〜ブランタイヤ3〜





 貧乏。ああ、なんて懐かしい言葉なのかしら。
 節約。ああ、なんて庶民的で健気な活動なんでしょう……。
 でもね、下々(しもじも)のみなさん。そんなに節約節約ってセコセコ過ごしていたら、そのうち性格まで歪んできてしまうんじゃありません? ねえ、そもそもお金って、何のためにあるのか知っています? 貨幣経済の流通の仕組みについて、説明できる人はいるのかしら?
 そう、そこのあなた、いい事言ったわね。そうよ? その通り。お金なんて、使うため、ただそのためだけにこの世に存在するのよ!! 
 いくらでも好きなだけ使えばいいのよ! なんでも思うまま買えばいいのよ!! 貧乏人は麦を食えばいいのよ!! エリカたとえてあげる。エリカが大海原を自由に泳ぐイルカなら、あなたは浜名湖の養殖場で一生を過ごすうなぎ。エリカが会員制高級スポーツクラブのフィットネスマシーンなら、
あなたはアブフレックスよ!!

 さて、このように独り言の中に自然に池田隼人や有名お嬢様のフレーズが出てしまうことからもわかるように、オレは今、王侯貴族なみの大金持ちである。今朝、トラベラーズチェック500ドル分の再発行を受けたオレには、森の木々、道端に咲く草花、全ての命ある物が昨日までとは違い生き生きと、そして鮮やかに色づいて見える。
 なにしろ所持金が4ドルから504ドルへ、一気に100倍以上に跳ね上がったのである。100倍といってもこの額だとピンとこないかもしれないが、仮に最初に持っていたのが4ドルではなく100万円だったら、いきなり1億円以上手に入るということになるのだ。これでは、誰もオレが金持ちだという事実を否定することはできないだろう。およそ20m歩くごとにオホホホと笑っているということもあり、後ろ姿だけ見たら白鳥麗子と間違えられてもムリはない。

 尚、参考までに現実を少しだけ覗いておくと、500ドル(6万円)では日本への航空券すら買えない、つまり
全財産はたいてもまだ日本に帰れないのだが、なにしろ今朝まで所持金の合計が小学1年生の月の小遣い全国平均よりも少なかった男だ。かつてままごと婚をしてしまったあの2人のように、多少現実が見えなくなっていても仕方が無い。
 ちなみに本日帰ってきたのは500ドル分だが、残りの6000ドルはタンザニアの首都ダルエスサラームで返ってくることになっている。これはトラベラーズチェックの発行会社がそれぞれ違うためこのようになってしまったのだが、そもそもたどり着けるという保証もない都市で受け取りが決まっているというのが、どうも解せない。

 TCの再発行を受けたオレは、早速50ドルもの大金をクワチャに両替した。50ドルである。50ドル一気に両替である。こんな贅沢が許されていいのだろうか? この1週間ほどの間、5ドルずつしか現地通過への両替を許されなかった男が、今は
全盛期の平清盛も真っ青なこの豪遊っぷりである。おまえ、大きな人間になったな、自分を褒めてやりたい。
 ただし両替したのはいいのだが、この町でできる贅沢といったらせいぜいスニッカーズを3本くらいまとめて買うくらいしかないし、実は腹の具合がたいそうお乱れになっていたため、その後は宿でビーグル犬でもからかいながらゆっくり休むことにした。ちなみにブランタイヤをはじめ、アフリカの都市は植民地時代の影響かそれなりにこじんまりと整備されており、そこがやや旅行者にとってはつまらなく感じられるところである(現地の人にとっては大きなお世話だろうが)。ただ歩いているだけでネタフリがやってくる、具体的には言えないが最初にイがついて最後にドがつくどこかの国とは違う。

 
 夕食を終えドミトリーのベッドに1人で横になっているのだが、はっきり言ってだだっ広い大部屋に1人だけで寝るのは怖い。昨日まですぐそこのベッドでオレのために蚊の盾となってくれていた彼女は、もう姿を消している。戦いに疲れたのだろうか。それとも、蚊の軍団にどこかへ運ばれていったのだろうか。いや、単に吸われすぎてペラペラになっているだけで、シーツをめくったら出てくるのかもしれない。
 なぜかオレのベッドの脇には、アフリカの原住民の頭部だけの彫刻が置いてある。明るいところで見ても充分すぎるほど怖いのだが、電気を消したらいきなり枕元に移動してきたりしそうで、まったく落ち着いて睡眠がとれる気がしない。それならばと彫刻をどこか遠くへ運んでしまおうとも考えたのだが、一旦電気を消して再び点けたら
いつの間にか元の位置に戻っていたりしそうで、更なる恐怖を想像してしまいなかなか手をつけられない。オレにできることといったら、少しでも場を和まそうと、「こんにちは。いやー、相変わらず首だけですねー。しかし美容院とか大変じゃありません? 特にシャンプーなんてコロコロ転がっちゃって……」などとジョークを交えながら話しかけることくらいである。

 ああ、今夜はここで1人で寝るのか……。こんな人の気配のする大部屋で、たった1人で……。なんという心細さだろうか。たとえ
はぐれ刑事でも「仲間になってください」と懇願しそうなほどの心細さである。もういい、なるべく余計なことは考えないようにして、さっさと寝てしまおう。集中だ。寝ることに集中して。怖くない……怖くないぞ……

 ドンッ

 ひえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!




「あー、疲れた!」


「おなかすいた……まだ食堂やってんのかな……」



 突然ポルターガイスト現象により部屋のドアが開いたと思ったら、聞こえてきたのは日本語のカンバセーションだ。中に入ってくる男女2人の旅人。あ〜、よかった!! 日本人のルームメイトだ!!
 しかし相手はカップルであるので、こちらとしては話しかけるタイミングがなかなか難しい。オレは、しばらく蚊帳の中から2人の行動を凝視していた。



「メシの前にハラレまでのバスチケット買いにいこうぜ。できれば明日の朝出発したいから」


「明日あ〜っ!? 1日くらい休んでこうよ……両替もしなきゃいけないし……」


「あ、そうか、両替か……。でもこんなとこで1日も無駄にするのもちょっとなー。一応バスの時間と値段だけ……
ウオっ!!!」



 失礼極まりないことに、カップルの男の方が、蚊帳の暗闇の中から自分達の姿をじ〜っと見ているオレに気付き叫び声をあげた。オレはここで決して彼らの非を咎めることなく、満を持して蚊帳の中から登場した。



「どうも〜、こんにちは〜」


「あ、ああ……びっくりした……」


「わたしはあんたの悲鳴にびっくりした……」



 彼らはエジプトからの南下組で、話を聞いてみると別にカップルではないということだった(2人が正直ならばな……)。南下と北上の立場から、お互いに欲しい情報を山ほど持っているということもあり、早速会議が始まる。オレは特にジンバブエにいる、恐ろしいほど正確に客の将来を言い当てる予言者のことを絶賛し紹介しておいた。2人はたいそう驚いていたので、
きっと行って後悔することだろう。
 仲本くんは非常に感じのよい若者で、頭も良く話が早い。ヒキタさんの方はオレより若干年上なのだが、才女の雰囲気を漂わせ、全盛期の石野陽子を彷彿とさせるとても上品な美女だった。こういう上品な人が、わざわざマラウィくんだりまで来ていることには仰天させられる。きっと彼女はアフリカの国々が大好きなのだろう。



「スーダンはどうでした?」


「スーダン人って、本当にみんな親切なの。すごくいいところよ」


「へ〜、そうなんですか。タンザニアはどうでした?」


「私達は通り過ぎるだけだったけど、タンザニアも大好き。今度はゆっくり行きたいな〜」


「なるほど。ケニアはどうですかね?」


「奇麗な自然がいっぱいあって、動物がいっぱいいて……」


「ふ〜ん。じゃあエチオピアは?」


「……」


「あ、あれ? どうしました? ……エチオピアは??」


「最悪よっっ!!! あそこは最低の国よっっ!!! 最低で汚くて下品で……」 


「ちょっと! 落ち着いてくださいっ!!」


「……」


どうしたんですか一体。えっと……タンザニアはどうでしたっけ?」


「私達は通り過ぎるだけだったけど、タンザニアも大好き。今度はゆっくり行きたいな〜」


「なるほど。ケニアは?」


「奇麗な自然がいっぱいあって、動物がいっぱいいて……」


「ふ〜ん。じゃあエチオピアは?」
  

「エチオピアっ!! 最悪っ!!! なんなのよあの国はっ!! 最低で汚くて下品でっ!!」 


「ちょっと! 落ち着いてくださいっ!! ……タンザニア」


「大好き。今度はゆっくり行きたいな〜」


「ケニア」


「自然がいっぱい、動物がいっぱい……」


「エチオピア」


「許さないっ!! エチオピア許さないっ!!! エチオピアを殺して私も死ぬわっ!!!!」


「あ、あの。なんでエチオピアの時だけ上品じゃなくなるんですかね……」


「ムキ〜ッ!! 思い出すだけでイライラしてくる……。ほら、見てよこのお腹」 ペロン


「おお〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!! ぎょわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」



 オレが上品さをかなぐり捨て2回も悲鳴をあげてしまったのは、突然さらけ出されたヒキタさんの腹を見てのことだった。1回目は勿論、このアフリカ生活1ヶ月になる男の目の前で、いきなり日本人の美女の生腹が出現したことに対する悲鳴。この衝撃は、小学5年生の授業で初めて
第二次性徴について学んだ時に匹敵するものがある。やばい。呼吸が乱れるのがばれたら変態だと思われてしまう。
 だがしかしそんなオレに2回目の悲鳴をあげさせたのは、その美女の生腹に残っている、
百箇所はあろうかと思われる虫刺されの跡であった。



「ほら、ここも見てよ」


「えや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」


「ここもよ!!」


「なりょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」




 彼女が続けざまに首筋や二の腕を見せると、そこにもそれぞれ何十箇所という無残な赤い跡が、ホラー映画に出てくる惨殺ピーッ(自主規制)を思わせる惨たらしい状況で残っていた。これはヒドい。この惨劇を見せられたオレは相当動揺したのだが、おかげで最初の腹を見た時の呼吸の乱れがごまかされ、変態疑惑は払拭することが出来た。



「な、何事ですかそれは……」


「ダニとノミと南京虫よっ!! あそこは宿のベッドもバスの中もノミ天国、いやノミ地獄なの!! 夜なんか痒くてとても寝れたもんじゃないわ!!」


「ぐわ〜っ! い、イヤだ……。それはイヤだ……」


「もう出国してから2週間以上も経つけど、未だにこのザマなんだから。でもこれでも当時よりは大分消えてきてるのよ……」


「で、でもエチオピアだって他にいろいろいいところはあるでしょ? メシがうまいとか……」


「最悪ね。あれは絶対日本人の口には合わないわ。私達、最短の1週間でケニアに抜けたんだけど、1週間ほとんど水しか飲まなかったから。おかげで5キロくらい痩せたような気がする」


「なんですと……。そんな殺生な……」


「宿のトイレなんて凄いよ。床がピーッ(自主規制)で穴にはピーッ(自主規制)がピーッ(自主規制)ってて、絶対外でした方がマシだと思うから


「オエッ。オエ〜〜〜〜っ」


「バスは座席はボロだし狭いしホコリまるけだしでその上坂道はあがってかないし子供はしつこく集まってくるしホテルの人間にまで両替詐欺されるしシャワーは浴びれないし電気は消えるし水は出ないし……」


「オエ〜〜〜〜〜〜〜ッ。オエ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」


「まあ……でもあんまり悪口言っちゃってもこれから行く人に悪いかな……」


「もう遅いよっ!!!
 このオレの反応を見ろっ!! オエ〜〜〜〜〜〜〜〜っ」


「でも私アフリカは基本的に好きよ」



やかましいっ!! ちょ、ちょっと、仲本くん、あれはいくらなんでも大袈裟だよね? やっぱり男の視点だともうちょっと……」


「いや、その通りっすよ。僕もエチオピア出る頃にはあばら見えるくらいガリガリになってましたから」



 ……。 
 誰か〜っ。誰か〜っ。
 この2人はオレに意地悪しているだけなのだろうか? 何も知らないオレを騙してからかってるんじゃ……? そうだ。そうに違いない。丁寧にジンバブエのこと教えてやったオレに対して何たる失礼な奴らだっ!!!
 しかしもしこの話が的確にエチオピアのことを表しているとしたら……。アフリカをこのまま北上するのに、エチオピアを通過せずに行くのは不可能である。彼らの言ってることが本当だとしたら……。やった! 
いいダイエットになりそうだぜっ(号泣)!!






今日の一冊は、これが意外とどうしてなかなか 火花 (文春文庫)






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