〜ブルーナイル〜 バハルダールの村は、タナ湖というエチオピア最大の湖のすぐ南に位置する。そしてそのタナ湖から流れ出ている川が、青ナイル、ブルーナイルである。青ナイルは途中スーダンで別の場所から流れてきた白ナイルと合流して、本流のナイル川になるそうだ。 ……。 みなさん、聞きました? みなさん、読みました今の文章??自分で書いたんだけど 文章にはなんのひねりも無いとはいえ、ナイル川ですよナイル川。ナイル川といえば、中学校の地理の時間で勉強した世界一長い、大阪で生まれた女を最後まで聞くよりも長いという、エジプトを流れる万民の知るところの有名な川ではないですか!!! ……エジプトが見えてきた。 南アフリカに降り立って約2ヶ月半、ついにアフリカの終着点であるエジプトが視界に入った。正直ここに来るまで、進んでいる方向は合っていようとも、あまりにも遠すぎて本当にこの先にエジプトがあるのかどうか想像もつかなかったのだ。 しかしナイル川という誰でも知っている、知名度では堀江社長といい勝負が出来そうな川、その名がご近所さん(ネイバーフッド)として登場したのである。これによって普段は巨乳アイドル達に占領されている頭の中の、蜃気楼の向こうにかすかにピラミッドの姿が、巨乳を押しのけるようにピラミッドがイメージになって現れ、間違いなく自分は正しく進んでいるんだという確信が持てたような気がする。近い。近いぞ。ナイルは世界最長の川のため下流まで数千kmあるということは置いといて近いぞ。あと少しだ!! バハルダールの村からは、その青ナイルが流れ出してすぐのところにある、青ナイル滝という自然の中にある滝を見に行くことができる。この村とブルーナイル(青ナイル)とは、渡辺美里と西武ドームくらいの密接な関係であり、決して切り離して考えることは出来ない。というか密接と言うより、例えばラリベラにおける教会やワイルドワンズにおける想い出の渚と同じで、それが全てであり、逆にこれがなかったら地図上や芸能史から忘れ去られることも考えられる。 そのような根拠に基づき、村に到着した翌朝早速オレは青ナイル行きのバスを見つけ、最後部に乗り込んだ。 しばらく待っていると、隣にゼラレムと名乗る若いエチオピア人が座った。 「ハロー、どっから来たんだい?」 「ハロー。アイムジャパニーズ」 「そうか。ナイストゥーミートユー。エチオピアはどうだい?」 「……そうだね。エチオピアは、景色がいいよね」 普通海外で現地人に「この国はどうだい?」と聞かれれば、「アイライク!」とか「グッド!」とかプラスイメージの答えをクイズ王の西村くらいの反応の速さで返すのがインターナショナルな決まりになっているのだが、残念ながらオレはどうしても自分にウソをつくことができず、もうエチオピアはどうだと聞かれても「景色がいい」としか言えなくなっている。 「エチオピア大好きだぜ!」とか「エチオピア人っていいよね!」という答えを期待していたゼラレムは、「それはつまりどういうことだ?」という、心霊現象肯定派の体験談を聞く松尾貴史のようないぶかしげな顔をしていたが、誤解を招かないように解説を加えておこう、つまりどういうことかというと、景色以外は全部悪いということだ。 ともかくも彼も一緒に青ナイルへ行くということで、心を閉ざしたオレは殻をかぶりながら空虚な会話をしていたのだが、しばらくするとゼラレムは会話の途中にもかかわらず中断してどこかへ行ってしまった。……なんて失礼なやつだ。人の話は最後まで聞かんか! 月末金曜深夜の宮崎哲弥かおまえは!! しかしよく見ると他にも、前方に座っていた何人かの乗客が降りている。まだ出発には時間があるのだろうか?? 一般的に発展途上国のバスというのは、満員にならないと発車しないことが多い。利益率の確保を狙うのはいいが、旅人などあまり時間が無い立場にとってはこれは非常に不便である。こうして動かないバスに乗ったままじっとしているというのは完全に時間の無駄であり、逆に生産性を下げているのではと……突然動いたっ!!! なんだこりゃ?? 無音のままバスが動いているぞ??? これぞまさにエチオピアの奇跡。なんとエンジンもかけていないのに突然バスがソロソロと動き始めたのだ。一体どういう仕組みだ?? 電気自動車なのか、もしくはソーラーカーなのか……とにかく、環境に優しいことは間違いない。 しかしゼラレムや他の乗客はどこへ行ったんだろう? もうバスは発車しかけてるし、早く戻ってこないと……って押してるっ!!! 男10人くらいでバスを一生懸命押してるっ!!! ふと後方、窓の外を見てみると、ゼラレムをはじめ乗客が横一列に並んで自分達の乗る、本来ガソリンが動力のはずのバスを押している。そうか、バハルダールのバスは人力だったのか……。それはエンジンの必要は無いしさぞかし環境に優しいことだろう。しかし、バスを押しながら目的地に行くくらいなら歩いて行く方が楽なのでは?? ブオオオオオオンッ!!!!! エンジンかかった。 しばらくすると、先ほど降りていった乗客達、ゼラレムも戻ってきた。これ、つまりバスの押しがけだったのね(号泣)。しかも運賃払ってる客が肉体労働を強制されるとは。すごいのは押している奴が誰もその行動を疑問に思ってないところである。本当にこの国はわからん。 村からナイル滝がある山の麓まではバスで小一時間と遠くない。ただ問題は、バスの終点から滝まで予測のつかない距離の山道を歩かなければならないということだ。ここまで来ておいてなんだが、ここからはゆっくりとマイペースで、臨機応変に観光の中止も含めて慎重に進んでいかなければならない。なにしろオレの体力は桶狭間で討ち取られた頃の今川義元なみである。どちらかというと歩くより籠で移動する方が似合っているのだ。それに、無理をして歩きすぎ骨折でもしようものなら、今後の予定が大きく狂うことになるではないか。無理は出来ない。 とりあえずゼラレムや同じバスに乗っていた何人かのエチオピア人も青ナイル滝の観光に来たようで、希望してないのになぜかオレもそのグループに入れられ、一緒に行動する羽目になった。うーむ。これはかなり嫌な予感がする。みんなちゃんとオレのペースを守ってくれるのだろうか?? 山に入ってから、道は全て上り坂である。最初は、団欒(だんらん)があった。同じ場所を目指す観光客同士の団欒である。しかしほんの十分ほどが経過すると、ペースメーカーのオレが真っ先に遅れ始めた。くそ。なんでみんなスタスタ行ってしまうんだ。普通ペースメーカーが遅れたら他の選手も合わせて遅くなるもんだろうが!! もしかして僕はペースメーカーではなかったのですか?? それにしてもこの暑さ、登り勾配のきつさ、さらに海抜2000m以上の空気の薄さ。強制的高地トレーニングである。汗は噴き出し息は切れ心臓は苦しい。中学時代長距離を専門としていたオレもこれは辛い。といってもコナミのハイパーオリンピックの長距離だが。 ←スタスタ歩く鬼ども まあいい。どうせオレは一人の方が似合ってるし、単独行動ならばいつでもマイペースを保てるのだ。行くなら行ってくれ。ああせいせいした。 「おーい!! ジャパニーズ!!! なにやってんだ!」 「疲れたの? まだ始まったばっかじゃない、がんばりましょうよ!!」 ……。 少しペースを落としながらオレを励ますんじゃない!!!! 先に行けよっ!!! オレのことは無視してくれ!!! 「さあさあ、がんばって!」 「は、はい。がんばってみます……」 心優しいエチオピア女性が、グループから離脱しかけたオレを復帰させようと、しばしば話しかけながら同行してくれる。さらにありがたいことに、前を行く他のやつらに声をかけて待ってもらっている。 ……あの、親切はわかりますが別にそういう必要ないのですが。一人でゆっくり行かせてもらえませんか?? グループに再び入ると、やはりオリンピックエチオピア国内予選のようなハイペースで石と土のでこぼこの山道(全て上り。岩で作られた階段もあり)を全員が歩き始め、すぐに心臓爆発寸前、そしてなるべく気付かれないようにはぐれてみるオレを優しいおねえさんは発見し、励ましては他のメンバーに呼びかけて待ってもらっている。ねえさん、あんたのやってくれていることは優しさの名を借りた拷問ですが(号泣)。30分、1時間と経つにつれもう意識朦朧、息を吐く時は「ハーハー! ハーハー!」と試合中の藤波辰巳のように声が自然に出てしまう。ダメだ、もう死ぬ〜。ひとりで、ひとりで行かせてくれ〜〜〜っ とドラゴンの呼吸法を身につけとってもストロングスタイルにへばっていたオレを見かねたグループリーダーのおっさんが、近寄ってきてオレに説教を始めた。 「おいおまえ! なんだその軟弱ぶりは!! 周りを見てみろ、女や子供だって平気な顔して歩いているだろうが!!」 ……ほ、ほんとだ。たしかに周りの人は、女性も子供もみんな余裕の表情をしている。 くそ! おっさん、気合を入れてくれてありがとよ。オレだって負けてられないぜ!! 日本人の根性、大和魂を見せて……って長距離メダリストを輩出しまくってるエチオピア人と文化人のオレを一緒にするんじゃねーよっ!!!!! そら常に高地で歩き回って鍛えてるあんたらは日常の延長だろうが、こちとら佐鳴湖の外周を走った高校時代のマラソン大会のごとしなんだよ!! 年一回のイベントなんだよ!!! だいたい初対面なのに説教とはなんだ!! そんなことしたって効果なんてないぞ!! オレは褒めて伸びる子だ!!! 説教に反抗しつつ周りを見てみると、山に住むガキなどはオレ達に売りつけようとビン入りのジュースを何本も抱えて一緒にホイホイと登って来ている。きっとこいつは日本の陸上コーチ陣が喉から手が出るほど欲しがる逸材であろう。 ここで一応あるのかどうかは不明なオレの名誉のために言っておくが、30分や1時間でこれだけへばっているのは、あくまで現地人のペースについて行かされたからである。これでもオレは道々でテーブルマウンテンやキリマンジャロへの登頂を果たした身。自分のペースで歩いていれば今頃は松田聖子の夏の扉でも歌いながら軽やかに進んでいることだろう。 ちなみにテーブルマウンテンにはロープウェーで登頂を果たし、キリマンジャロに登ったというのはウソだが、自分のペースなら今頃は軽やかに進んでいるだろうというのは本当だ。 幾度となく強制復帰させられながらアップダウンの山道を行き、もはや疲れだけでなく腹が痛く下痢になってきたところでやっとオレ達は青ナイル滝へ辿り着いた。 ふむふむ。なかなかの景色ではあるが……。 まあ諸君、世界(のごく一部)を股にかけているこの冒険野郎から見れば、この程度の滝は別にそうたいした驚きではないのだよ。もちろんこの程度の登山もな。へばっているように見えるのは、ただの演出だ。 こんな冷めた大人になってしまった自分が寂しくもあるが、ただほんの2ヶ月前にこれとは桁違いのスケールのビクトリアの滝を見てしまっているので、驚きは少ない。ザ・ベストテンに小泉今日子が出た時、歌の前に久米宏が「今日は歌の間にちょっとしたビックリもあるんですよね!」と言っていたのでチャンネルを変えずに期待して見ていたら、間奏になるとキョンキョンがオカリナを吹き始めた時くらいの微々たる驚きであった。 さて、逸材の小僧からジュースを買って体力の回復を祈っているとエチオピア人観光客たちの滝前記念撮影も終わり、帰路につくことになった。しかし帰りに関しては、滝の上を横切って川をボートに乗って渡り、あっさりと元のバス停まで戻れるということである。じゃあ最初からあんな山道登る必要なかったんじゃねーか?? まあ今さらそういうことは言っても楽しくない、文句ばかりじゃ前へ進まない、明日が見えないので大人しくしていると、ブルーナイルの上流に浮かんでいたボートは筏(いかだ)がちょっとだけ進化したような水面スレスレの小舟であった。 オレ達が乗り込むと一応モーターを動かしてポンポンポンポンとタヌキのように音を立てて進んでいくのだが、いかんせん水面が近すぎて恐い。世界中だれだって仲良しこよしいとしこいしのイッツアスモールワールドのボートより水面が近いのである。少しでも傾いたら水没しそうだ。無事に向こう岸に着くことを願っていると、船頭が何かオレに向かって声をかけてきた。しかしアムハラ語である。 「すいませんゼラレムくん、彼はなんて言ってるんでしょう??」 「ああ、なんかこの川にはワニが棲んでるんだけど、見たいなら探しに行こうか? って言ってるけど。どうする?」 「見たくないんだよ!!! このボートじゃほとんどワニ目線だろうが!!!」 冗談じゃない。この、見る人によってはイカダである浅いボートでは、水面からワニがそのまま乗船可能な高さだ。乗船された場合、獰猛そうなので向こう岸までおとなしく乗っているとは思えない。というか満員なだけに一人食ってからその席に座ろうとするであろう。頼むから余計なことはせずに渡し舟としての責任だけを果たしてください。 疲れきって村に戻り、やれやれと部屋に帰ったわけであるが、しかしこの宿では決して心休まることが無いということを、まだこの時の無垢(ムク)なオレは知らないのであった。 今日の一冊は、精神的に安定している時でないと読むのキツいですが 遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫) |