っている地点を1歩離れて写したものだが、寺におつとめをしに来たというのに座布団とリュックの他にクリケットバット、スキンガード、どこでもベープ、キンチョールと実に煩悩にまみれた小物の数々が並んでいるのがわかるだろう。






 さて……
 
みほとけの前で殺生に精を出すとするか……。



 
死ねてめえら〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!!!



 オレは今までの人生での蚊への恨みを全て晴らすがごとく、蚊の姿を探してあらゆる方向にキンチョールを噴射しまくった。一度蚊の気配が無くなったらまたじっとして獲物を引き寄せ、アホ野郎どもが集まって来たらまたも日本製殺虫剤で一網打尽である。日本寺に来る以上は、日本製の高性能蚊取り兵器で攻撃されることは覚悟するんだなこのカスどもっっ!!!! グルメを志す以上はそれ相応のリスクは当然だコラっっっ!!!!!

 オレはなんとキンチョールを構えて
1時間以上、自分が仏教徒であることなど完全に忘れ、むしろキリスト教徒になった気分で本堂でとことん大量虐殺を働いた。一応床を汚しちゃまずいので、


ちゃんと死体を集めてみた
死体をまとめてみた

 集めたのはいいけど、供養はせずに死体は草むらに
遺棄しました。

 もう外はすっかり明るくなっていたので、オレは賽銭箱にルピーを投入して、お線香がわりのお香を焚いて本堂を後にした。
 ところで、電車の時間までもうしばらく間があるため、オレは仏教のことを少し学ぶために住職にお話をうかがうことにした。これは本来迷惑行為かもしれずお寺としての通常の業務(?)からは外れたことかもしれないのだが、他の旅行者から得た情報によると、日本寺の和尚さんを訪ねて行くと時間がある時にはいろいろと旅人に対してもお話を聞かせてくれるらしいのだ。
 ということで、図々しくもオレは本堂の裏の事務所へ住職を訪ねたのである。

 そこではまず対応していただいた善良なインド人スタッフの方(少数派)が、熱々の日本茶を入れてくれた。本格的な日本茶を日本を離れて飲んでみて、ここでオレは日本茶というのはこんなにも美味いものだったのかということを始めて知った。あ〜うれしいのお。ありがたいのお。ズズズズ……
 しばらくして先ほどのお坊さんが来てくださり、実は仏教についてよくわかっていないので少しお話をうかがえたらと思ったのですが、と言うと快く応対していただけることになった。やはりこのあたりの心の広さ、インドまで来て住職をしていらっしゃるだけあって、テレビ番組で除霊とかやってるニセ坊主とは格が違うなあ。
 聞いてみると、住職は浄土宗のお坊さんということであった。なるほど、浄土宗か……。たしか浄土宗といえば……、
なんだかさっぱりわからん。後で調べたところによると、浄土宗の開祖は法然らしい。たしかに、歴史の授業で聞いた名前だ。「南無阿弥陀仏」と唱えることで誰でも極楽往生を遂げることが出来ると説いたこの法然、このお方はスキージャンプフィンランド代表のアホネンとは特に関係が無い。

 オレは和尚様の貴重な時間をいただき、1時間近くも仏教の教えやいろいろな行事の意味について教わった。
 印象に残っている話は、因縁についてだ。因縁の因というのはすなわち人間の意思であり植物でいえば種、縁は周りの環境であり、植物に例えるならば水やその種を撒く人だということである。お坊さんに「どうしてお坊さんになろうと思ったのですか?」「どうしてインドに来ようと決意したのですか?」と訪ねてみたところ、どちらも「それは私の意思(因)よりも、縁の問題なのです」ということであった。
 そもそも因と縁、意思と環境では後者の影響の方が大切らしく、なんと
意思の力で縁を変えることは出来ないということなのだ。和尚さんが和尚さんに、そしてインドの日本寺のご住職になったのもそれは意思ではなく縁、環境によるものだと仰るのだ。これは「信じれば夢は叶うさ!」などという前向きな考えとは一線を画す教えではないだろうか??
 オレはインドだけに、「では、物乞いの人たちは意思の力でその生活から脱却することは出来ないのでしょうか?」と訪ねてみると、「意思が無ければ、努力しなければ種が蒔かれることはありません。しかしやはり縁というものが非常に大事ですので、それが報われるかもしれないし、また報われないかもしれません」ということであった。
 これを現実的と捉えるか夢が無いと捉えるかだが、オレは、「信じれば適うというのもキレイ事だけど、でも意思では環境を変えられないと断言してしまうのもヘンじゃないかなあ?」と、ここで仏教の教えについて疑問を持ってしまいました。

 そしてもうひとつ教えてもらったことは、殺生についてだ。オレはてっきり仏教では「殺生厳禁」「殺生するなかれ」「指定の場所以外での殺生はご遠慮ください」などという戒律があるのかと思っていたのだが、
そんなものは無いそうだ。オレの認識では少なくとも知っている範囲で人を殺さない宗教、キリスト教やイスラム教と違い殺人の歴史に血塗られていない宗教が仏教であり、当然厳しく殺生は戒められているものだとばかり思っていたが、殺してはダメだという決まりすら無いというのである。これは驚愕の事実ではないか。
 ところが、じゃあ殺しOK? 
殺しちゃっても大丈夫ですかね?? と殺しの許可を申請してみるとそういうことでもなく、「殺生はしてはいけないという決まりは無いが悪行はいずれ自分自身に返って来るのでしない方がいい」ということであった。しかし決していけないということでは無いらしく、和尚さんいわく「蚊も殺したいと思えば殺せばいいのです。お経をあげたり、座禅を組むというのもただやりたいと思うからやるだけなのです」などととにかくオレの質問を真っ向から受けてくださるというよりむしろ全て右から来た物を左に受け流すような難しいお答えをいただき、結局のところ、なにがなんだかわからなくなりオレは混乱した。もしかして和尚様はムーディー勝山のファンなのでは……

 和尚さん自身も「仏教というのは最も難しい宗教です」と仰っており、1時間もお話を聞かせていただいてオレも仏教がどういうものかではなく
仏教は難しいものだということだけはよくわかった。
 それにしても、こんなに難解な話を何もわかっていないただの旅行者に丁寧に聞かせてくださったお坊さん、なんて思いやりのある方なんでしょう。そもそもブッダガヤに一人赴任して暮らし、毎日おつとめをされているということが既にオレなどは足元にも及ばない尊い存在である。すごいなあ。
 そしてオレは住職にお礼を言い、若干住職は
お話をし始めたら止まらなくなるというありがたい傾向があらせられたため電車の時間ギリギリになり、猛ダッシュで宿に戻り荷物をまとめると後部座席からムチを打ってリキシャを急かし、ガヤの駅へ向かった。かろうじて予定発車時刻の5分前になんとか駅へ着いたのだが、結局実際に電車が来たのは1時間半後であった。やっぱりな……

 今日の住職のお話を思い返してオレはひとつ決めたことがある。
 オレは仏教の教義など何一つ理解していないことがわかったし、しかも、お坊さんに懇切丁寧に教えていただいたにもかかわらず、結果的に正直素直に納得が出来ない教えのようなものもいくつかあった。旅先で「おまえの宗教はなんだ?」と聞かれることは多く、その度にオレは「ブッディストだ」と応えていたのだが、この日からオレは仏教徒だと名乗るのをやめ、必ずノーレリジョン、無宗教だと言うことにしたのである。




今日の一冊は、

ブッダ 1





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