〜インド−バングラデシュ〜





 カルカッタの駅では、
実写版「火垂るの墓」の撮影中かと勘違いしてしまうような、ボロ切れに包まれた小さな女の子の姉妹がチケット売場の床にゴロゴローンと転がっていた。多分姉の方だと思われる幼き少女が、「私たちは、今日ご飯を食べられなければ明日には死ぬでしょう。その時きっとあなたが楽しげに旅している新しい土地とは遠く離れた、ここカルカッタで」と力のない眼で訴えながら、オレに向かって手を伸ばしてくる。



「マネー……、プリーズ……ギブミーマネー……。なんでホタルすぐ死んでしまうん……?」


「てめ〜ら……、
絵に描いたような悲惨な光景だなコラッ!! なんかもうそういうズタボロの姿の人間を見ることにもオレは慣れてしまったぞっ!! そしてそんな自分が怖いぞっっ!!」


「プリーズ……、プリーズ……(もはや声になるかならないかくらいの小さな声で)」



「国境に向かう電車のチケット売場で物乞いをするとはなかなか鋭い作戦だねキミっっ!! 確かにオレはもう細かいルピーはいらん!!! このヤロー! 財布の中の小銭全部持ってけドロボー!!!」




 別にこの姉妹が死んでもオレの生活が脅かされることはないし、そんなことはインドにとっても地球にとっても全くどうでもいいことであるが、きっとここで無視して立ち去ったら生まれるであろう一瞬の罪悪感から逃れるためと、今日はいいことをしたなあと満足したいがため、そして単純にどうせ要らない小銭を処分するために、オレは火垂るの節子もどきの幼子にジャラジャラとルピーを押しつけた。
 ……ああ、何かこうやって一見深そうなことを書いていると、
いかにも「旅行記を書いているなあ」という気分になるね。こういう考えさせられるシーンを毎回前面に出して原稿を書いていれば、いつか出版社に持ち込んで旅行記を出版したりできるかもしれない。よし、帰国したらぜひ真面目な旅行記の出版を狙ってみよう。アホとかボケとか汚い言葉を使うふざけた内容の本なんて、頼まれても絶対に書かないぞ。人生の汚点になるから。

 カルカッタからは3時間足らずで国境の町バンガオンへ着いた。バンガオンの駅からは、オートリキシャで国境まで向かう。


インド最後の駅の風景。今電車が来たら最低20人は轢死するでしょう。
 
 さあ、これでインドとは2度目のサヨナラである。
 なぜか、3年前のあの日「2度と来るもんかカスッ!」と誓ったはずのインドにまた足を踏み入れ、いつの間にか滞在期間は1カ国での過去最長となる2ヶ月にも及んでいた。
 振り返れば、パキスタンを出て今回最初に辿り着いたインドの町は、シーク教の総本山であるアムリトサルであった……。

 …………。

 なんか、ちょっとインドを振り返って総括的なことを書こうとしてみたけど、
別に総括するほどの国でもないか。何か出国に際して一言述べるとすれば、やっぱり来なけりゃよかったということくらいだ。この、インドがっっ!!! こんな国、3度と来るかボケッッッ!!!! たとえ将来栗山千明と付き合うことができて、「新婚旅行で一緒にインドに行ってくれるんなら結婚してもいいわよ」と言われたとしても、インドには来たくないのでほぼ結婚と同じだが正式に籍は入れないという事実婚という形を取ろうとしてやるぞっっ!!!!! それでも「そんな曖昧な形は嫌だから、インドに行くことを条件に結婚するかそれとも別れるかどちらかに決めなさいよ!!」と千明様に要求されたら、その時はまあインドくらい喜んで来てやるぞっっ!!!

 ……ふっ。頑固なようで可愛いところがあるんだなオレって……。

 ということで、両替も済んだしいざバングラデシュ入国だ。なんだかんだ言って2ヶ月も滞在したインド、少しだけ後ろ髪を引かれるかなとも思ったが、実際は
まるで後頭部だけつるっパゲになったかのように0.001ニュートンたりとも後ろ髪に力を感じることはなくオレはインドと別れられる喜びで「あひゃ〜〜ん。いやっひゃああ〜ん。」と奇声をあげながら国境を超えたのであった。

 さて。バングラデシュ側のイミグレに突入したオレの前には、バングラデシュだけに初対面となるバングラデシュ人の入国管理官が現れた。う〜ん、バングラデシュ人といっても、見た目はインド人と全然変わらんな……。インド人がイーチアザーだとしたら、
バングラデシュ人はワンアナザーみたいなもんだ。



「こんにちは。僕はインドが大嫌いでバングラデシュが大好きな作者と申します。今日からしばらく憧れのバングラデシュに滞在させて頂きたく思います。どうぞよろしくお願い申し上げます」


「ハロー。ウェルカムトゥバングラデシュ。おまえはバングラデシュが好きか? うちの国を『余計な国』とか『書き下ろしで作成された国』とか失礼なことは言っていないか?」


「そんな常識をわきまえないことを言うわけがないじゃないですか。問題発言が多い鳩山法相ならともかく、よもや現地人との触れ合いを第一に大切にするこの僕が。見損なわないで下さい」


「わかったわかった。じゃあ気持ちよく入国スタンプを押してあげよう」


「どうも有難うございます」


「ところでおまえは、シングルか?」


「アルバムです」


「ノンノン。そうじゃない。結婚してるか? っていう意味だ」


「しておまへん」


「そうか。じゃあガールフレンドはいるのか?」


「あのー。その話はバングラデシュ入国と何の関係が」


「ガールフレンドいないのか? 一人もいないのか? オレなんてガバメントのオフィサーだからベリーリッチで、5人もガールフレンドがいるんだぞ」


「うるせえなあ!! オレだって今は一人もいないけど、5年くらい前には伝説の樹の下で1ヶ月の間に10人以上の女性に告白されたことがあるんだぞっっ!!!!!」


「それはときめきメモリアルの話だろう」


「そうです」


「ジャパンではガールフレンドを見つけるのは難しいのか?」


「基本的にとても難しいはずです。だって実際すごく難しいですから。ものすごく難しいです。難しいというか、不可能に近いです」


「おまえは自分の例をすべての人間に当てはめようとしているな」


「だって僕は日本を代表してますから」


「いいか、ユーニードコンフィデンスなんだよ。つまり自信を持てということだ。女というものはなあ、自分に自信を持っている男に惹かれるものだ。フェイス? ノー。顔なんて重要ではない。マネー? ノー。OK、確かにマネーは重要だ。しかしマネーがなければガールフレンドができないなんてことは決してないのだ。エデュケーション? ノー。学校なんて行っていなくても、子供の頃から働いていようとも語学に堪能でなくとも……」


「あの管理官さん。もう僕行っていいですか? 早く今夜の宿を見つけたいんですけどね。ガールフレンドがいないことで有名な僕ですけど」


「オーケー確かに手続きは済んだ、モテないおまえにも宿を探す権利はある。しかし、もう少し話して行かないか? アイライクトーキング。バングラデシュ人のガールフレンドは必要ないか? 紹介してやってもいいのだが」


「まあ特に必要ないかな。なんとなくバングラデシュの女性とは趣味とか食べ物の好みとか衛生観念とか合わないような気がしますし。どうやってデートしたらいいかもわからないですし。それはまあバングラデシュの女性だけでなく日本人の女性ともどうやってデートしたらいいかはいまだによくわからないですけれど。でも、ときめきメモリアル形式で現実でも女の子との会話がすべて3択になったら、それなりにうまく答える自信はあるんですよ。って
何を言わせるんじゃーーーっ!!!! もういいよ!! もうオレは行く! イミグレの外へ!! する! バングラデシュへの入国を!!」


「待ちなさい! ドントウォーリー! 宿はすぐ見つかるから! もっと話をしよう!! いいじゃん! トーキング! あなたと私でトーキングー!! 今夜は一緒にダンシングー!! グーググーググーグー! コーー!!」




 普通、イミグレの役人といえば無愛想なのが基本である。だから「入国拒否されたらどうしよう」という恐れがあり逆にこっちが必要以上に愛想よく振る舞ってしまうのだが、なぜかバングラの入国オヤジは自ら旅行者に話しかけ、ガールフレンドの話題で盛り上がること30分以上。オレは出稼ぎに出た彼の息子にでもそっくりなのだろうか? それとも、オレが
こぼれ出るカリスマを隠しきれなかったからだろうか? カリスマバングラデシュ旅行者になってしまったからだろうか?? とにかく女子高生でも女子大生でも女子新入社員でもなく単なる役人のオヤジならば、オレはもうこれ以上話はしたくない(その言い方もどうかと思う)。
 オレは荷物を背負いイミグレを出ると、バングラデシュ国境の町、ベナポルへ侵入した。

 ところで……。何を隠そう、オレはガイドブックがないと非常に不安である。
 今まで「おまえはバックパッカー大学の学長になるべき男だ」「おまえはバックパッカー界の小池徹平だ」「おまえの職業は"旅人"もしくは"自由人"だ」などと散々もてはやされてきたオレだが、惚れた女をモノにするのは抜群に得意でも、ガイドブックなしで初めての土地を訪れるのは不得手である。※今の文章にはいろいろとウソが含まれています。
 オレは旅行記では新しい国でもアグレッシブに動いているようにうまくカッコつけて書いているが、実は常にリュックにはその国のガイドブックを収納して、必ずガイドブックの言う通り、
全て出版社の編集者の方々が提案した通りの旅行プランで活動しているのです。怖い……ぼく、指示をくれる人がいないと何もできないんです(涙)……いや…こんな心細いのイヤだ……喋れない……ガイドブックがない国の人となんて不安で喋れない……誰か指示を!! 指示をください! 船場吉兆のささやき女将!! バングラデシュまで来て、僕の隣でささやいて下さいっっ!!!



「ヘイそこの道端の露天の前で昼間から油売ってるバングラデシュ人のニイさん!! 僕、泊まるトコ探してるんですけど! 安いホテルあったら教えてくれませんか!!(意外と喋れた)」


「?? バンバングラグラバングラグラグラバングラデシュ(ベンガル語)??」


「えっ……」



 
ガビ〜〜〜ン!!! 英語が通じねー!!

 そんな……ガイドブックがない上に言葉が通じないなんて……。
これじゃあ何も伝えられないっっ!!! ささやき女将がいれば隣でバングラデシュ語でささやいてくれるだろうけど、ここにささやき女将はいないから言いたいことが伝わらないじゃないかっ(号泣)!!!!



「あの、チープホテル! ホテル! ホテルホテル!! ぐうぐう。すやすや(両手を合わせてほっぺたにつけて眠るジェスチャー)」


「ホテル?」


「そうそう。ホテル!(意外と通じた)」


「ホテルは、あっちあっち!」


「そうですか。あっちですか。いやー良かった通じて。どうもありがとうございます。……えっ!



 ふと気づくと、オレの周りには国境の町に住むバングラデシュ人の方々が10人ほど集まって来ており、全員がオレの挙動を凝視している。な、なんだろう。みんな無邪気な顔しちゃって。外国人が珍しいのだろうか。道端に立ってるだけで客引きでもない地元民にこんなに囲まれるのはエチオピア以来だ……。
 地元の方々は真っ黒で濃厚な顔に白い目をらんらんと輝かせ、罪のない表情でオレを見ているのだが、罪はなくとも迫力はすごくあり、ある意味これは
要求のない強迫のようなものである。そこでオレはいつものように、「あっ、あんなところに遊説中のオバマ候補が!!」と叫んで聴衆の気を逸らし、その隙に逃亡した。
 しばらく進むとバングラデシュにもごく普通にサイクルリキシャを発見したので、オレは同じように「ホテル! ホテル! すやすや(目を閉じ両手を枕に健やかに眠るジェスチャー)」と運転手に訴え、料金の交渉をして運んでもらうことにした。

 さて、ところが目的地への途中ではあったが、朝から何も食べていなかったオレはあまりにも腹が空いており、誇張ではなく本当にお腹と背中がくっついていたので(ウエストぺ〜らぺら)、ちょうど食堂の前を通りかかったところで途中下車することにした。
 幸い入り口に大皿とカレーの鍋があったので、必殺の指さし作戦で料理を指定し木製の傾いたテーブルにつき、オレというワイルドな自由人はガツガツ食べるのがとっても苦手なので、
おちょぼ口でしずしずとバングラデシュ製のカレーを口に運んだ。う〜〜〜ん。おおおっ。なんか、インドのカレーと比べてわりかし美味いような気がするぞ。これはなかなかのものだ。麺にコシ! スープにコク! 笑福亭にコク!! ってそれは笑福亭仁鶴だろ!! と小ネタをはさみながら褒めたいところだがこれはカレーなので麺もスープもなくて………えっ!!

 ふと気づくと、食堂の入り口に国境の町に住むバングラデシュ人の方々が10人ほど集まり、全員興味深々に食事中のオレの姿をじっと見つめている。
 ……おおい。
なんザマスかこの人たちは!!! 落ち着いて食事ができないざましょっっ!!!! この国ではそんなに珍しいのですかっ!! 小池徹平が食堂でカレーを食べる姿がっ!!!!!

 オレは惚れた女をモノにするのには慣れているが10人に凝視されながらカレーを食べるのは慣れていないので、後ろを向いて片方の手でお上品に口元を隠しながら、しかしいそいそと残りをかきこんだ。
 出待ちのファンをぞんざいに扱うのは本来オレの主義に反するが、しかしまだバングラデシュ人のファンの動静を見極めていないため、何かあってはいけないとオレは彼らを無視し、「あっ、あんなところに『人形劇三国志』の人形の製作者、川本喜八郎先生が!!」と叫び観客の気を逸らすと再びリキシャに乗り、なんとか無事安ホテルに到着しチェックインすることができた。

 部屋に入るとすぐシャワーを浴び、ベッドに大の字になって一息つき、ふと気づくともう夜の9時だ。これからここでオレは、バングラデシュの初夜をセクシーに迎えるのである。やっぱり初夜に服を着ているなんて野暮だわよね。今夜の下着は、シャネルの5番よ……。


「コンコン(ノック)」


 …………。



「コンコン コンコン!(じわじわ激しくなるノックの音)」



 ……ったく、なんだよこんな時間に。何か用かっ! というか誰なんだよバングラデシュに宿泊中のオレを訪ねてくるのはっっ。日本でもオレの部屋を訪ねて来るやつなんてストーカーくらいしかいないのに(激しく極秘事項)、こんなところでオレに誰が何の用なんだっ!!



「コンコンコンコンコンコンコンコン!!!!」


「わかったって! 開けるからちょっと待てよ! まったく誰なのよ一体……痴漢じゃないでしょうね……確かに私のセクシーなボディを見たら、むしろ理性を抑えられる男の人の方が少ないでしょうけれど……って
ええっっ!!!



 ドアを開けると、
そこにはホテルの従業員と、そのお知り合いの国境の町に住むバングラデシュ人の方々が10人ほど集まり、人の迷惑を一切考えない無邪気な目でオレを見つめていた。



「…………。あの、あんたらオレに何か用があるわけ? なんなの? 
言いたいことがあるならうじうじせずにハッキリと言ったらいいじゃない!! オトナでしょ!? あなたもあなたも、なんで黙ってるのよ!! この意気地なしっっ!!!」



 オレが入国早々バングラデシュ人の臆病をなじると、中心にいた従業員が、やっと勇気を出して言葉を振り絞った。



「ア、アー……。ユー、オーケー?」


「なんのことかわからないけど、今のところオーケーですわよ!」


「オオ〜ッ。(なぜか観衆からどよめき)」


「オレもう眠いんだけど。スリープ! グッドナイト!」


「オーケー。グッドナイト」


「…………」



 オレがドアを閉めると、外の廊下をホテルの従業員とそのお知り合いの国境の町に住むバングラデシュ人の方々が、がやがやと盛り上がりながら各自解散して行く音が聞こえてきた。

 …………。

 おまえら、
ただ単にオレを見に来ただけだろっ!! 「オーケー?」って何のオーケーなんだか意味がわからねえんだよっっ!!! 言ってる方も意味わかってなかっただろどうせっ!! わざわざ外国人を見たいというだけで客の部屋まで押し掛けてくるか普通オイッ!!!

 普通は部屋まで押し掛けてこないから、なんだか普通じゃない感じだなここ……

 オレは従業員の教育がまったくなっていない安ホテルで、人目を気にしながらそれでもシャネルの5番だけを身に付けて、一応予定通りセクシーにバングラデシュの初夜を迎えたのであった。





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