〜わたしはタナカ〜 記念すべきバングラデシュでの初夜を終え、もはや生娘で無くなったオレは昨日までの可憐な恥じらいはどこへやら、上半身裸のふんどし姿で宿をチェックアウトし、秋葉原の露出アイドルのようにわざと股を開いて食い込み部分を観衆に見せながら、バングラの首都ダッカまでの中間都市、ジュソール行きのバスに乗った。 田園風景の中を2時間ほど走ったのだが、途中で窓の外の沼地をぼんやり見ていたら、黒い水面がボコボコっとなったと思ったら沼の中からヌマ〜ッガバ〜ッ!と人間が登場してきて、オレは半魚人が出て来たと思ってバスの中で恐怖の叫び声をあげた。もし今バングラデシュを旅行中の仮面ライダーが近くを通りかかっていたら、怪人だと思って容赦なくライダーキックで飛びかかって行ったことだろう。 目的地であるジュソールのバス乗り場(ただの空き地)に到着し、早速リキシャをつかまえて「ホテル! ホテル! ぐうぐう。スヤスヤ(両手を頬に当て天使のような寝顔で見る者の心を洗い流すせせらぎのポーズ)」とジェスチャー問答をしていると、またもあれよあれよという間に20人くらいの地元の観客が、この読者モデル級の美しく珍しい大和撫子を見ようと集まってきた。 ……あんたら、いったいどこから湧いてきたんだよっっ!! 客引きじゃなくてただの住民の皆さんだろ!! なんでそんな凄い勢いで大挙してオレのところに押し寄せて来るんだっ!!! オレは法案の強行採決を宣言しようとする議長かっっ!!! そしてあんたらは森ゆうこ議員かっっっ!!!! とりあえずオレは「私は議長ではありません。そして大和撫子ではありますが7変化はしません」と律義に説明してから手早く運転手と話をつけてリキシャに乗り、街の中心部に近い名も無きホテルまで連れて行ってもらった。そしてまだ昼前のため、チェックインすると玄関先でランドセルを放り投げ、お母さんの小言を背に受けながらそのまま元気よく街に繰り出した。 ジュソールの風景。自分で頭に物を乗せて自分で苦しそうな人。 とはいえ地図もナビもジャズの流れるバーも何もない未知の田舎町のため、どこへ行っていいかもわからず、ゲジゲジした丸い植物をノラ犬に投げてくっつけて遊んだり、小学校の校門で待ち構えて出てくる女子生徒の写真を激撮したりオペラを熱唱したりと自分らしく過ごしてはいたのだが、とにかく道行く地元の方々が、オレを見ると片言の英語で「名前は何だ」とか「どっから来たんだ」とか「どこのモデル事務所に所属しているんだ」とか、ひっきりなしに問い合わせてきて対応が面倒なことこの上ない。これではとても一人では対応できないので、オレ専用のカスタマーサポートセンターを作りたいくらいだ。これだけの需要があるのならば、ねんきんダイヤルのコールセンターの一部を間借りして作者用のお客様相談センターを稼動させてもいいのではないだろうか。「もしもしホットライン」の人についでにやってもらおうよ。 オレは以前派遣社員として働いていた会社の休憩室や、義理で呼ばれた飲み会などでは「誰かオレに話し掛けてきてくれないかなあ」と涙を堪えていつも切実に願っていたのだが、いざ願いが叶い人気絶頂の歩くカリスマになってみると、自分に話しかけてくる見ず知らずの面々というのは非常に鬱陶しく感じる。 「ハロー。ファッツユアネーム?」 と言ってる間に、気がつくと隣にいるのはまたもや通りすがりのクエスチョンマン、自転車に乗った若い男子2人組である。もう面倒くささがピークに達していたオレは、本名を言って「え?」と聞き直されるのがいやだったので、外人でも知っていそうなわかりやすい名前を名乗ることにした。 「ハロー。マイネームイズタナカ。田中だよ田中」 「オー、タナカ! ナイストゥーミーチュー!」(握手を求めてくる) 「はいどうもどうも。僕はちょっと急いでるんで。じゃあね」 「マイネームイズ、ハッサン。アンド、ヒーイズマイフレンド、サラム!」 「そう。ハッサンとサラムね。面倒くさい、いや、ちょっと行くところがあるから、またね」 「フェアードゥーユーゴー?」 「…………。言えないところっ!! 言えないけど用事があるところに行くのっっ!! それじゃあねっ!」 オレは強引に二人を振り切ると、もちろん特に当てがあるわけではないがでも用事があると言ってしまったので、あくまで用事があって目的地を目指しているような自信を持った歩き方で、彼らの姿が見えなくなるまでスタスタと歩いた。 ちょうど前方に安食堂があったので、例によって他の客の注目を一身に浴びながら昼メシのカレーを食った。たくさんの視線を浴びイライラしたので、食後にたまたま食堂の前を歩いていた5歳くらいの子供に往復ビンタを食らわしストレスを解消すると、博愛主義者のオレは道端に咲く花をいとおしく愛でながら、清い心で来た方向へ戻った。 さて、これからどうしよう。どうしようもないな。今日は宿に篭もって、ノートパソコンに保存してきたWebサイトの「エッチな体験談特集」の読書でもするかな…… 「ハロータナカ!!」 「ぎゃっ!! さ、さっきの2人組!」 「フィニッシュ? 用事は終わった?」 「いや、終わったというか、これからホテルの部屋に戻って、パソコンで他人の体験談を注意深く読んで彼ら彼女らのその貴重な経験を自分のものにしようかなと……」 「ホテルに戻るの? あのさ、プリーズ、カム、マイハウス!」 「ユアハウスですか……なんか僕もう現地の人のお宅訪問に飽きたというか、そうじゃなくて、ちょっと体調が悪くてですね、できれば部屋で休みたいななんて思っているところでして……」 「カムカム! タナカ、ウィーウォントトゥービーユアフレンド。プリーズ、カムマイハウスタナカ!」 「げっ、なんか心に響いてくる言葉ですね……。そういう純真な目で見られると困っちゃうんですよね……」 歳を訪ねてみると弱冠17歳というハッサンとサラムだが、この辺では珍しく片言の英語を使ってしかも2人とも少年特有のキラキラした目でオレを見つめ、「友達になろう」と訴えてくる。くくく、これは道徳的に断れない感じだな……。ああ、休みたかったな今日……。せっかくバングラデシュにいるのだから、暇な時間を利用して宿に篭もって建設的な読書をしようと思ったのに。有意義な時を奪われた気分だ。 「わかったよハッサン。ハッサンといえばドラクエYでパートナーとして随分お世話になりましたし。では、この際しぶしぶお邪魔させて頂きます」 「サンキュー! レッツゴータナカ!」 ハッサンとサラムは自転車だが、オレに合わせて一緒に歩いてくれ、バングラデシュは暑いだなんだ日本は遠いだなんだ寒いだかんだと、お互い英検8級クラスのへなちょこ英語で会話を交わした、ひぐらしのキリキリと鳴く週末の午後。 途中、路肩の売店(藁小屋)でハッサンとサラムはB4サイズの紙を1枚購入した。たった1枚の紙である。この国では、紙も1枚ごとにバラ売りなのである。 そして、その場で店のオヤジからペンを借りると、2人は順番で何やら紙に書き出した。 「タナカ! これが僕たちのアドレスと、電話番号だよ。もしよかったらタナカのアドレスも教えてくれないかい?」 「はいはい、おやすいご用です。じゃあペン貸して。オレの住所は、HOUNAN、SUGINAMI−KUのTOKYO、JAPANで……電話が03の3324のこれこれで……名前が……。…………。はっ!」 い、いかん。そういえば、オレの本名はタナカじゃない。どうしよう。まさかウソを貫いて名前を田中にしちゃうわけにもいかないよな……それじゃもし彼らがオレに手紙を書いても返って行ってしまうし……。でも田中と書かなかったらウソの名前を言っていたことがバレてしまうし……それも今さら彼らに申し訳ない。 悩んだ結果、オレはまずきちんと本名を書き、本当の名前の下にカッコ書きで(TANAKA)と付け加えた。 「はい、これがオレのウソ偽りのない連絡先。よろしくねハッサン&サラム!」 「サンキュータナカ! じゃあお互いに交換して持って帰ろう」 ハッサンは住所を書いた紙を丁寧に半分に切り、彼らのアドレスの部分をオレに渡し、そしてオレの連絡先は大事にズボンのポケットにしまった。オレにとって彼らは旅の間にアドレスを交換した多くの現地人の中のたった1人であるが、彼らにとってオレはそうではないかもしれないし、これは少年時代の思い出に残る大事な住所交換なのかもしれない。オレはこの温度差を、決して少年たちに感じさせてはならないのだ。ウソの名前を書くなんて、人として許されない行為なのだ(微妙な気分)。 「タナカ、ジュソールの次はどこに行くんだい?」 「次はダッカに行くのです。もう明日には移動しようと思ってるのです。ってソーダ!! ねえ、ダッカ行きのバスってどっから乗ればいいの??」 「ダッカには大通りのバス会社から毎朝出発してるのさ。今から寄ってチケットを買って行くかい?」 「おおハッサン! あなたはなんて素敵なの! アイラブハッサン! アイラブサラム!」 早速オレは2人に案内してもらい、発着場も兼ねているバス会社の事務所に立ち寄った。受付のおじさんに聞いてみるとダッカ行きは明朝7時発、チケットは今この場で購入できるそうだ。 「ダッカに行くのか? 明日のチケットを買うか?」 「はい。お願いしますおじさん」 「OK。じゃあこれが席の予約チケットな。おまえ、名前はなんていうんだ? パスポート持ってるよな。今チケットに名前を書いて、明日乗車時にパスポートで本人かどうか確認するから」 チケット売りのおじさんの説明と質問を受けていると、その時おもむろに横からハッサンとサラムが割り込んできた。 「ヒーイズタナカ!! バングラバングラタナカグラグラ(ベンガル語で『この人はタナカっていうんだよ』と説明しているらしい)」 「オー。タナカか。」 おじさんはダッカ行きチケットの「name」の欄に、2人に教えられるままオレの名前を記入しようとし出した。 「まてまてまてっっ!! ちょっと待った!! 待って!! タナカ書くの待ってっっ!!!」 「なんだ?」 「いやその、名前は本当はタナカじゃなくてですね、えーと……、うっ!!」 ふと見ると、バス会社のおじさんとともに、ハッサンとサラムも少年特有のキラキラした曇りのない純真な目でオレを見つめている。 「いやその、タナカなんですよ。確かにタナカなんですけど、タナカというのはミドルネームなんです。だから僕のフルネームは、作者・タナカ・剛となるわけです。それで、日本では一般的にはミドルネームは書かないことが多いんですよ。愛称って感じで。だから名前を呼ぶときはタナカでいいんですけど、name欄に記入する場合は作者剛なんですねーこれが(汗)」 オレが最初についた自分のウソを誤魔化すために必死で新たなウソをつくと、おじさん&ハッサン&サラムトリオは、「なるほど。そういうことなのか。今日はひとつ日本の文化を学んで勉強になったなあ」という納得した表情であった。ああ、なぜ人はひとつウソをつくと次から次へとウソを重ねなければいけなくなるのだろう(涙)。 まあいいや。オレ、今日からミドルネームがタナカということにすればいいんだ。今日からミドルネームを作ればいいんだよ。マイケル・J・フォックスやクラッシャーバンバン・ビガロみたいに、オレは作者・タナカ・剛ということにするんだ。ダサいミドルネームだな……。 ともかくそんなわけで無事ダッカ行きのチケットをゲットして、長く歩き橋を越えて住宅地に入り込み、やっと我々はハッサン宅に到着した。 ハッサン宅は、レンガとコンクリートで造られた、全体的に四角く角ばったレゴブロックぽい家であった。スーダンの砂漠に建っていた家と似ている。 友人のサラムといっしょに入って行くと、大勢の家族の皆さんがにこやかにオレたちを迎えてくれた。お母さんにおばさんにおばあさんに何人もの従兄弟。そして、入れ替わり立ち替わり家族の方々が登場するたびに、ハッサンは「ヒーイズタナカ! ヒーイズジャパニーズ!」とオレのことを紹介してくれるものだから、オレも「ハロー。日本から来ましたタナカです」と謎の自己紹介をした。 最後にはちっこい弟も登場し、ハッサンはオレからデジカメを奪うと弟を使って試し撮りをしていた。 突然の至近距離フラッシュにも動じないハッサン弟。彼には天津飯の太陽拳も通用しないだろう。 ハッサンはしばらく姿を消すと、おそらくオレのために大金を出して買ってきてくれたのだろう、7upのどでかいペットボトルを持参して現われ、コップに注いでくれた。久しぶりに冷えた炭酸ジュースを飲みながら、彼らのこの献身的な親切は一体何なんだろう、でもどこかでこういう状況は経験したことがあるな、どこだっけ、と考えてみると、こんな感じのこっちが申し訳なってくるくらいの親切というのはかつてスーダン、パレスチナ、イラン、パキスタンで味わったものと同じだ。 それらの国とこのバングラデシュの共通点は、わかりやすいのがただひとつ。そう、イスラム教なのである! 何しろバングラデシュは、もともと東パキスタンという国だったのだ。西と東に分かれたパキスタンが、西がそのままパキスタン、東がバングラデシュになったのである。ちなみにそのもっと前は東西パキスタン含めて全部インドであったらしい。当時はインドという巨大な悪の帝国に、善良なイスラム教徒たちが黒く染まることなく共存していたのだ。もし日刊ゲンダイの「この人物のオモテとウラ」のコーナーで分離前のインドが取り上げられたら、確実にオモテとしてイスラム教徒が、ウラの面としてヒンズー教徒が紹介されたことだろう。 ハッサンの家は部屋数も多くそれなりに広いが、なんと家族全員で25人がこの家に住んでいるという。25人といえば、もはや家族というより学校の1クラスである。当然仲良しグループがいくつかに分かれてできるだろうし、好きな子ができて下駄箱にラブレターを隠すような甘酸っぱいイベントも発生するであろう。順番で学級日誌も書かされるのではないか。 尚、2階に案内されると、コンクリートの壁に囲まれた部屋に、何百本というチーズかまぼこが並んでいた。ここはチーズかまぼこを作る食品工場なのだろうか? チーズかまぼこを誇らしげに鋭い表情で掲げ、アピールするハッサンの従兄弟。 「タナカ! これはまだ作っている途中のものなんだ。これらの工程を経て、出来上がったものはこちらだよ!」 そう解説するハッサンと従兄弟について隣の部屋に入ってみたところ、その床には何千本というカラフルなローソクが転がっていた。なるほど、どうやらここは、ローソク工場だったらしい。さっきのはチーズかまぼこではなく、固めている途中のローソクだったのだ! よかったつまみ食いしないで……。もしチーズかまぼこと間違えて作成中の蝋をバクバク食ってしまっていたら、明日あたり自分の尻からカラーローソクを捻り出さねばならなかっただろう。ただオレの美しい尻から出てきたものならば、新しい成分と効果が加わって癒しやデトックス効果を得られるアロマキャンドルとして十分商品化できることだろう。 再び階下に移動すると今いる家族全員が集められ、記念撮影タイムになった。 これがハッサンファミリーだ! し 写真下の右側がハッサン。なんて綺麗な目をしてやがるんだ。左が友人のサラム。中には目つきの怪しい人もいますが、決して怪しい人なわけではありません。 そんなところで、あーだこーだと質問攻めにあっていると、どうやらイスラム教のお祈りの時間が来たようで、邪魔しては悪いのでオレはそろそろおいとますることにした。しかし帰りもハッサンはお土産に自家製のローソクを1箱持たせてくれ、外に出るとリキシャをつかまえてくれ、まさに至れり尽くせりであった。 ……そして別れの時(ウルルン風に)。 「グッバイタナカ! いつかまた、バングラデシュに来ることがあったら遊びに来てくれよ!」 「ハッサン素敵! サラムもステキ! イスラム教大好き!! ヒンズー教は大嫌い! ありがとう! ここ2ヶ月くらい縁がなかった、心からのありがとう!! バングラデシュ万歳!」 そして、オレはホテルに帰った(あっさり)。 今日は、最初こそ面倒くさいなんて思ってしまったけれど、バングラデシュの田舎町で出会った素敵な友人に招かれて、おかげでとても楽しい時間を過ごすことができました。僕はいつまでもハッサンたちのことを忘れません。きっとハッサンとサラムも、日本からやって来た旅行者「タナカ」のことを、ずっと覚えていてくれるでしょう。 …………。ああ(号泣)。 今日のおすすめ本は、 初めて読んだ時、笑い死にするかと思うくらい笑いました VOW全書〈1〉まちのヘンなもの大カタログ (宝島社文庫) |